第三章 出逢った音は千変万化の色を鳴らして 一括掲載版

 休みが終わるとまた学生としての責務が始まる。
 月の曜日から金の曜日まで、多様な授業を受けていく。地理や数学、言語といった基本的な座学に始まり、道具に属性を付与するといったセイジュリオ特有の実習まで様々な科目が並ぶ。
 そうして金の曜日の一時間目が終わった頃に、サレトナが考え込んでいた。後ろの席で難しい顔をしているので、カクヤは声をかけた。
 サレトナの答えは複雑なものだった。
「どこの学校にも、戦闘実習という授業はあるの?」
「あるところはあるし、ないところはないんじゃないか?」
 カクヤも確信を持って答えることはできなかった。サレトナもはっきりとした答えが得られなかったことにより、また考えの渦に落ちているようだ。
 サレトナの質問の意図を確かめるために、カクヤはサレトナが知りたいことを尋ねる。サレトナ自身もはっきりとした質問を見つけられていないようだが、話を聞いて、その断片をカクヤはまとめた。
 つまりは、絢都アルスの住人にとって戦闘技術を身につけることは当たり前なのか、ということだ。
「なんか俺の授業でわからないところあった?」
 会話が耳に届いたのか、一時間目の授業の教師であるローエンカが近づいてきた。サレトナは生真面目な表情のまま、カクヤに投げかけた問いをローエンカにも尋ねる。
 ローエンカは二、三度頷いてから面白そうに笑った。
「いいところに目を付けたな。じゃあ、次の授業が始まるまで、簡単にどうしてセイジュリオでは戦闘実習があるのか、そのセイジュリオにどうして入学希望者がいるのか、説明するよ」
 ローエンカはカクヤの隣の席に座り、話を始めた。
 第一に、戦闘実習自体はどの学校においてもそれほど珍しいものではない。セイジュリオ以上に戦闘に重きを置いた学校も存在している。
 ただ、セイジュリオでは技法の開発に主眼を置いて戦闘実習が用意されている。それは編み出された技法を戦闘だけではなく、実生活にも役立てるためだ。例えば、火を扱う魔術を覚えていたら、野外で火を起こせない状況であっても、魔術によって火を起こせるというのが一例だという。
「セイジュリオというか、アルス自体が技術発展を重要視しているからな。そこにあるセイジュリオも、新たな技術によって世界をより良くしていくための学校、っていうのがポイントだ。そういうところに力を入れているから、アルスは農耕や漁業、畜産といったものも免除されている。まあ、土地が向いていなかったってのも大いにあるが。ここは昔も昔、大分荒れたからな」
 ローエンカの説明にサレトナは興味深く頷いている。カクヤも同様だった。
 カクヤがセイジュリオに転学した理由として、故郷を離れたかったというのはある。だが、いま説明されたように特殊な授業科目と技法の研究に興味を持ったのも、事実だった。
 サレトナがそれらについて知らなかったのは意外ではあるが。
「だから、戦闘技能の向上のためだけに戦闘実習があるわけじゃないんだよ。ロストウェルス。セイジュリオの戦闘実習は、まず技術発展のために。あとは護身のために。とはいえ、芽のある学生は、将来都市の戦闘職に就くこともままあるな。あとは地方に戻って、狩りや牧場の警備とかもする仕事もあるから、チャプターを作って団体での戦闘に慣れさせておくんだ」
「アルスでは誰も彼もが戦えるのかと思いました」
「戦えるぜ? まあ、個人差はあるけど」
 その返事にサレトナは驚いていた。
 ローエンカは再び説明する。
 絢都アルスは大陸シルスリクの各地で対応しきれない災害や、犯罪が起きたときに技能職員を派遣する。また、遠い過去の話ではあるが、戦乱のあった時代の風習が残っていて、アルスの民は戦闘のための聖法や魔術、武器を扱うようになった。
「力があると、犯罪や暴力という方向で使われがちだけど。アルスであんまりそういった騒ぎが起こらないのは、互いに力を持っているから、抑止しあっているってのがあるな。あと単純に、暴力目的の力の行使は重罪」
 その話を聞いて、クレズニが数日前に壁を作るなどしたことは大丈夫だったのかと、少しだけ気にかかった。場合によっては犯罪にもなるため、魔法を使ったことに怒った人物がいたのだろう。
