雨夜の月 2巻感想

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感想

5話「領会」

 理解して、承認してもらう。たったそれだけが困難であるから。

 奏音が授業、部活動と学校生活への馴染みを深めていく転機の話でもあります。
 この話では初めて男性としてしっかり登場する人物がいます。現代国語の「三浦先生」です。彼が、今回は大きく話を進めていきます。それは奏音の障害に合理的配慮の姿勢を見せることです。奏音の要求を否定することもせずに、また健常者と同じ対応を奏音に求めないで自分が変わることを選びました。
 この話を改めて読むと「合理的配慮」とはこういうことなのだな、と学ばされる気持ちがあります。障害者のために「変えよう」「変わろう」とよく人は言いますが、それをする当事者になると「面倒」でしたり「どうしたらよいか」と考えて答えが出ないために障害者の方へ「あなたが変わろう」と言い直す方はよくいます。もしくは環境だけを変化させて合理的配慮とごまかすこともあります。
 ですが、今回の三浦先生は奏音が冒頭で授業をしっかりと受けないのを見逃さず、話をする機会ができたら「どうして授業を受けないのか」という理由を確かめてから自分を改善させます。
 これだけでもすごいことですが、さらに奏音に対等な取引として文芸部への勧誘もします。奏音と咲希の担任である関口先生は奏音に「あなたのためだから」と部活動を誘ったのに対して、三浦先生は先生や文芸部にも奏音が入部することによって廃部を免れるメリットがあるため、入部を誘いました。こちらでしたら奏音の心のハードルも下がります。
 すごいなあ、三浦先生。
 そして最後の締めとなる奏音の家のプレハブ部屋でのやりとりで奏音は気付きます。

「嬉しかったんだな。怒られたの」(雨夜の月,2022.3,34p,講談社)

 優しくされるだけでも人は息が詰まります。
 相手ができないではなく、ただしないときは「それはだめだよ」と言うものです。ただ、そうだとしても相手が「したいけれどできない」場合であったらその人に対する無理強いはだめです。こちらが変わりましょう。


6話「理解者」

 優しい振りをしたいだけなら近寄らないで。

 奏音の妹である、凛音の登場です。彼女によって奏音が家族に愛されて育ったことが伝わる話でした。その及川一家と対比して、咲希は家族に愛されていたけれど愛を実感できていたのか不安になる金田一家族とのやりとりもありました。咲希が優しく我慢強いのも、生育環境が影響しているのかもしれません。与える愛情には慣れているけれども、愛情をもらうことに不安がっている印象を受けます。
 
 奏音が文芸部に入部して明るい雰囲気で始まりますが、前話の三浦先生に関する仄暗い話もさりげなく交えつつ、今回は負の話です。
 先述しましたが奏音の妹である凛音が登場して、咲希と二人で話をするのですがその内容の鋭く的確で痛い、こと。
 凛音は姉である奏音が大好きで大切だから、咲希が「障害者」の「理解者」として振る舞うことを拒絶します。かつて奏音が友人であった人に傷つけられた、同じところを見たくないと言い残して去ってきました。
 前話で三浦先生が「教師」として奏音の理解者になれたのに対して、咲希は「友人」として奏音の理解者になれるのか、と突きつけてくる疑問。これは間違えてはいないと私は思います。
 障害者は実の家族ですら敵になることがあり得ます。その障害者の友人になるということは求められる役割が大きくて重いです。障害者当人ですら理解しきれない苦痛や負荷を、友人が背負えるのか。背負う必要があるのか。付き合っている間に潰れて逃げていくことが多いのも納得します。かつての奏音の友人であった、一巻に登場した彼女のように。
 それを、凛音は心配しているのです。心から、中学生の妹として姉を気遣っている。
 咲希のことを考えると凛音の言い分も強過ぎるとは感じますが、凛音の立場になるとそれほど攻撃的になるのも、彼女の苦しみからだと共感してしまいます。


7話「邪魔者」

 貴方は大切な人なのにどうして同じ傷を選ぼうとするの。

 第六話のアンサーになる話です。
 ついに奏音と咲希と凛音がプレハブ部屋に揃うことになり、凛音は咲希に直接言葉による攻撃を加えてきます。それを奏音が止めることにより、凛音は家を飛び出していきました。
 そうして凛音が帰ってこない。けれども、障害により捜しにいけない奏音が咲希を呼んで助けを求めます。無事に凛音は見つかり、三人の和解のきっかけにもなっていきます。
 というのが今回のお話のざっくりとしたあらすじ。
 負の面の話であった前話に対して今回は安心できる話でしたね。解決したわけではありませんが、奏音の意思がありました。
 
