『ドラえもん ぼくの生まれた日』 感想

あらすじ
 のび太は誕生日にママとパパから怒られて家出する。追いかけてきたドラえもんに「今日は僕が生まれてみんなががっかりした日なんだ」と言う。ドラえもんはのび太が言った通りなのかどう
か、生まれた日を見に行くことを提案し、のび太とのび太が生まれた日にさかのぼる。



「テーマ もしも〇〇がいたらで変わること」

 「ドラえもん 僕の生まれた日」ののび太君が発した「生まれなければよかった」は、ドラえもんがいなくても、現代の人なら一度はぶつかるテーマだ。むしろ子供ではなくとも考える。苦しいことや悲しいことがあったとき、愛されているのを分かっているからこそ、願った通りにならなくて「愛されていない」と怒る。
 実際に「生まれなければよかったんだ」と考える哀しさもあるが今回は焦点を外しておく。

 理不尽だが、子供時代にたくさん理不尽にぶつかる自由は認められてよい社会になるように願う。二千二十年という現代日本は、また異なる時代への過渡期だ。
 どこに感情を任せればよいかわからない多感な時期に、「生まれなければよかった」と思うときにドラえもんがいてくれるなら良かった。のび太には羨望すら覚える。
 ドラえもんは、問題を解決してくれる魔法ではない。問題と向き合わなくてはならないとき、どうしても苦しくなったときに、上手な向き合い方や休める時間をくれる。ひみつ道具だけではなく、ドラえもんという存在が安らぎをもたらしてくれる。
 ドラえもんをそのような「都合の良い存在」と表現し、考えるとずるいことのようだが、いつだって人は「都合の良い存在」を利用して生きている。心地よく「都合の良い存在」がいてくれて変わることはたくさんある。

 だが、現実にまだドラえもんはいない。大人の立場でもなく、子供でもなく、超越した存在としてときにドジをしながら見守ってくれる心のセーフハウスはまだ生まれていない。
 苦しいし納得いかないことかもしれないが、自分でドラえもんを用意するようになれた時。そのときこそ、大人になれたといえる一つの形ではないか。
 自分で「都合の良い存在」を理性正しく利用できるようになれたら。「もしも〇〇がいたら」と思うときに、他者に害を及ぼさない「都合の良い存在」を用意できるようになりたい。
 それも一つの大人のなり方であり、自分の助け方を見つけられたら「生まれてよかった」と思考を変えられるようになるだろう。


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