「と、いうわけだな。で、肝心のセイジュリオへの入学希望者だが。純粋に技術を磨きたい奴もいるし、将来の都市への就職のための布石にする奴もいる。戦闘技能を上げたいだけなら、別の学校に大抵は行ってるよ。そういうところは非認可が多いから、俺はおすすめしないし行きたくないけど」
 これでいいか、とローエンカに尋ねられて、サレトナは頷く。満足した様子だった。
「じゃあ、ローエンカ先生。セイジュリオには戦闘に特化して学びに来た方はいらっしゃらないんですね」
 最後の確認に、ローエンカはいままで逸らさなかった視線を初めてずらした。向かっているのは、上空だ。
「あー。完全に、そういう、びっくり箱がいないわけでもない。そういうことにしといてくれ」
 カクヤとサレトナは揃って首を傾げた。
 ローエンカは苦笑して立ち上がると、そのまま教室を出ていった。その背中を見送りながら、荷物の増え始めた教室を見渡す。二学年一クラスの学生たちで荒々しい話はまだ聞いていない。ソレシカなどは何を考えて、セイジュリオに来たのかは少しばかり気になる。異常というほどではないが、かなりの戦闘能力を持っていた。
 そこで、鐘が鳴った。
 窓際にいたロリカとフィリッシュや、外に出ていた清風などが戻って席に着いていく。全員が着席したところで、ヤスズが入ってきた。
 次の授業は、神学になる。
 学生たちが全員着席してノートを開いていることを確認してから、ヤスズは話を始めた。
「今日から新たな神に関する授業になります。神は上位存在の一種とされていて、私たちが扱う聖法、魔法、魔術、そして生活全てに関わりを持っています。多様な神がいるとされていますが、こちらの授業で扱うのはその中の一握りです。時間がありましたら、様々な神に、また他の上位存在についても触れてみてください」
 そういった前置きをしてから、授業は始まった。
 ヤスズは白板に三文字を記す。創世神。固有神名は伏せられていて、横に「またたきをしたもの」という遠称が添えられた。
 さらに、ヤスズは創世神の下に聖や魔を司る神を書いていき、一番下に土地神と記した。他には小摂理神などと細々した神を記載し、終わりにした。
 土地神のところに赤いマーカーで丸がつけられる。
「アルスには二柱の守護神がいます。なんというでしょう」
 カクヤの右隣に座っていた、ルーレスが手を挙げた。
「『あなたに呼ばれた』と『私が紡いだ』です」
「はい。正解です。まずは、『あなたに呼ばれた』が先に存在し、それから『私が紡いだ』が語られるようになった、というのが通説になっています」
 その説明の後に、カクヤが手を挙げる。気になったことがあった。
「もとはアルスの守護神は一柱だったんですか?」
「語られなかったものに名前を与えられたのか、それとも後ほど生まれたのか。まだ議論の余地があるとされていますね」
 答えは自分で見つけろということらしい。確かに、一から全てを教えられては授業をする意味はない。必要なことを教えて、それ以上を求めるならば、自分から知識を得る姿勢が重要になる。
 先ほどのローエンカと比べても、ヤスズは手厳しい。
 それでも、誰も不満は述べない。学生たちは自ら学ぶ姿勢を求められていることなど、とうに承知していた。
 ヤスズの授業は続いていく。
 戦争が終わり、四大都市の一つとして発展した後に「アルス」と命名されてから、絢都アルスの守護神は存在が認識されだしたという。アルスとなる前は別の守護神がいた可能性もあるが、その神がどういったものかはどの書物にも遺されていない。『あなたに呼ばれた』と『私が紡いだ』の存在強度を揺るがせないために、他の神を異なる上位存在の領域に引き上げる際に全ての記録を抹消したとされるのが有力な見方とされる。
 また、守護神は存在を見せることがあるのかといえば、ある。上位存在は概念として在るが、物質にも変化できる。人と話せる形を持つことが可能だ。
「ですから、道で話しかけてきた方が実は神や上位存在であるということも起こりうるので、不躾な対応はしてはいけませんよ」
 そこまでアルスの守護神の話をして、土地神の話は終わった。
「まだ時間はありますね。では、少しだけ神と聖法、魔法と魔術の関係を話しましょう」
 正面にかけられている時計を見ると、授業は残り半分といったところだ。
 ヤスズは再び説明を始める。
 聖法、魔法と魔術においては「承認」が重要な過程とされる。聖法などを実現させるエネルギーは祈りであり、祈りが世界に働きかけて、法則を変化させる。これまでなかったものをあることにするというのも、一時的に世界を誤認させることを「承認」されて、行われる。
