雨夜の月 1巻感想

目次

はじめに

 『雨夜の月』(くずしろ先生作/講談社刊)は聴覚障害者である及川奏音と、その友人となった金田一咲希がメインの漫画です。
 けれど、これを障害者の漫画や百合漫画と形容することに私は非常に違和感を覚えます。なぜなら、その言い方自体がすでに一つのカテゴライズで終わらせて、エンターテイメントに終わらせてしまうためです。私の中で、この作品はフィクションでもエンターテイメントでもなく、もっと深く突き刺してくる漫画です。

 くずしろ先生がどういう思いで『雨夜の月』を書いているかは一読者である私には分かりません。ただ、『犬神さんと猫山さん』、『姫のためなら死ねる』といった作品からいくつか好みなものを追いかけながら、くずしろさんは独自の繊細な感性でいつか途方もないものを描くといった確信が私の中にありました。
 そして、その作品が私にとっては『雨夜の月』です。

 ですので、この作品を表すのに、誤解を招くことを承知であえて書かせてください。
 これは「普通の女の子が自分の抱えているマイノリティに悩み、現実に惑い、それでも月を探す物語」だと。

キャラクター

金田一咲希
 『雨夜の月』の主人公その一。
 岩手県で女子高に通い、ピアノを習っている。おそらく父親はいない。
 高校入学前に奏音とぶつかって出会うという少女漫画な出来事が、さらに進学した高校でまたも奏音と隣の席になるという二段階少女漫画な出来事が起きる。
 最初は奏音と友人になろうとするも、距離を置かれるが雨の日の出来事を境に一気に距離が縮まっていく。

 内に溜め込むところはあるけれど、自分の感性に素直で鋭い女の子だと思います。あとは賢い。鈍いところはあるけれど、奏音の補聴器が濡れると困るのを察して傘を買ってくるなど、考えることができる子だと思います。私は描かれるまで気づかなかったので、そこがすごいと思いました。

 普通の子に描かれていますが、うっすらと同性愛者ではないかと匂わせる描写はいくつか。それでも、私は素直で少し鈍い普通の女の子だと受け止めています。

及川奏音
 『雨夜の月』の主人公その二。
 岩手県で咲希と同じ女子高に通っている。髪が長くボーイッシュな格好をしているがとても美人。後天性の聴覚障害を患っている。
 寂しがりやだけれど不器用で、少しミーハーというのは周囲の言。

 
 障害を抱えている美少女、というのですが彼女の場合は補正に感じ取れませんでした。それは可哀想などといった感情やご都合主義とかではなくて、奏音はそういうキャラクターなのだなと素直に受け止められる構成がきっちり組み立てられているからでしょう。

 すごく美人で気の強いのに脆い部分もあり、彼女の障害が『雨夜の月』の軸の部分でもあります。それでも普通の子だという咲希の言葉を信じたいです。

 キャラクター的には、『姫のためなら死ねる』の清少納言が奏音、咲希が定子様に近いのですが、それでいて立場を逆転させているような印象も受けました。
 私はどちらかといえば咲希ちゃん派でしょうか。彼女がこのままでいられるのか、クライシスが来る時にどうなるか、その時を静かに待っています。

感想

1話「奏音と咲希」

二人が出逢う.運命の始まり。でもそれほど大袈裟ではないのかもしれません。
 
あらすじ
 ピアノ教室に向かう「金田一咲希」だったが、その途中で見知らぬ少女とぶつかった。その少女とは進学した女子高で再会する。「及川奏音」と言い、後天性の聴覚障害を抱えていた。
 教室で教師からサポートすることを生徒たちは求められるが、奏音がそれを拒絶する。
 クラスで独立する奏音に咲希はそれでも話しかけるが、反応はない。
 だがある雨の日に、傘を忘れた二人。助けを拒む奏音を残して咲希は傘を買いに行き、学校にまで戻って奏音を迎えに行った。
「「言ってもわからないでしょ」って切り捨てられるのは悲しいよ」
「それは誰だってそうじゃない?」
 咲希の言葉は奏音の心をわずかながらに開き、二人は少しだけ近づくことになった。

