Memome

『ぼくたちん家』の第九話を観ました。
前へ進むために諦める。

ついに、残すところあと一話です。
こちらの感想も今回と次回で終わるのかと思うと感慨深いですね。
第九話のキーワードと小道具を挙げるとしましたら、「前向きに諦める」と「生き物」になるでしょうか。小道具としては今回もさすまたが活躍していて嬉しいです。一家に一つ欲しくなる道具ですが、実際にあると置き場所に困りますね。
誰から感想を書くか大変悩むのですが、今回はほたるさんからにしたいです。
ギターという好きなものを見つけて、作る修行をするために長野へ行く決心をしました。いままでともえさんを待つために待っていた、井の頭アパートから旅立つ準備を進めていきます。
私の感想ではあまり触れる機会が多くありませんでしたが『ぼくたちん家』の物語の中心にいたのは、ほたるさんだと思います。
また、子どもは大人が思うほどに弱くはない。だけれども、守られる必要はあるということを松さんが伝えてくれました。
ほたるさんがともえさんに、ともえさんが横領して逃げるまでの日常を「好きだった」と伝える場面は、ともえさんの愛情を信じていたほたるさんが見えた気がします。ともえさんのほたるさんに対する愛情も本当で、確かにあったけれども、いつも申し訳なさがあったことが辛いです。
ともえさんが横領をしたのはほたるさんのため、ではありませんが、もっと「お金があれば幸せな日常があるのに」と考えていたのでは、と私は感じてしまいました。だけれども、ほたるさんはお金がある贅沢よりもともえさんといられる時間の方が大事でした。
そのことを、伝えあってからそれぞれのやるべきことをする楠親子に幸があってほしいです。
そして、お父さんの市ヶ谷仁さんについてになります。結局、お金ではなくてうさぎが手の中に戻ってきてよかったと思います。
市ヶ谷さんがロマンを追いかける様は、正直理解できるところもありまして、世間の「理想」とされることを自分の「幸福」だと思ってしまうのですよね。ですから、ゲイであるというのに幸せでいる波多野さんにもいらいらしていたのかなあと。
ですが、吉田さんもそうですけど、自分の幸せは自分のことをよく観察して、見つけないといつまで経っても手に入らないのですよね。
岡部さんのアドバイスもあり、波多野さんも作田さんも、市ヶ谷さんもそして吉田さんも、前向きに諦める選択ができたことに、私は心強さを覚えました。
いままで、自分の幸せや夢は、諦めないで苦しみながら手にした瞬間に報われるものだと思っていたのですが、そうではないのだと。ともえさんもキーホルダーの夢を諦めて、波多野さんも家を一旦保留にして。
どういう毎日を送りたいのかを考えられたら、それが幸せに繋がるかもしれません。
うさぎもモルモットも、生き物です。そして人間も生き物です。
だけれども、これほど縛られて生きているのは人間だけなのではないかと、波多野さんの吉田さんに対する言葉を聞いて思いました。
ほかにも、百瀬さんや鯉登さん、井の頭さんなども書きたいことがあるのですが、彼女や彼らはすでにいくつかを諦めて、納得して前に進んでいる側だと思います。ですので、精いっぱいのエールを送ることに留めます。
残すところあと一話。だというのに、最後に現れたあの少年は、一体。
最終話までもまたどきどきやきもきさせてくれますね!