食事を済まし、支度を終えてカクヤとサレトナは沈黙の楽器亭を出る。
タトエとソレシカは揃って見送ってくれた。怒っていたり、戸惑っている様子はもう見受けられなかった。
晴天の空の下でカクヤは心が浮き立つのを感じる。
だってこれは、やっぱりデートだろ。いくら否定されても。
口にはできないが、憎からず気にかけている相手に誘われて、気分が高揚しないほど枯れているわけではない。
そして、今日の主役は誘ってくれたサレトナだが、リードだってきちんとしたい。
カクヤはその思いを隠したまま、さりげなく聞こえるように気をつけながら尋ねる。
「で、サレトナはどこに行きたいんだ?」
「イノコードにまず行って、ご飯を食べて。最後は秘密ね」
サレトナは指を折りながら答え、最後ににこりと微笑んでくれた。純粋な微笑を向けられて、挙げられた計画に否応を挟む余地はなかった。
宿街から、住宅街を通らずにロウエン広場から英断商路に向かうことにした。一昨日の件を思い出したくないのもあった。けれど、一番の理由は少しでも華やかな場所を歩いて、非日常感を味わいたかったという点が大きい。
大切に感じ始めている女の子と二人きりだ。綺麗なものを一つでも多く見つけたい。
今日のロウエン広場は常よりも盛況で、屋台がぽつぽつと並んでいるほどだった。売られているカステイラの甘い香りが鼻に届く。子どもが手に収まる程度のカステイラをまぐまぐと食べていた。
そういった光景を二人並んで見ながら、話す内容は日常のことが多い。セイジュリオに転学してようやく一月半になる。これからの授業や、雨月の講評試合など、待ち受ける困難も多々ある。
「でもね、友だちと毎日を過ごせるのは、とても楽しいことだと思うの」
「サレトナはロストウェルスでは、学校に通っていなかったのか?」
「半分くらいは通っていたけれど。ロストウェルスはアルスほど活気のある街とは言えないし。私も、一応ね。領家の娘だから、やっぱり気を遣われるのよ」
「ありがたいことだけれどね」とサレトナは続けた。
カクヤは曖昧に笑うしかできなかった。気を遣われていることに傷つくというよりも、申し訳なさを抱いているのだと伝わってくる。配慮してもらえるのは感謝すべきことだが、対等な立場とは一線を引かれているように受け取るのも仕方ないのだろう。
「そういうカクヤは、どうだったの? アルスに来る前は」
「来る前か」
記憶をたぐっていく。
両親は健在で、やんちゃな弟がいて、まれに叔父が遊びに来ては歌と刀を教えてくれていた。他には小さな街なので、近所の人たちとの距離も探りながらの狭さで、協力し合いながら暮らしていた。
ごく、普通に生活していた。
その答えに行き着く前に差し込まれたノイズを無視しながら、笑う。
「のんべんだらりと、呑気に暮らしていたよ」
「そう?」
「ああ。ほら、着いた」
歩いている間にイノコードの前まで来ていた。以前はタトエもいたが、今日は二人きりで入店する。
扉を開けた先には楽譜で作られた壁が広がっていて、左手には楽器を扱うエリアが大きく陣取っている。右手には楽譜や書籍を扱うエリアと店は二分されていた。
「おや。いらっしゃい」
豊かな白髭を蓄えた、精霊族とも人とも見分けの付かない、恰幅の良い男性に歓迎される。サレトナは頭を軽く下げた。
軽やかに弾む音楽を耳にしながら、楽譜を揃えている棚まで歩くサレトナについていく。
「サレトナも楽器を演奏するのか?」
「ピアノは家でも弾いていたから。それよりも、カクヤ。なにか知っている曲はある?」
カクヤは背表紙に曲名が並んでいる楽譜たちを見上げた。視線を上下左右に動かしていく。既知か未知かで答えるのならば、知らない曲が多かった。ルリセイで手に入る楽譜もあるにはあったので、それらをいくつか答えとして挙げる。
「あんまり流行とか追わないのね」
「口ずさむ程度なら知っているのもあるよ。これとか」
手に取った楽譜を開く。
最初に「あなたと別れてから」という文字が歌詞として書かれているのに気付く。勝手に気まずくなってしまった。
デートで失恋の歌を選ぶことはないだろう。
「あら。こういうのが好きなの?」
