第三章 出逢った音は千変万化の色を鳴らして 一括掲載版

 入学式から一週間も経つと、新しい生活といったものにも慣れてくる。
 史月の十五日のことだ。
 カクヤはペンをノートに滑らせていたが、鐘が鳴ると同時に教師の声が一旦止まる。合わせてノートにペンを走らせていた手も静止した。
 こおん、こおーんと短長を使い分けて鳴る鐘はセイジュリオの中央塔にある。学生は立ち入り禁止の場所だ。
 月の曜日の最後の授業である歴史の科目を担当している教師、ヤスズ・レイオンは青のペンで最後の行に線を引き終える。そうして、生徒たちに向き直った。
「今日の授業はこちらで終わりです。最初の試験はもう来月ですからね。お気を付けて」
 ヤスズは癖のある亜麻色の髪を長く伸ばしているのと、いとけない顔立ちの組み合わせによって、当初は最も温和な教師という印象を新たな学生たちに与えていた。しかし、セイジュリオにおいて一番手厳しい教師であるということは、これまでの授業でよく知られることになった。面倒見の良い教師は年の功もあってか、ヤサギドリ・シェクターという評価がされていて、ローエンカ・タオレンは快活で人当たりが良いと人気が高い。
 ロリカに終わりの挨拶をするように命じて、全員が礼をしたのを見届けてからヤスズは教室から立ち去った。
「あ。またローエンカ先生が絡んでいる」
 入り口側に座っていた清風が中々大きな声で言った。
 ローエンカは一学年ニクラスを担当しているが、ヤスズを見かけると大抵は隣にいる。二人の関係は転入学したばかりの学生たちが注目するところだった。
 仲の良い同僚なのか、それともローエンカが一方的に想いを寄せているのか。賭けをする学生もいたにはいたらしいが、ヤスズにこっぴどく叱られて以来その姿を見かけない、という噂も流れている。いまは表だって話題になることはなかった。
 藪から蛇を出さないために、カクヤは帰宅の準備を進める。
 その途中でサレトナに声をかけられた。
「あのね、今日はフィリッシュと命唱さんがアクトコンを見にいくらしいの。私も一緒に行くから、先に帰ってもらってもいい?」
「わかった。サレトナもアクトコンに興味あるのか?」
 照れと一緒に微笑まれた。
 アクトコンというのはセイジュリオにおける課外活動のことだ。授業が終わった後に有志が集って、趣味であったり、鍛錬であったり、各自が己の道を究めようとしている。
 カクヤもどこかのアクトコンへ見学にいきたいとは考えていたため、ついていこうかと一瞬だけ思った。だが、サレトナが二人の友人と一緒に行くというのならば交友を深めさせるべきだろう。サレトナのチャプターには男性しかいない。別のところで友人ができるのならば喜ばしい。
「どこかおすすめがあったら、教えてくれな」
 それだけを言い残して、席を立った。サレトナはロリカに呼ばれ、教室を出ていく。フィリッシュはすでに動き出しているようだ。
 最初に出会った頃の危うい少女ではなくなってきたサレトナに安堵しながら、カクヤを待っていたソレシカと並んで昇降口まで向かう。廊下を歩く間は、今日の夕食はなにかという話をした。
 靴を履き替えたところで、ソレシカが一学年の昇降口に向かう。タトエを待つ気なのだろう。
 もしかすると、タトエもアクトコンの見学にいくなどして遅くなる可能性はあるが、ソレシカにとっては気にならないことらしい。
 カクヤも少しだけ付き合うことにした。ソレシカの隣に立つ。
 他の学生はぽつぽつと陰りある昇降口から緑溢れる庭へ歩いていき、校門まで出ていく。その背中を見送っていた。
「カクヤってさ」
「ん?」
「将来なりたいものとかあるのか?」
 曖昧で夢見がちな質問をされた。
 だが、つい真面目に答えを考えてしまう。ソレシカがたまたま場を埋めるためにしただけの質問だったとしても、簡単に流すことはできなかった。
「昔は、歌夜になりたかったな」
「うたや?」