 私はコミックス派なのですが、徐々にこの作品に寝食されるきっかけのお話でした。
 六十ページという分量、多少展開が早いところはあるにしろ、咲希と奏音の出会いから奏音の心の扉が少し揺れるまでしっかりと書かれています。
 特に咲希が奏音を知り、奏音の抱える聴覚障害に関心を持って色々と調べる場面で出てくる「頭ではわかっていても実感がない限りそれはファンタジーと変わらない」という言葉の鋭さ。この物語の舞台は現実でありながら、ファンタジーと変わらない想像力の狭さで生きていると痛感するわけです。
 それだからこそ、クライマックスの雨のシーンが輝きます。

「及川さんは耳が悪いけど私は頭が悪いみたい」(『雨夜の月』一巻 p.55)

 素直にこのように認められますか。表面や、気遣いでならまだ言えるかもしれません。ですが、咲希のように相手のことを認めて、それで自分は配慮が足りないかもしれないけれど、それでも貴方を理解したいと向き合える美しさ。
 ここで貫かれました。咲希という子の、素直さに。
 奏音もここで引っ張られるわけですよ。咲希の言葉には棘も偽りもなくて、ただありのまま近づくのですから。
 これをただのフィクション特有の美談として描くのではなくて、前にも触れた補聴器について察するところや咲希が「奏音の友人」になりたいと選択する意思の強さという段階を踏むことにより、現実味を持って、美しいシーンになっています。
 
 そして、その対比となるように奏音に対して辛辣に当たる女子生徒たち。画面では黒で全てを塗りつぶすように重く表現されています。
 咲希を囲む女子生徒たちの愚痴の一つで出てくる、言葉が鋭く刺さりました。
 「障害者って「弱者」をタテにしてわがままな人って多いっていうし」
 こういった世界を作り上げていったのが、今の私たちならば、障害者という括りではなくて個人を見られるように、私は意識していたいです。
 障害だから「わがまま」なのではない。この人が、「わがまま」なのだ。そして同時にその人の「わがまま」は本当に「わがまま」なのか見極めるということ。できないことを強要しているこちらの「わがまま」になっていないか。
 距離の離れた場所にいる私は、奏音を貶めた女子生徒たちを「ひどい」と思いますが、同じことをきっと誰かにしてきました。
 だから、せめてもうその過ちをしないようにしたいとくずしろ先生の画力もあり、その醜さを見て痛む胸を押さえます。
 

2話「鍵」

わかるのは、奏音が普通の女の子だということ。それはきっと誰しも。

あらすじ
 咲希と奏音は会話をするようになるが、奏音は昼食は一人で摂るなどいまだわからないことも多かった。
 その日に一緒に帰宅をすると、咲希の新しいピアノの先生は奏音の母だとわかる。
 鬼のように厳しい奏音の母の特訓を終えた咲希を奏音は自室であるガレージに招いた。そうして奏音は咲希にガレージの合鍵を渡す。その不器用な表現から、咲希は奏音がさみしがりなだけの普通の女の子だと、実感した。

 咲希に奏音以外の友人もできてほっとするところと、まだ奏音についてわからないところにもだもだするところから始まります。
 そうして奏音の母である先生のピアノレッスンのシーンは短いながら怖さが伝わってきます。大変であってもついていける咲希は本当にすごい。
 同時に、奏音について話す時の、先生は母親の顔になったということに、咲希も読者も安心したのではないでしょうか。奏音の、学校以外の日常である家庭という環境が少なくとも粗雑なものではなかったことに。
 そしてここでまたもわかるのは、奏音が音楽を職業とする両親(父親は後の話にて指揮者だとわかります)、ピアニストにさせられたかった子、だからこそ障害を抱えてしまい、けれど咲希につながった。この偶然とも必然とも、都合が良いとも受け取れそうな展開をたった初めの二話で描き切る恐ろしさに、感嘆と恐怖を覚えました。
 さらに、締めである「奏音は普通の女の子ということ」。二話の序盤の「奏音は本当に聞こえていないのかわからない」から「普通の女の子」だということがわかる流れに綺麗に持ち込んでいます。
 二話は、本当に構成に圧倒されました。
 他にはガレージのところは読んでいるこちらも見てはいけない二人の秘密を目撃してしまってどきどきしてしまいますね。咲希ではなくても、このシチュエーションは「えろい」と思ってしまいます。絵も唇の艶まで描かれていて、気合を感じました。

