第三章 出逢った音は千変万化の色を鳴らして 一括掲載版

 暗室喫茶ヨラズノベ。
 レクィエによって連れられてきた場所はその名の通り、階段を下った先にある薄暗い喫茶店だった。空板を起動しようとするが、反応する気配はない。
 外部と連絡の取れない場所だ。タトエとソレシカが付いてきてくれたことは、せめてもの救いだった。
 カクヤはクレズニに切り出す。
「それで、一体何の用なんですか」
「カクヤさん。貴方は、どうしてそれほど怒っているのですか?」
 質問に質問を返されただけではなく、純粋な困惑を感じ取って、カクヤは先に注文をすることにした。赤いエプロンをした、竜族の青年がオーダーを書き取ってくれる。
 カクヤがコーヒーを頼んだところで、ソレシカが尋ねる。
「おごり?」
「自分で払え、学生」
 流れるように応えたレクィエもソレシカとは相性が悪そうだ。どうして、望んでもいない会談を開かなくてはならないのかと、カクヤの頭は痛くなる。
 意地を張っている自分も馬鹿らしくなるが、譲れるものではない。愚妹と言われた時のサレトナは傷ついたことを懸命に隠していた。
 たった一人の兄という存在に、鋭い鞭打たれる扱いをされるのは、サレトナがかわいそうだ。
「誤解があるようですが、私は純粋な心配でサレトナの様子を確かめに来たのです。サレトナは、安全に過ごせていますか」
「今日はフィリッシュたちとアクトコンっていう課外活動を見にいくと言っていましたけど」
「そうですか。フィリッシュさんがいてくださるのなら、安心できますね」
 言って、クレズニは穏やかに微笑する。
 その笑顔はサレトナを罵倒した時とは正反対の慈しみに満ちていて、カクヤは先ほどまで抱いていた敵意が狂うのを感じた。
 サレトナのことを嫌っているのか、心配しているのか、はっきりとしない。片方だけであったらこちらも明確な立場が取れるのだが、クレズニのサレトナへの感情は屈折しているようだ。
 だが、これから毎日、クレズニからサレトナのことを聞かれるとしたらたまったものではない。勝手に個人の情報を流出させることに罪悪感を抱かないでいられるほど、性根が腐っているわけではないのだ。
 そのことをクレズニに尋ねる。
「いえ。私は、貴方たちを確かめたかっただけです。サレトナを預けても安全なのか」
「どう証明しろと?」
 クレズニは一枚の紙を差し出した。薄紅のざらついた紙だ。
「クルクマの契約書だな」
 レクィエが補足する。
 「忍耐」の花言葉を持つ、花の効果が宿った契約書だ。一度記名したら裏切ることは許されない。
「こちらに、サレトナを傷つけないと約すことはできますか」
「できない」
 カクヤは即答した。想像していたよりも早い否定にクレズニは黙る。
 薄紅の紙面を前にしながら、カクヤはまた怒りを溜めていた。
 サレトナを傷つけないなんてことを約束できるわけ、ないだろう。
 カクヤもサレトナの自傷魔術を否定し、守りたいと願ったわけだが、それと傷つけないと約束するのは違うことだ。
 すでに、サレトナを否定することによって傷つけたから理解している。
「傷つけないなんてことは誓うものでもないだろ。俺はただ、サレトナが嫌じゃない限りは、仲間でいたいだけだ」
 クレズニはしばらく契約書に手を置いていたが、引き下がった。契約書も脇に置いていた鞄にしまう。
「貴方は思っていたよりも頑固ですね」
「そっちほどじゃない」
「わかりました。私は、一旦、貴方たちを信用することにします。ですが、サレトナに何かありましたら」
 クレズニの言葉をタトエが遮る。
「そこまで言うのなら、どうして一人でアルスに来させたんですか?」
 クレズニは目を逸らすことはしないが、黙った。短い沈黙の後に口を開く。
「サレトナの希望でしたから」
「おかしいです。前に、サレトナはセイジュリオを受験することになったのは、そちらの父母に勧められたと言っていました」
 カクヤも思い出す。タトエと三人で、カモノハシの涙で食事をした時に、受験のきっかけについて話をした。カクヤとタトエは自ら進んでだったが、サレトナはタトエの言ったとおりの答えを返したはずだ。
 クレズニは考え込んでいる。ロストウェルスという一族の中であっても、食い違いがあるようだ。
「外に出ないと、危険な理由がサレトナにはあったのかもな」
 ソレシカの発言によって、立場が逆転した。今度はクレズニが追求される番になる。
 カクヤたちはサレトナにとって仲間であり、同じ下宿先で暮らしている相手であると同時に、友人だ。
 まだ力の及ばない身ではあるが、危険があるのならば見過ごせない。
 レクィエは口を挟まずに、店員によって置かれたアイスコーヒーを口にしている。孤立無援を悟ったのか、クレズニは言う。
「ロストウェルスには機密が多いため、私からは何も言えません」
「じゃあ、もう帰っていいですか。夕食には間に合わないとまずいので」
 宿長であるナイテンの雷は恐ろしい。静かだからこそ、威力が大きいのは、未だ体験していないが従業員から聞いている。
 クレズニは頷いた。
 カクヤたちは立ち上がる。財布を出そうとしたところで、クレズニに遮られた。自分に付き合ってもらったのだから、この場はよいと言われる。
 帰ろうとしたところで、カクヤは思い出した。大切なことを聞かなくてはならない。
「クレズニさん。サレトナが自傷魔術を扱う理由は、知っていますか」
「知っていますが、一つ間違えていますよ」
 クレズニは空に字を記す。
 その字を読み、カクヤは激しい自己嫌悪に襲われた。
「サレトナは自傷、ではなく。自らが償うという自償魔術です。まあ、勘違いする人は多いので、お気になさらず」
 クレズニの慰めが勘違いという傷に染みた。
 いくら間違えやすいとはいえ、自分はなんていう間違いを犯していたのか。
「ありがとーございます!」
 カクヤはクレズニたちに背を向けて、入り口を出て行くと、階段を駆け上がっていく。その後をタトエとソレシカが追いかけてきた。

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