Memome

「考察」して「理解」ができなければ「その作品を楽しんだ」ことにならない。
と、いうことはないと思うのですよ。
完全に物語の筋を理解できなくとも、触れた作品で一か所でも好きなところを見つけられたら御の字ではないですか。
それなのに、国語の問題文みたいに「楽しみ方の正解」を探して物語に触れているのでしたら、寂しいなあと。
物語の妙味を理解できるのは嬉しいですけれど、理解できないものは楽しくない、つまらないもの。となってしまうとしたら、考えさせられますね。
書く側としても読む側としても。