「ああ。歌に夜と書いて、歌夜。いろんなところを旅してさ、歌を集めていくんだ。それを夜空に浮かぶ星のようにつないでいく人たちのこと」
 いまでも思い出せる。
 ルリセイという小さな街にも幾人の歌夜が寄ってくれた。カクヤはその中の、赤い髪の青年の歌をとても気に入った。青年は気恥ずかしそうにしながらも、いくつもの聖歌を教授してくれた。
いまのカクヤの源泉だ。
『言葉を扱いたいのならば、全ての瞬間で編まなくてはいけないよ。喜びも、悲しみも。そして、絶望を養分にして咲く花すらも見つけなくてはいけない』
 忘れていない。
 苦難の最中にあってさえ、歌を唄えるように。悲哀の友のために言葉を紡げるように。最善をなすことが、カクヤの生き方だ。
「だったら、どうして刀も選んだんだ?」
 また何気ない質問をされて、ひゅっと、おかしな息の吸い方をしてしまった。いぶかしげに見下ろされる。
 どうして、苦難に抗う歌を選ぶと同時に、悲嘆を呼び寄せる刀を手にすることを選んだのか。返答までに要する一瞬だけの沈黙は見せたくない過去の片鱗を覗かせてしまっただろう。
 隠すために、カクヤは笑った。
「刀士の歌がかっこよかったからだな」
「そりゃ斧士の歌に比べたら、決まる曲が多いだろうな」
「ソレシカは、格好いいよ」
 素直に言うことができた。
 一度だけしか手合わせはしていないが、勝利に向かって真っ直ぐに戦えるソレシカは、清々しかった。戦う者はかくあるべし、というほどに。
「あれ? 二人ともまだいたの?」
 タトエに声をかけられた。後ろには同級生らしき少年がいる。
 その少年の姿を見て、カクヤは息を吞んだ。
 少年の様子は異端であり、また、言語に絶する美しさだった。可憐などといったかわいさではない。芸術家が硝子に針で、一本ずつ丁寧に傷を刻んでいき、造り上げた痛みを感じさせるからこその、かんばせをしていた。
 透き通った銀の髪に、こちらを伺う鋭い瞳は紫水晶だ。幾重もの反射を刻まれている。鼻梁は通っていて、唇はぽてりと紅を落とした赤さだった。
 制服の肩当てとリボンの色は青だ。丈が長く、コート仕立てにしている。
 猛りあげ炎天に咲く白雪よ。
 酷暑の季節にあってさえ、彼の周囲には雪が溶けることなく静謐といった様子で佇むのだろう。
「まだいたのかってひどいな。タトエと一緒に帰りたいなあって、思ったんだよ」
 ソレシカの声に現実に引き戻された。
 言われたタトエはすでに見慣れた困惑の笑みを浮かべている。
「べつに、いつも一緒にいなくてもいいんだよ」
「照れ隠しか?」
 カクヤにとってはいつものソレシカの言い方だった。
 タトエからの愛情を疑わない。まだ実ってはいないにしても、いずれ恋の花を咲かせるためのアプローチだ。
 だけれど、いままで口を閉ざしていた少年が言う。
「あの、そういう気持ち悪いことを言うのは止めた方がいいです」
「ん?」
 口にされた内容の露骨な厳しさと嫌悪にソレシカはタトエから視線をずらした。
 望みもしない好意を寄せられ慣れているだろうと、容易に想像できる少年は滑らかに棘の言葉で刺していく。
「相手に好意を寄せていても、その相手が同じ気持ちだとは限らないから。知らない相手に距離を詰められると、怖気が立つものです。そんなことも想像できないんですか?」
「だとさ。ソレシカも少し、言い方を変えたらどうだ?」
 カクヤは和やかな雰囲気になるように気をつけながら、言葉を続けて場を取り持った。その意図に即座に気付いたタトエが続く。
「ありがとう、アユナ。ソレシカも反省して、もう少し場の空気を読んでね」
 尋常ならざる美しい少年の名前はアユナというようだ。
 ソレシカはタトエの言葉に「へーい」と応える。不満そうではあるが、不快というほどではない。
 名前も知らなかった後輩に突っかかる真似をされないことがわかり、カクヤは緊張を解いた。