「聖法は純粋な奇跡であり、魔法は手のかかった細工であり、魔術は過程の簡略化なんです。ざっくりとしたまとめになりますが。それが、現時点での聖魔法術学の結論です。内部からの働きかけが祈りや詠唱、行動となって表れ、それらによって、外部から使用者の望みを叶える働きかけが行われます」
 一度、そこで言葉が切られた。
「ただし、上位存在と特定の契約を交わした存在は『摂理』といったものを得ます。摂理は聖法、魔法や魔術では打ち破れません。摂理はルールですから、その摂理の内容が『常時発動で魔術を封ずる』といったものでしたら、一定範囲では魔術の使用が不可能になります。ずるいことですよね」
 穏やかな微笑と共に同意を促される。カクヤは反応に悩んだ。
 ずるい、とも言えた。摂理を得た存在は戦いの場に限らず、日常においても得た効果を発揮できるのならば、それは周囲に対する威圧になる。
 それほどの摂理が必要な状況といったものは、どれほど過酷なのだろう。
「とはいえ、摂理を得るにはその摂理に適合する根拠が必要になります。いきなり、日常において特異な存在になることは不可能ですので、皆さんも軽率に摂理を得たいなどと考えませんように」
 支払う代償は、大きいです。
 最後に口にされた、警告の言葉が深く教室に染み渡っていく。誰も声を上げない。視線をヤスズから逸らさない。
 重い空気の中、ヤスズが一転して穏やかな雰囲気をまとうと、緊張は解けた。
「はい。では、残りの時間は今日学んだことのまとめと感想を書いて提出してくださいね」
 ヤスズは卓上に置いていた紙を取ると、前から三枚ずつ配っていく。カクヤはサレトナに渡した。手が触れあうことはないのだが、学生らしいことができて良いなあ、などとカクヤは呑気にその瞬間だけは思ってしまった。
 カクヤは紙に向き合うと、ヤスズの話で印象に残ったところを書き出す。最後に語られた摂理と、あとは『私が紡いだ』に関心があるという感想を記していった。内容のまとめについては自信がない。アルスという名前が付けられてから、神が二柱存在するようになったこと、また摂理について書いていく。
 最後の一文字を記したところで、鐘が鳴った。今度は後ろから前の席へと紙が回されていき、ヤスズが回収する。
 清風の号令によって挨拶をすましてから、ヤスズは教室を出ていった。
 カクヤは右隣の席で、涼しい顔をしているルーレスに話しかける。
「さっきはすごかったな」
「なにが?」
 答えた本人にとっては当たり前のことのようだった。カクヤが二柱の遠称を当てたことを説明すると、合点がいったらしい。
「覚えていたらすぐにわかることだよ」
「ルーレスは、昔からアルスに住んでいるのか?」
「うん。だからすぐにわかった。それだけ。アラタメだって、自分の街の土地神の遠称なら思い浮かぶだろう」
 それはそうだった。
 カクヤが同意を示すために頷くと、ルーレスは話を切り替えていく。
「聖法、魔法や魔術。空板といったものがあり、神かそれに類する上位存在がいるからこそ成立する世界。それが、トラストテイルであり、ここがその大陸の一つであるシルスリク。さらにその中の重要な都市である、絢都アルス。不思議な構造をしているよね」
「構造?」
「うん。人知ではあり得ない技術があるために、人は、人や他種族、また動物以上の存在があることを認めた。そしてその上で僕たちの日常は成立している。だったら、その神があらゆるものを僕たちから取り上げたら。どうなってしまうのだろうね」
「いまあるものが、当たり前ではないってことか?」
 カクヤの問いかけにルーレスはただ微笑むだけだった。是も非もない。答えはカクヤが出すべきだとでも言うように、次の授業の準備をしている。
 ルーレスの言うとおり、日常を送る上で必要な技術や道具を借りているだけだとしたら。そして、ある日突然それらを貸し出されることが止まってしまったら。
 この世界はどうなるのだろうか。
 不便になるとしても、生きられるのならば、まだ良い。
 問題なのは人として生きていくことが不可能な世界になってしまうことだ。
 カクヤは次の授業が始まるまでのあいだ、ルーレスの言葉の意味を考えてしまった。

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