協和音を奏でる前に 第三話

 カクヤが絢都アルスに受験のために訪れて、三日目の朝になる。
 夢を引きずらずに起床すると清潔に整えられたベッドに身を起こし、あくびを一つしてから抜け出す。部屋に備え付けられている洗面所で顔を洗うと、服を替えた。
 今日はセイジュリオの最終試験だ。十時から実技試験がある。
 カクヤは概要の紙に目を通して、持参する荷物を確かめた。持っていってよいものは自身の武器か道具を一つだけだ。あとは筆記用具しかない。
 それらが鞄に入っていることを確認し終えてカクヤは部屋を出る。鍵をかけて階段を降り、食堂に向かった。
 朝の七時という自国のためか、食堂は八割方埋まっていた。空いている席を探すと端のテーブルが一つだけ取り残されている。カクヤはそのテーブルの前に立つと空板を起動した。席を確保するか問われたのでチェックを入れる。これで席を無事に確保できた。
 空板とは便利なものだ。現在の自分の所在地や周囲の地理の確認ができ、先ほどのように空板に対応している施設ならば席の確保や予約もできる。他にも他人と連絡を取ることを可能とする宿り木の設置や、自身が所持している技法の確認もできる。
 空板に接触するために必要なのは契約の証明となるリボンの所持と、神へ自身の情報を開示することだ。それらを許可するのならば誰でも空板を扱える。トラストテイルで生活している人間ならば、大抵は空板と共に生活しているだろう。異なる神を信奉している民族や、自由を好む人間はまた別だが。
 カウンターに向かい、カクヤは確保した席を告げて料理を注文する。
「朝からラーメンとは気合い入ってるな」
 注文を請けた店員に言われた。
「気に入ったんですよ、ラーメン」
「あの料理は宿長の一押しだからなあ。だけどよ、成長期なら牛乳とサラダくらい一緒に食っとけ」
「はーい」
 ついでに頼めと勧められた料理の料金も加算されながら、先に支払って注文を終える。カクヤは先ほど取った席に戻る。
 朝の喧噪が周囲を満たしていた。家族で旅行に来た人たちもいれば、普段から朝食の場として利用しているらしき人たちもいる。違う街に来ると見える景色も変わるものだ。
 目をつむるとつい眠ってしまいそうになる。そういった穏やかさに包まれていると、空いている前の席に誰かが座った。
「すみません、相席をお願いします」
 店員に言われてカクヤは了承する。
 目の前に座ったのは、薄い緑色の髪の青年だった。被っていた茶色いキャスケットを外すと椅子の背もたれにかける。向けられた瞳も碧眼だ。年若そうな外見をしているが、カクヤよりかは年上だろう。
 翠の栗鼠軽やか駆ける自由の下。
 そんな詩が、浮かんだ。
「悪いな。一人でゆっくりしていたところに」
「いえ。べつに」
 都会慣れした雰囲気をしているので、旅行者ではなくアルスで生活している人のようだ。カクヤと目が合うとにこりと微笑まれる。笑い返す。
「セイジュリオの受験生か?」
「どうしてわかったんですか」
「いまの時期に見知らぬ子供がいるとしたら、どっかの街から滅多にない試験を受けに来たと考えることが普通だろ?」
「それは確かに」
 カクヤは納得せざるをえなかった。そして、目の前の名も知らぬ人に感心する。少ない情報で答えを出す。まるで物語に出てくる探偵のあり方だ。
 カクヤが浮かんだ疑問を尋ねると、笑われた。
「違う違う。俺は、探偵じゃなくて情報屋だよ。ほら、名刺」
 渡された紙を見ると「洒落猫の微睡み」という店名と「レクィエ・ノーネーム」という名前が書かれていた。連絡先はない。
「レクィエさん」
「はいよ」
「お待ち」
 カクヤの目の前にラーメン、サラダ、牛乳と水が置かれた。そのまま店員は去っていく。話の腰は折れたので、朝食を食べることにした。
 サラダを食べ終えてからラーメンに箸をつける。スープの絡んだ熱い麺をすすり、しゃきしゃきしたもやしを味わう。朝だからと醤油のスープを選択したのだが正解だった。さらに青葱が口の中をさっぱりさせてくれる。
 勢いよく食べるカクヤをレクィエは微笑ましそうに見守っている。
「別に答えなくていいけどさ。セイジュリオに通うってのはいいな」
「レクィエさんは通ったことないんですか?」
「違うところに通っていたよ」
 通っていた場所がどこかとはカクヤには聞けず、聞いても答えは返ってこないことが容易に予想できた。いま食べているラーメンとは違って、食べにくそうな人物だ。
「青春しろよ、青春。それは案外難しいことなんだからな」
「はあ」
 チャーシューをかじったところで、レクィエの前にシリアルと野菜ジュースが置かれた。情報屋という仕事で身についた習慣なのだろう。レクィエは静かに早く食事を済ませた。そうして皿を持って立ち上がり、一度カクヤに手を振ると振り返らずに出ていった。
 カクヤは空板を起動する。もう、八時になっていた。慌てず急がず食べ終えて、食器をカウンター横の返却口に下げる。
 最後の試験はこれからだ。


第一章第四話


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