 アユナはタトエの言葉に小さく頷いてから、言葉をかけた相手にだけ挨拶をして去っていく。振り向かずに、真っ直ぐに前を向いて歩く姿は、一人でいることを当然とする潔い少年のものだ。
 タトエはアユナを追いかけなかった。カクヤとソレシカに向き直り、帰ろうと促してくる。いつもの三人に戻って、沈黙の楽器亭に帰ることにした。
 セイジュリオの門を出て、賢者通りからロウエン広場へ向かう途中に、一人の青年が立っている。見慣れないが見覚えのある姿だと目をこらしてから、その青年が誰であるかに気がついて、カクヤは眉を寄せた。
 とはいえど、回り道もまだできない所にいる。
 カクヤは面倒な覚悟を決めてから、青年に向かって進むことを決めた。タトエも途中で、青年のことを思い出したのか、表情が硬くなる。ソレシカだけが呑気だ。
 通り過ぎる前に、カクヤは青年に声をかけた。
「また、なにか用事ですか」
「ええ。話があります」
「俺にはありませんから」
 素っ気なく言い捨てて、通り過ぎていく。青年、クレズニ・ロストウェルスはカクヤの後を三歩だけ離れてついてきた。
 初対面に近い相手だが、カクヤはサレトナの兄だというこの青年に怒りを抱いていた。初めて会った時に、サレトナを「愚妹」と言い捨てたことを、忘れていない。
 兄妹仲が不仲であるとしても、相手を貶める言い方をするだろうか。言われたサレトナが傷つかないと傲っているのならば、腹が立つ。わかっていて言ったのならば、クレズニについて理解することに苦しみを覚える。
 クレズニは再度、呼びかけてくる。カクヤは応えなかった。
ソレシカが小さな声で言う。
「珍しいな。そういう態度を取るの」
「ああ。珍しいよ」
 無視をすることは好きではない。どのような相手であれ、接触を持とうとするのならば、応じる必要はある。
 だが、クレズニが自身の失言に気付くまではまともに相手をしたくなかった。
 かつかつと、靴音を立てながら歩いていく。
 目の前に壁ができて、ぶつかりかけたので、のけぞった。
 カクヤにとって妨害をする相手の心当たりは一人しかいない。眉を寄せながら振り向くと、クレズニは冷静さを保ったまま言う。
「そろそろ、我侭も止めてもらえませんか」
 どの口が言う。
 心の底から思うが、言葉にはしなかった。代わりに舌打ちを一つして、カクヤは聖歌の詠唱を行う。
「空を翔る天のきざはし!」
 一時的にだが、空に階梯をかける聖歌によって、壁に乗る。
「タトエ、ソレシカ。来い!」
 カクヤに続いて、タトエとソレシカも壁を乗り越えていく。三人が越えると他の人の通行の邪魔になるためか、壁は消えた。
 クレズニは走って追いかけてくる。カクヤたちはつかまらないために走る。聖歌による補助があるためか、距離は少しずつだが広がっていった。
 その度に、クレズニは地形を利用した罠を仕掛けてくる。短い詠唱で、煉瓦を隆起させることや、木々による遮りなどが起きる度に足を止めざるをえない。魔法か聖法か、魔術かは不明だが、全て一時的であり、振り向くと日常の風景に戻っている。
 だとしても、クレズニの世界に対する干渉の速さは異常だ。
 またも、カクヤの足下に足をひっかけそうになる高さの瓦礫を積まれて、たたらを踏んでしまう。
「こら! 街中で傍迷惑な魔法を使うな!」
 窓から怒鳴り声が聞こえてきた。
 俺たちのせいじゃない、とカクヤは内心で声を返しつつ、また走る。
 その前にも、人が立ち塞がった。広場を抜けて、細い通りに入ったことが失敗だったようだ。
 レクィエ・ノーネームは両手を背にしながら笑っている。
「追いかけっこの気は済んだか?」
 荒くなり出した呼吸のまま、背後もクレズニによって塞がれる。
 前門のレクィエと、後門のクレズニという存在によって、カクヤは仕方なく降参した。


 『無音の楽団 Re:Praying』
第三章 「出逢った音は千変万化の色を鳴らして」

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