功罪花粉症

 快晴の空に水しぶきが弾けて虹が生まれた。
 その水しぶきの本体である、水の塊を打ち込まれた勇者見習いであるシケンはぐっしょりと濡れることになった。
「わあ! ごめんなさいっくしゅ!」
「いやべつにいいけどさ」
 そういったコントをしている最中に敵であるミドリウサギは逃げ出してしまった。後を追いかける気にもならず、先ほど水を被せてきた小さな魔法使いリムからタオルを受け取って水分を吸収させる。
 いまは春だ。三月だ。そしてシケンたちがいるのは魔王城に最も近い村と呼ばれているスソン村だった。
 ここにいるのはシケンとリムだけではない。あと二人、仲間がいる。長身の修道女のフィーカと洒脱な雰囲気の盗賊であるラスだ。この四人で勇者見習いといったパーティーを組んでいる。
 決して、勇者ではない。まだその域には達していない。
「それにしても、リムは最近くしゃみが多いね」
「そうだね。っへぶ」
 またリムはくしゃみをした。それは仕方がないのだが、魔法使いが詠唱のたびにくしゃみをしたり、狙いを定めるたびに手元を狂わせていると被害は甚大だ。いまシケンが水の塊をくらったように。
 リムの紫色の髪をフィーカの細い手が撫でる。フィーカの緩く長い金の髪も風に揺らされていた。閉じられている瞳からは心配の感情しかうかがえない。
「花粉症は最近、流行し始めたものだから。まだ回復魔法もできていないから直せないの。どうしましょう」
 魔法は怪我を治すことはたやすいが、病に関しては効果はないことが多い。外傷よりも内部の損傷が厄介ということだ。
 シケンは腕を組んで悩む。リムを花粉症に陥らせた花粉はどこからやってきたというのだろうか。
 顔を上げると、見えるのは世界名産の一つである魔王城だ。外壁は漆黒で尖塔も多く、青空の下にあるというのにふてぶてしい。もう少し趣味の良いものは建造できなかったのだろうか。
 などと考えて、気付く。
「なあ」
「ん?」
 橙の髪をさばいていたラスが返事をする。
「魔王城にあんな沢山の花咲く樹なんてあったか!?」
「なかったな」
「原因はアレだろ!」
 村では近年植樹などしていない。それならば、急にリムが今年になって花粉症になった原因は暗い魔王城に不似合いな薄桃色が乱舞している木々しか思い当たらなかった。
 しかし、フィーカは簡単に頷かない。
「確かに、魔王城に友好の証として沢山のリステルの樹が与えられたというニュースは出ていたけれど」
「魔王さんはぷらいばしーがなくて大変だね!」
「そういうことじゃない!」
 シケンは強く言い切る。フィーカとリムは揃ってびっくりしたようだった。
「花粉症なんて卑怯な手段でこちらの戦力を削ぐ魔王に、一言もの申してやる!」
「無理だろ」
「んー。まだ魔王城はボクたちの参戦推奨レベルには達していないけどねえ」
 今度はラスとリムが「やめておけ」と言うのだが、ここまで来たら一言くらいは文句を言ってやりたい。
 それにだ。
「レベルが低いいまのうちに、この花粉症問題を解決したら経験値が入るかもしれないだろ!」
 敵を倒す、素材を集める、村人の困りごとを解決するといった行為で経験値を入手した後に、経験値を自身に還元しなくてはならないところがこの世界での哀しい点だった。
 シケンはすでに魔王城に乗り込むことしかか考えていない。止めても無駄だとわかったので、三人ともついていくことにした。
 セーブは忘れずにしておいた。