3話「聖域」

聖域。それはもしかすると、彼女だって抱えているもの。

あらすじ
 ピアノのレッスンを終えた咲希は奏音のガレージに行く。
 奏音は追いかけているシリーズの発売日が昨日だとしり、落胆するが先が一緒に本を買いに行くと提案する。困ったようだが受け入れる奏音。
 楽しく出かけていた二人だったが、本屋で奏音の元友人に会うと奏音の態度がおかしくなる。
 元友人は奏音を支えていたが離れた存在で「咲希も自分といると嫌気が刺す時が絶対くる」と奏音は言う。だが、それでも咲希は「平気」と答えた。

 三話目にしてこういった展開かあと途中で机に伏しました。容赦なく突き刺してくる奏音の障害による痛みとどうしようもなさ、それを乗り越えさせてくれる咲希の強さが眩しいです。
 好きな本のシリーズの新刊が出て、それを早く読みたい。だから出かける。そういった、私たちが普通に行える「少し遠いところまで買い物に行く」ということも、聴覚障害を抱えた奏音には難しい。その時点で、いまの社会はまだ様々な人にとって生きづらい箇所が残っているのだと、マイノリティにいると気付けないことに多々触れさせられます。
 その、出かけるきっかけである本が奏音にとっての「聖域」だというのも今回の軸の一つですよね。一つ失ってしまって、でも本という聞こえなくても楽しめるものに出会えた。人それぞれによって違う、大切なものを尊重していきたいと改めて実感しました。
 そして、奏音が寄りかかりすぎた元友人との書店での再会。
 友人への依存、というものは重いです。だけれどそうしないと立てないくらい、呼吸もできない苦しさを抱えて生きている人もいます。若い人が養育や介護をする「ヤングケアラー」がありますが、「フレンドケアラー」というのも存在すると思うのです。
 障害を抱える当事者の養育者や教師、医師等が無理解であることによって苦しみ、立場の近い友達に依存してしまう。ですが、その当事者に頼られる友達もまだ未成熟です。当事者である友人を支えてあげたいと思いつつ、大きな負担にもなるでしょう。そうして、互いに傷つけあう最悪の別れを迎えてしまう。
 苦しいです。当事者も、友人も。
 咲希と奏音にはそうなって欲しくないと切実に願いました。


4話「願い」

こうなれたら、いいのに。なれないとわかっているから願う。

あらすじ
 咲希は奏音のガレージに通い続けるが、学校での距離感は変わらない。他の同級生とも馴染んで欲しいと考えていると、ガレージで、奏音が好きになったドラマに出てきた手話を練習していた。
 そして、学校では田辺という同級生が本をきっかけに奏音に話しかけてきた。それをきっかけにチャットでのグループ会話が始まる。そうすることに気付けず、落ち込む先に奏音は「咲希が話しかけてくれたからいまがある。友達になってくれてありがとう」と告げた。
 咲希は自室で奏音の言葉、そしてかつてのピアノの先生を思い出す。

 一旦の平穏。
 奏音の世界がまた一歩、広がりました。そのことに嫉妬しない咲希はすごいです。他人を思いやれている。それでも、咲希は咲希で奏音に話せない薄暗い何かを抱えています。それが明確ではなく、仄めかされているからこそ今後が不安になっていきます。

 今回は他に咲希や奏音に友好的なクラスメイトも出てきましたが。その一人である、田辺さんが好きです! このあとの話に出てくるエピソードでも元気をもらえました。
 そのクラスメイトたちと咲希の話題に出てくる奏音と「どう接したらいいかわからない」。この緊張感は大変だけれど大事ですよね。だって、傷つけたくないということですから。「地雷」という単語も出てきますが、この言葉感覚が『雨夜の月』の魅力の一つなのかもしれません。的確に、現代の言葉で、鋭く刺してくる。
そういうことだったのか、と腑に落ちる。
 そして今回の締めである奏音の「友達になってくれてありがとう」。
 咲希の、「結婚か」。
 二人の間にはまだ距離があるようです。




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