「メロディは結構好きだな。でも、いまはこれは止めよう。他にもっと」
カクヤは棚に差し込むようにして楽譜を戻す。明るい歌を探そうとするが、そもそも自分は落ち着いたメロディラインが好みだということを思い出した。
思い出して、違う。否定する。
派手に彩られず、静かに紡がれる曲を好む人がいた。だから、自然と自分の好みよりもあの人に好まれる曲を聴いて、歌を覚えるようになった。
過去の自分が好きだった曲を、見つけた。手に取る。
「レジスタンス・グローリー」
サレトナが曲名を読み上げた。その顔が、一気に明るくなる。
「いいわね! 私も聴いたことはあるわ。これを買いましょう」
「え。あ」
戸惑っている間に、サレトナは楽譜を二冊持って会計へ向かっていく。カクヤは慌ててついていった。
楽譜を差し出された店主は髭を震わせながら、細い目をさらに細める。
「懐かしい曲を買うの」
「はい。彼が、好きなんですって」
「彼女からのプレゼントか。いいのう、ロマンじゃのう」
また、サレトナからは「彼女ではありません」という強気な言葉が返ってくるかと身構える。だが、それはなかった。
サレトナは笑うだけで、財布を取り出して会計を済ませていく。楽譜は紙の袋に入れられた。サレトナが手に持っている鞄にしまう。
「あとで、一冊渡すから」
「払うよ」
「いいの。私からの、プレゼント」
はっきりと言い切られてしまったら、サレトナの好意を否定するのも気が咎めた。代わりに、昼食にデザートを一つ付けることによって、貸し借りの比重を軽くした。
イノコードを出るが、まだ昼食には早い。籠水晶といった馴染みの店から、あまり近寄ったことのない店まで、開店しているところを見て回る。
「カクヤはどこかのアクトコンに入らないの?」
冷やかしている途中で、サレトナから言われた。
そういえば一度も、どこにも見学に行けていない。特に忙しかったわけではないが、見にいく機会を逃していた。
「うーん。まだ保留だな」
「そう。あのね、フィリッシュとロリカと一緒にアクトコンを見て回っていた時に、楽器を扱っているところがあったの。それで、またピアノを弾きたくなったから。だから、今日はお願いしたの」
「そうなのか」
タトエだけではなく、サレトナもまた音楽に携わっている。あとはソレシカも何か覚え込めば、セッションなども夢ではないだろう。
そういった話を繰り返しながら、カクヤは思ってしまう。
もう少しだけ、日常と離れた心ときめく話もできないものか。だが、デートではないとも言われている。いまここで、あからさまに誘いをかけるのも不自然だ。
カクヤはサレトナのセイジュリオやアクトコンでの話を聴く側に立つことを選んだ。たまに、サレトナに話題を振られた時だけ自分のことも話す。
退屈を覚えないのは、話をするサレトナの表情を見ているだけで落ち着いた気持ちになれるためだろう。サレトナは感情豊かに話をする。しかし、優美さを忘れることもない。大きく口を開けたり派手な身振り手振りを使うことなどはせずに、指先や瞳によって自身の色を示していた。
自分だけが隣に立って、ずっとサレトナを眺めていたい。
そう思わせるほどにサレトナの話を聞いているのは楽しくて、また心が安らいだ。
鐘が鳴る。
顔を上げると、レストランやカフェの開店を知らせる鐘が、ロウエン広場から鳴り響いていた。
空腹を覚え始めた頃合いだ。混雑する前に席を確保しておきたい。
「カクヤは食べたいものある?」
「肉」
「はい」
くすりと微笑されてから、歩く。路地の間という潜まったところにある洋食屋を見つけて、その店に入ることにした。
「いらっしゃいませ」
「二名で」
言葉が途中で途切れた。
出迎えた店員も、目をしばたたかせている。濃茶の制服に、白いエプロンを着けた少女は同級生のロリカ・命唱だった。
ロリカは即座に我を取り戻したのか、店内に案内する。
「サレトナにアラタメさんがここに来るとは。不覚」
「私だってびっくりよ。一応、二人です」
「そうじゃなかったら大変」
ロリカの言うとおり、三人目の客がいたら恐ろしい。
奥の四人がけの席に案内をされた。テーブルは木造だが頑丈そうで、傷や板の色から長い年月を過ごしてきたことを教えてくれた。ソファは柔らかい。