 シケンたちは魔王城に足を踏み入れる。
 普段ならば重苦しい雰囲気で閉ざされている豪奢な門の前には、角を生やした受付の男性妖魔が二人いた。シケンたちを見つけても恭しく頭を下げるだけだ。
 勇者などとは認識されていない可能性も大いにあるが、無視することにした。
「見学でしょうか?」
「はい」
 フィーカにさらりと答えられて「意見陳述です」とは言いにくい雰囲気になる。妖魔は左手側にある芳名帳を手で示した。
「こちらにお名前を頂戴いたします」
 シケンは仕方なく、自身の名前を記す。その三つ上に師匠の名前があるのは見なかったことにした。
 妖魔は特に反応を見せることなく、シケンたちを開錠したままの門へと案内する。
 魔王城に入るのはこれで三度目になる。今回はこれまでと趣が違っていた。吸い込まれそうなほど高い天井の大広間に、所狭しと屋台が並べられていた。肉も野菜も甘味も揃って、匂いをかいでいるだけで空腹になる。
「一体何をしているんだ?」
「さあな」
 ラスは変わらず冷たかった。
 フィーカは興味深そうに周囲を見渡していて、リムはというといない。どこだと捜しにいこうとする前に、厚い肉串を片手に戻ってきた。
「どこ行ってたんだよ」
「美味しそうだから、買ってた」
「なんのお肉なの?」
「とかげー」
 強い。シケンはそう思わざるをえなかった。さすがにとかげの肉を食べろと言われたら遠慮したい。
 魔王城はやたらめったら迷うくらいに広いというのに、今回は順路が指示されている。封印されている区画もあるため、仕方なくシケンたちは順路通りに歩いていった。人も魔物もいたるところにいて、陽気な雰囲気だ。
 ラスが耳を澄ます。交わされる内容は今年授与されたリステルの樹の話題一色らしい。あとは魔王の評判の良さといったところだが、評判の良い魔王というのはなんなんだ。
 そうしているあいだに階段を上がり、左手のバルコニーに出る。
「ん? ああ。来たのか、へっぽこ勇者未満」
「へっぽこ言うな!」
「だったら勇者未満」
「それはよし」
 事実であるので全く反論できない。
 いきなり憎まれ口を叩いたのは、この魔王城の主の一人であった。尖った耳と赤く太い尻尾、それらの印象を補う黒髪を長く伸ばした少年だ。
「それで、何しに来たんだ」
「クレイル! お前たちが魔王城に植えた樹のせいで、俺たちの仲間の魔法使いである、リムが花粉症になったんだぞ!」
「はっ」
 軽く鼻で笑われた。
 増す怒りをこらえつつ、シケンはクレイルを指さす。
「今すぐ伐採しろ!」
「いやだ」
「なんだと!」
 にらみ合う二人にあからさまな火花が散る。花弁にでも付着したら発火しそうだ。
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
 フィーカがなだめるために間に入った。シケンとクレイルに距離が生まれる。
 クレイルは庭からバルコニーに枝を垂らす花を弄びながら、気怠げに口を開く。
「これは他国の魔王から親善の証として贈られた。それを伐採? 馬鹿を言うな。親交問題に発展するだろう。そうなったときにちんちくりん勇者が責任を取れるのか?」
「うぐ」
 言い返せない。魔王同士もややこしいしがらみがあるようなのだ。それに勝手に介入して、火種をまき散らすことなどしてはならない。国民中から恨まれることは容易に予想がつく。
「そもそも、花粉症はこの樹が原因なのか? その根拠はどこにある」
「ないねー」
 当の本人であるリムに言われた。まさかの裏切りだ。
「ねえ、魔王様?」
「違う。俺は魔公子だ」
「まこーしさまー」
「ああ」
「もっと近くでリステルの樹を見ていい?」
 無邪気に尋ねたリムに、クレイルは笑顔で答える。
「どうぞ」
 そうして場を譲るところを見ると、小さな子には甘いらしい。どこまでいっても魔王ではなく、魔公子らしくなかった。
 シケンは魔王城にいるというのに呑気に花見をしている、村人、観光客や魔物を見渡す。まったく緊張感がなかった。こういう点が好かれている魔王だというのか。
 それならば、勇者という職業の希少性が薄れていくわけだ。
 シケンはクレイルの隣に並び、またも絡んでいく。
「魔公子がそんなに呑気でいいのか?」
「へっぽこは知らないかもしれないが、いまは魔族もオフシーズンだ。花くらい愛でさせろ」
「そうね。四月から、また新規参入する魔物とかを対象とした訓練もあるのでしょう?」
「ああ。死なない程度の倒され方や、報酬をどうドロップするかなどを教えなくてはならない。大変だよ」
 現実的なファンタジーの話を弾ませる修道女と魔王はもう放置することにした。付き合っていられない。
 シケンはいまが盛りの花を見上げる。異国の花だけあって見慣れないものだが、それでも美しいことに変わりはなかった。



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