『室井慎次 生き続ける者』(11月16日 映画視聴)
泣きました。
ぼろっぼろと、中盤からもう、涙が止まりませんでした。
「生き続ける者」というダブルミーニングのかかる箇所が、重すぎて、それでも生き続ける者を考えるだけでいまも涙がぼろっぼろ流れて止まりません。
結局、室井さんの穏やかだった生活を揺るがし始めた事件については、少し進んだだけで解決していません。ただ「室井モデル」が動き始めました。そうして、最後に青島さんも数分だけ姿を見せて、「踊るプロジェクトはまだ続いている―――」と締められました。
終わらせることにより、始まった。
この演出の心憎さが伝わるとよいです。バトンを繋ぐ大切さ。室井さんは、警察を辞めたとしても、手にしていた未来へのバトンはまだその手の中にあった。それを、おそらく青島さんが受け取ってくれた。また泣いてしまいます。
同時に、受け取ったのは青島さんだけではない人生だったと、『室井慎次 敗れざる者』・『室井慎次 生き続ける者』は語っていました。
大変恥ずかしいことを告白しますが、ここまで書いておきながらも、私は「踊る大走査線シリーズ」をしっかりと内容を覚えているほど観ていません。ですので、実を食べずに皮を齧った程度の「踊る大捜査線シリーズ」に対する理解力だと思います。
それでも、室井慎次さんの生き方は私の情緒を崩して叩いて砕いて、また再生してくれました。
本筋を知らない人間の心をここまで揺さぶる作品だということを伝えたくて、いまはこちらの感想を書いています。ですが、『室井慎次 生き続ける者』について、どこまで語ってよいのでしょう。どこまで語ればよいのでしょう。公開したばかりなのもあって、悩みます。同時に書き残したいことも沢山あって、いまもキーボードを叩いては削除しています。
「生き続ける」ことを託した相手は、青島さんだけではありません。家族として共に過ごした貴仁君と凜久君、杏ちゃん。それ以外の人たちにも、室井さんは多くを語りませんでしたが、沢山のことを伝えてきました。
特に印象に残っている場面は五つあります。
まず、貴仁君。
本を売却して「参考書を買います」と笑った場面です。
今回、苦い失恋を経験したのでしょう。二人で歩いていた帰り道が、一人になり、雪を蹴り飛ばして滑ってしまう。
それでも「東京大学」を目指して勉強する姿に、「警察官になる」と言う場面に熱いものを感じました。自分で未来を選択し、前作「敗れざる者」の被害者に対して「おまえのようにはならない」と言った場面も思い出されました。人は環境によってどこまでも腐ってしまう生物です。泥にまみれていても美しい、などとのたまうのは外側の勝手な見方です。泥の中に好んで住む方は滅多にいません。
室井さんと家族であることにより、貴仁君にとって辛いことも不便なこともあったとしても。それでも、前を向かって自分の力で生きていける環境であった。そうであると、私は信じています。ここまで書いて、「敗れざる者」にあった杏ちゃんが持っていたスマートフォンのゲームに目を輝かせた演出に胸をえぐられるなど。
二つ目は、杏ちゃんです。彼女は洗脳されたと思いきや、反省できる強さを持った子でした。
猟銃を室井さんに撃たせてもらったシーンで、力、より強く言うのならば暴力を振るったことに杏ちゃんは怖さを覚えました。覚えることが、できました。そして室井さんは更に言います。
「人を守るものだ」
傷つける気持ちがなければ、猟銃だって守るものに変わる。杏ちゃんの心の氷を溶かし始めるきっかけは、こちらにあったのではないでしょうか。だから、凜久君の父親が襲い掛かった時に猟銃を手に取った。
行為の是非はあろうとも、杏ちゃんは守るために動きました。
三つめは凜久君になります。「生き続ける者」として焦点が沢山当たって、辛かったです。正直なところ。
どうして、杏ちゃんの言うことを素直に信じるのかと序盤の万引きのシーンで首をかしげていたのですが、児童相談所で職員さんの「人と関わってこなかった」という台詞により腑に落ちて、自身の偏見をとても恥ずかしく思いました。
「生き続ける者」で学校に行き、加害者に「スマートフォンを持っていないから」というだけで殴られて。だけど、次はやり返して。エンディングでは、サッカーをして笑っていました。
だけれど、きっと凜久君はずっと「室井さんを捜しにいく」と言ったことを忘れないのだろうなあと思うと、また涙が出てしまいます。
四つ目が、その児童相談所のところなのです。
凜久君の父が出所して、戻ることになった時。職員さんは室井さんに「自分の方が凜久君の父親として適正なのではないかと思っていませんか。ですが、凜久君の本当のお父さんは別にいます」といった内容のことを言います。
どちらが正しいのか、本当にわかりませんよね。正しい親というのは、子供というのはどういうものなのだろう。それぞれが望む生き方に正しさなどあるのだろうか。
ですが、室井さんが凜久くんに「あたたかいから、好きだ」と言われたことは事実です。それが、大事なことなのではないでしょうか。誰かに触れて、怖い、冷たいと感じるよりも温もりを感じられて一緒にいたいと思える人といられたら、どれだけよいか。
反して、児童相談所の凜久君を引き取る話を職員の方がした直後に、凜久君の父は「生活保護を受けたいのですが、子供がいるとどれくらいもらえますか」と職員の方に尋ねます。その絶望の落差の描き方の巧みさに、呻きました。かといって、凜久君の父を「悪い」というのもまた、外部の身勝手なのですよね。凜久君の家族の問題に関するあたりは、どこに肩入れするかにもつながるので、体面も捨てないと自分の意見など言えません。
臆病な私は日和そうになるのですが、それでも勇気を出すのなら。
凜久さんと室井さんに、もっと一緒にいてもらいたかった。貴仁君とも、杏ちゃんとも。
最後の場面。悩むのですが、室井さんのところを多くの方が訪ねた場面です。
多くは書けません。ですが、「室井慎次」の為したことを伝えてくれました。
生まれたならば、何かを為さなくてはならないわけではない。自分の望みを叶えたらよい。
室井さんは、反対です。青島さんとの約束を果たせなかった。警察として、何かを為せたわけでもなかった。
だけれど、「室井モデル」は誕生しました。警察官ではない「室井慎次」が最期まで淡々と、粛々と、果たしてきたことを教えてくれました。
最期の「室井慎次の家」。
見る度に、反射で泣いてしまうほど意味のある表札になりました。