1-1
金の髪は風に揺らされて青い瞳は頭を垂れる花を映し出す。
由為は初めて彼岸の地を自分の足で踏みしめた。
まだ夕暮れには遠い時間だというのに空は薄暗い。青と言えるほど濃くはない色とちぎれた雲も歩みの遅さに時間をかけている。視線を上から正面に向けると青年と少女がいた。
青年はこんがりと花を焼いた色の髪と髪にそってながれていく輪郭、その中心に視界を戻すと底の知れない紫石の瞳と目が合った。澄んでいる純粋さではなく混沌とした深淵がうかがえて、つい目をそらしそうになる。唇は薄い赤色で背が高い。細身で、紺色の制服の上に黒いコートを着ている。
青年の隣に並び立つ少女は空色の髪を高く結いながら、気の強そうな顔立ちをしていた。灰色の瞳はぶつかるときっと眉が吊り上がる。唇も無駄な話をする意思はないのか引き結ばれていた。クリーム色の制服に身を包んでいてスカートは膝より少しばかり上だ。
由為は少女の圧力に気後れしないために笑顔を作って歩み寄っていく。
「はじめまして。由為です」
「はじめまして。彼岸の管理者の貴海だ」
頭を軽く下げあう。淡々とした口調だが普段から淡白な人だと感じさせられたため、特に不安は覚えなかった。
不安なのは次の相手だ。
岸辺から続く階段を下りていき舗装された通路の硬い触感を靴底に感じ直しながら、由為は少女と対面した。
「はじめまして、此岸から来た由為といいます。よろしくお願いします」
笑顔を心がけながら由為が手を差し出すと少女はその手を三秒ほど眺めていた。行き場のない手の軽さに居心地悪くなっていくと、手を重ねられた。
「私は七日。なのかです、よろしく」
ぶっきらぼうな口調だったが触れている手は温かかった。表情もこわばったままだが由為は握手できたことに安心する。七日は手を外すと先に歩き出した。その後ろを貴海と由為はついてき、世界において二つだけの領地、此岸の反対にある彼岸を眺める。
手前から奥に向かって、上下に三区画ずつ六つの花園があった。岸辺から赤、白、青の順に区切られている。花園に足を踏み入れたらふくらはぎまで埋まりそうだった。風にされるままなびく姿は心細げに映る。
花園の中心にある石畳の通路はこつこつと三人分の足音を響かせていた。向かっているのは先に見える紫苑の色をした屋敷だろう。彼岸の守りを務めているという自負を感じさせるほど、堂々とした建物だ。
白の花園を抜けると、屋敷から外れたところに建物が見える。三色の花に覆われた頑丈な造りで、長方形という珍しい形をしていた。その建物からは世の理から外れることを選んだ隠者の風格が漂っている。
由為の興味が逸れたことに気付いた貴海は気を戻すためか、口を開く。
「この彼岸の花園を作るのに百は埋める必要があったらしい」
「何をですか」
今度は答えない。すたすたと歩いて行く背中に何度も問いかけるが相手は口元を和らげるだけだった。
由為が悶々としていると七日はさらりと言う。
「貴海おに……先輩。変なことをふきこんだらだめだよ」
「七日さんは何が埋められたか知っているの?」
「どうだろう」
曖昧にぼやかされると聞きづらい。由為は仕方なく黙った。
青の花園を過ぎていき、屋敷に至る階段に片足を乗せて貴海は振り向いた。鞄を片手に持っている由為に視線を据える。
「最後に聞く。君は本当に彼岸で時を過ごす覚悟はあるか」
「はい」
「彼岸は此岸のためにあり。痛みにむせぶ此岸の民に花を手向けるためにあり。保証されるは心の自由。それだけだが、本当に、君はこの地で貴重な己の時計を傾けられるんだな」
由為はうたわれた言葉から目をそらさない。
彼岸は此岸のためにある。知っている。来る前に何度も言われてきた。此岸の人間を苛む苦痛を中和させる花を作れるのは彼岸だけで、此岸から彼岸へ渡るのは誉なことであり同時に流浪の始まりだ。どこにたどりつくのかは分からない。
分からないが、由為は安寧に背を向けて彼岸に来ることを選んだ。
目線をあげて貴海に視線を合わせて不敵に笑う。
「俺はここで、自分の意思でやるべきと決めたことをします。此岸にいたらずっと安全な日々が送れたでしょうけど、此岸にいたら同じ空しか見られない」
言葉を切り、細く呼吸をした。
由為は彼岸に行く前に尋ねられた言葉がある。
『世界が明日滅ぶとしたら』
「俺は違う空を見に行きたい。彼岸の大地にも触れたいんです」
自分の選択は子どもの空回りとして終わる可能性だってある。けれど、何もしないまま知らないまま、此岸で一生を終えるのは嫌だった。
いま見ている空とは違う空がある。知ったらその地に行きたかった。実際に初めて見た彼岸の空は紺色と緋色が渦巻く空だ。
貴海はしばらく由為を見下ろしていた。由為も真っ向から視線をぶつけに行く。
「七日。屋敷の中を案内してくれ」
「わかった。由為さん、行こう」
七日が先に屋敷の扉を開けて中に入っていく。由為も貴海の脇を抜けてその後に続いた。
扉が閉まる僅かな隙間から聞こえてきた声はただの気のせいだったのか、由為は何度も思いだそうとするが結局分からないままだった。