ロリカはグラスに入れた水を置いてから立ち去る前に、指先を口の前に立てた。
「このことはここでの秘密」
「わかった」
セイジュリオではアルバイトは許可されている。しかし、ロリカは自身が働いていることをあえて知られたくはないのだろう。
そのように受け取っていたら、無表情にわずかな呆れが混ざった。
「秘密なのは、フィリッシュに」
「そこまですることじゃないわよ?」
「だとしても。秘密」
強く念を押されて、カクヤとサレトナは頷いた。ロリカは安心できたのか、奥へと戻っていく。
フィリッシュへ今日のことを知らせない方がよいと、外野のロリカが判断したのならば、その助言に従うべきなのだろう。
だが、それは暗にロリカもカクヤたちの外出を特別なものと見なしているようで、照れた。外から見たら、やはりこれはデートなのだろう。
机の上にあるメニュー表を開き、料理を選んでいく。今日はロースなどがよいだろうか。それとも、鳥の香草焼きにするか、悩む。
「ねえ。カクヤ」
「ん?」
「今日は、楽しい?」
「ああ。楽しいよ」
「よかった」
安心して顔を緩めるサレトナが、可愛い。
カクヤは給仕された水に口をつけた。それから、再びメニュー表とにらめっこを繰り返す。サレトナは決めたのかメニュー表を壁側の仕切りに刺した。
カクヤもメニューを決めたところで、机の上に置かれている小さな鐘を鳴らした。ロリカが来てメニューを聞いてくる。
「鶏のクリーム煮をお願いします」
「ロースで」
「わかりました。お冷やのおかわりは」
「大丈夫です」
メニューを伝えにロリカが去っていく。
これで、当分は二人きりだ。まだ出かけてから三時間も経っていないというのに、体にはおかしな緊張が走っていたようで力が抜ける。
だらしなくはない程度に、机に頬杖をついたカクヤをサレトナはじぃっと見つめてきた。
無垢な視線に緊張してしまう。
「前から思っていたのだけれど。カクヤって、猫かぶりよね」
「はあ?」
初めて言われた印象に、おかしな声が出る。
サレトナはその反応が意外だったようだ。
「ソレシカとタトエも同意してくれたわよ」
「あにゃろ」
頭の中で表情を変えないまま指を二本立てているソレシカと、片目を閉じるタトエの様子が浮かぶ。いつの間にか裏切られていた。
しかし、猫を被っているなどと言われる心当たりはない。
カクヤが首を傾げていると、サレトナはさみしそうな表情を浮かべていた。
「猫なら、サレトナだって八枚くらい被ってるだろ」
「私は自覚していることだからいいの。カクヤはね、サイズの違う着ぐるみに自分を押し込んで我慢しているから、おかしな目で見られているのよ」
我慢から抑制へという言葉に繋がり、ミュイ、セキヤ、クロル、清風というこれまで自分の負け癖などを指摘してきた人物たちが頭に浮かぶ。数は多い気もするが。
とはいえど、その着ぐるみの脱ぎ方がわからないから困っている。周囲から見たら、窮屈なまま暑そうに着ぐるみを着ているカクヤが映っているのだろう。だから「脱げ」と散々言われているのだ。
言われるまでは気づきもしなかったことだった。
「脱ぐときが来たら颯爽と脱いでやるさ」
「そう? できるなら、すぐにでも剥ぎ取ってやりたいくらいなのにね」
「怖いこと言うな」
そこまで話したところで、食事が運ばれてくる。今度はロリカではなかった。
カクヤの手前に鉄板焼きが置かれて、サレトナのところには鶏のクリーム煮が並べられる。カトラリーを置かれて、店員は離れていった。
「いただきます」
「恵みに感謝します」
二人で、揃って食事に手を付けた。
カクヤの鉄板焼きは独特な塩気のあるソースがかかったステーキで、厚みがある。その後にスープに口を付けると、淡泊な味わいが喉を通り過ぎていく。合間に食べるサラダもしゃきしゃきと新鮮だった。
サレトナは上品に、鶏のクリーム煮にパンを浸して食べている。
「うまいな」
「ええ」
いま、二人で出かけて、食事をできていることに幸福を感じた。
第四章 鳴り響け青き春の旋律よ 一括掲載版
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