花園の墓守 由為編 第一章『違う空を見るために』

 初めて彼岸へ渡ってきて、疲れているけれど眠れない。
 由為はベッドに横たわりながら三回ほど寝返りを打ち、起きた。気分を変えるために飲み物でも口にしようかと自室を出ていく。扉を開けたとたんに冷えた空気が迎えてくれた。夜に閉ざされた屋敷は昼よりも壁が高くなってつぶされそうな錯覚に陥る。由為は足音を忍ばせながら調理場へ向かっていった。
 手すりに手を添えて階段を一段ずつ下りていく。無事に床に足をつけて安心すると、左手側に明かりがともっているのに由為は気付いた。誰か、自分と同じように水でも求めてきたのだろう。
「失礼、します」
「うん?」
 調理場にいたのは七日だった。昼とは違い髪を下で結わいている。
 七日は由為を上から下まで眺めたあと、鍋に水を張って火を扱い始めた。小さな泡が弾けてから細かな葉を入れると蓋をして煮る。甘い匂いが微かに鼻をくすぐった。
「何かできる?」
「もう終わってるから」
 変わらずの素っ気ない対応に由為は引き下がるしかなかった。
 七日の不機嫌や無愛想は此岸が嫌いだからと言われた。言われてしまっては「そんなことを気にしないで仲良くしよう」とは言えない。嫌いになるというには相応の理由があるはずだ。
「七日さんって、いくつ? 俺は十五だけど」
「十四だよ」
 年齢と身長は比例しないが、七日は由為より少し見晴らしがよい。ちょっと悲しくなった。
 由為が些細な出来事により落ち込んでいると七日は黄色い袖から白いカップを差し出してくれる。カップにたたえられている液体は青い。薫ってくるのは暑い季節の終わりが近づく寂しい甘さだ。
「眠れないときに効果あるから」
「うん、ありがとう」
 由為の手にカップが渡ったことを確かめると七日は五歩ほど距離を置いて上を見上げた。調理場の天井は高い。二階の調理場の上にあたる場所に部屋はなかったため、換気の必要も考えて作られたのだろう。
 優しいカップの温もりを両手で感じながら青花の茶を飲んでいく。静かだった。由為は七日の横顔をたまに眺めるが、大人しい照明の下の少女を彩るのは陰が強い。これまでのあいだ、厳しい表情ばかり見ているが、笑ったら素直に可愛いだろう。
 仲良くやれないかな。
「由為さん、は」
「ふあ?」
 七日が手を持ち上げる。黄色い眠るための服から見える伸びた腕の細さに少女だと意識させられた。カップから口を離して続きを待つ。
「どうして自分がここにいるとかを考えたことはあるかな」
「ないよ」
「やっぱり此岸の人だ」
 とげとげしい口調だったが七日の口元は笑っていた。由為はこのままだと七日の心の扉が完全に閉ざされると慌ててしまう。
「いままでは考えなかったけど、これからはできるから」
「必死にならなくていいよ。自分のいる意味を考えてもそんなに満たされないし」
「七日さんは考えたことがあるの」
「四歳の時からずっと」
 意外と重い答えが返ってきた。
 四歳、十一年前の由為の記憶は薄らぼんやりとしかない。此岸の景観のために生やされた木に登る遊びが流行して、由為も一度は挑戦したが途中で落ちて怒られた。それが妙に印象的だ。落下して薄まる時間のなか見えた青空は美しかった。
「どうしてここにいるのか。二つ目の課題かな」
「え」
「え?」
 七日が振り向く。顔にはありありと「何言っているのあなた」と書かれている。
「いや、俺は此岸では見たり聞いたり知ったりできないことをやりたくてここに来たから。七日さんには良い問題をもらえたよ。ありがとう」
 笑いかけてカップを空にする。流しに回り、洗剤をつけて弾性のある布で洗っていく。
 七日は由為の動作を見つめていた。
「あなたは此岸で生きにくくなかったの」
「楽しかったよ。こっちの生活もなかなか不思議が溢れてそうで期待値急上昇だけど」
「あなたが、彼岸にくるのを選んだの」
「うん」
 由為は真っ直ぐに七日を見つめて答えた。
「俺は、俺が望んで、ここにいるよ」
 誘われて驚いた。試されて悔しかった。
 違う空を見られると決まって嬉しかった。
 此岸の統括者から彼岸の花園の管理者として任ぜられる手紙が来たとき、自分は河を渡れるのだと生まれて初めて気付いた。少し遠いけれど彼岸は永遠の先にあるのではない。進む意思さえあったらどこにだっていける。何にだってなれる。世界には可能性が溢れていた。
「明日来る人たちはどんな人たちなんだろうな」
 貴海からは二十歳前後の男女が一名ずつ来ると説明されている。良い人だとよい。明日が来るのがまた楽しみだ。
「私は知らない。でもね」
 あなたほどの人は来られないと思うよ。
 七日はそれだけ言って、調理場を出て行った。足音は絨毯に吸われて聞こえない。消えていく姿は迷子の背中だった。
 由為も眠ることにした。あくびを一つ口からこぼし、自室に戻っていく。
 明日が楽しみなのに今日は心配で終わるなんておかしなことだ。



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