 「咲希にだったら利用されてもいいし 騙されてもいいよ」(雨夜の月,2022.3,85p,講談社)
 
 この台詞を言えるのが奏音の根源的な強さであり、純粋さなのでしょう。相手がしたことでもその相手を選んだ自分の責任だと覚悟して選択できる強さがある。眩くて憧れます。
 同時に、そこまで奏音を心配してくれる家族がいることを羨ましくもなります。妹の凛音は奏音と衝突して飛び出していき迷惑をかけるのですが、それもまた凛音が咲希を見直すきっかけにもなりました。
 咲希も助けを求めた奏音に、一緒に凛音を捜しに行こうと励ましてくれます。その優しさには見栄も打算もなく、ただ相手の不安を取り除いてあげたいという一心にこれは頼ってしまわざるを得ないとくらっとしてしまいます。
 前半は奏音や障害について語るところが多かったですが、『雨夜の月』で両輪なのは奏音と咲希です。ただ、咲希はまだ苦しみが明確に可視化されていません。これからどうなっていくのか不安になるところもあります。
 それでも、凛音を見つけた時に奏音と同じくらい安堵できる優しさは咲希の美徳だと紛れもなく感じます。


8話「不平等」

 平等と公平の違いを考えたことはありますか。

 奏音を意識し始めた咲希。いつものプレハブ小屋に行き、日曜日に映画を見にいこうと奏音に誘われます。
 そうして行った映画館で三浦先生と娘である悠さんと会います。奏音が三浦先生に「自分は字幕ではないと見られないのでいまヒマがある」と説明すると三浦先生は「平等と公平」の話に触れました。「平等と公平の違い」の説明を奏音と咲希は受けます。
 三浦先生に好感を抱いている奏音に咲希は不快感を覚えて話題を変えます。ですが、それは奏音を傷つける話題でした。

 概略は上記の通りになります。正確な内容が知りたい方は是非原作をお読みください。
 さて、今回の軸は二つあります。一つは咲希のもんやりとした奏音への感情が表出し始めることです。最初から奏音のことを意識していた咲希ですが、今回は形を持った「恋」へと変わっていきます。このモノローグでも咲希は自分のことを「頭が悪いから」と表現します。けれど、それは読書が好きな奏音との言葉のレパートリーの差を表しているのかもしれないとも感じられました。咲希の感情は素直で強そうです。
 もう一つの軸は「平等と公平」です。私はこちらがより強く響きました。
 自分が困らない間はどれほどの差異があっても、不便なことが存在していても気にならない。そういった傲慢さが突き刺さるようです。仕方のないことです。けれども、三浦先生が口にした「誰だって何かでマイノリティになる可能性は在るのに」(雨夜の月,2022.3,136p,講談社)という言葉は実感を持って受け止めなくてはならない重みがありました。「何か」の要因は事故や病気、発見など様々なものがありますが、ある日突然自分が「他の誰とも分かち合えない孤独・不自由」を受け止めなくてはならない時は訪れます。その時に、できるだけサポートを受けられる世界にしていかないとなあと難しい顔になってしまいました。
 マイノリティの話になりますが、奏音は最初から聴覚障害でマイノリティに属する存在と描かれていました。ですけれども、咲希も同性愛者というマイノリティの中にいると今回浮かび上がります。
 奏音の身体という表象として表れているマイノリティと、咲希の内心という秘めたものとして表れないマイノリティは、今後どうなっていくのでしょうか。とはいえど、もう六巻まで出ていますけれども。

 最後に、奏音が咲希の「年上の男の人がタイプなの?」(雨夜の月,2022.3,141p,講談社)をきっかけにして、奏音は過去に男に人に媚びていると周囲に言われて傷ついた、という話をします。だけれどそれはただ不愉快だったと訴え出るだけではなく、咲希に自分が何に傷ついたかを知っていてもらいたいということにつながりました。
 奏音の咲希を信頼できる強さが染み入ります。傷つけられることがあるのは仕方がない。だけれど、その理由を伝えて許す。私もそういったことができるようになりたくて、また許される関係を築いていきたいです。
 奏音の格好良さと無邪気さが光った回でした。だからこそ咲希の燻りがまた対比のように息苦しいのです。



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