本は読まれるためにある。
人が微笑める未来を求めてあがき、前進するのを助けるために、様々な媒体で遺されていく知識を集結させた紙の束が、本だ。
そこまで語った青い髪の教師、ハスカ・ライカはまた声を張り上げる。
「と、いうわけで図書室作成の授業も三回目になりました。そろそろ、二十冊くらいは候補に入れておかないと厳しいですよ」
絢都アルスの西側にある学舎、セイジュリオの図書室にてハスカは学生たちの間を歩き回る。手に持っている教鞭は、最初は威圧的だったが、慣れるとどうということはない。
学生たちは興味のある分野の棚におのおの散らばっている。カクヤは音楽の本が並ぶ棚の前にいて、サレトナは経営の棚を見上げ、ソレシカは簿記の本を手に取っている。
いまカクヤたちが取り組んでいる課題は「一年図書室作成」になる。一年の間に自身が読んだ図書や興味のある図書、または他者から薦められた図書などを所蔵する図書の候補として決める。所蔵する図書を決定したあとは、図書目録を作ることになる。請求記号や分類は定められていて、空板を使う学生は空板に登録する。空板を使わない学生は自身でレイアウトなどを考えるために、工夫することができる。収集する図書の冊数は最低でも百冊とされていた。
一年図書室作成の授業の採点は教師と学生の両方が行うが、基準は不明と言われている。地道な作業や読書を好むかなど、様々な点で人気の分かれる授業になるが、カクヤはこの授業が好きだ。読書家というわけではないのだが、作ることは楽しい。
カクヤは実用書、概説書や少しばかり踏み込んだ学術書など、興味ある分野についての図書を偏りすぎないように選んでいた。それでも、自身の関心のある分野の図書に手が伸びてしまう。いままで触れてこなかった分野の図書に手を出すのは、来週からになるだろう。経済や哲学といった分野はまだ縁遠かった。
音楽の本がまとめられた棚の前に立ちながら、カクヤは悩んでいる。いままで見かけては気になっていて、読めずにいた図書が目の前にある。しかし、一週間でも読み切れなさそうな分厚さで、値段を見たら四リルもした。
手を出してみるか、それとも後に回しておくべきか、悩む。だが、他の学生の所蔵にこの図書が選ばれた時の後悔は大きいだろう。
カクヤは決意して、四リルの図書を手に取った。表紙に書かれている『楽祭の起源と放浪する歌夜』という題名を満足げに撫でる。歌夜に関する本は稀少だ。彼や彼女らは自身のことを書き残す習慣などない。自身の歴史よりも歌の研鑽に時間を充てている。だから、第三者が歌夜のことを書き記さなくては実態について知ることなどできない。
空板をセイジュリオの図書館に繋ぎ、予約図書の項目に入れる。確保できたことに安心して、次の図書を探そうとしたときに肩を叩かれた。
振り向くと清風がいた。
「どうしたんだ?」
笑いながら、黙って見せてきたのはラーメンに関する図書だった。カクヤに衝撃が走る。
「カクヤといったら火、火といったら料理、料理といえばラーメン。ラーメンとなったら、カクヤだからな!」
連想ゲームを一人で完結させた清風の発言は放っておいて、カクヤはラーメンに関する図書を指さした。
「それって、もうリストに入れたのか?」
「ああ。俺の図書室の一角を占めることになったぜ」
自慢げな清風に悔しさを噛みしめつつも、少し読ませてもらうように頼んだ。
頁をめくりながら、単調にまとめられつつも濃い内容に溜息を吐いてしまう。
「麺の作り方はこだわりが出るよな」
「スープも具も負けちゃいないぜ。見ろよ。このチャーシュー」
「この魚介で作られた、さっぱりとしたラーメンも食べてみたい」
年頃の男女が盛り上がる図書にしては健全な類いのものだが、話の合わせ方は魅力的な男女の似姿を収めた本を見ているようだった。色気よりも食欲がまだ上回っている。
図書室とはいえ、授業中は静寂よりも活発さが求められている。そのため、咎められることなく感想を言い合っているカクヤと清風の背後に第三の人物が現れた。
「料理は愛情。愛情とはつまり、ペットに与えるものだね」
ルーレスは常の平坦な調子で言いながら、動物図鑑を手にしていた。表紙に書かれている銀の馬は威厳がある。
ラーメンの図書から視線を外して、ルーレスが持っている動物図鑑に目を向けた。清風は眉根を寄せている。
「いまはペットを愛情動物とか言わないだろ」
「知っているよ。共栄存在だろう。年々、言葉に対して求められる繊細さは強まっているね」
人や精霊族、獣人といった、主格人類ではない存在であっても、命を公平に扱う必要があるという意識が高まっている。その施策の一つとして、ペットとなる動物に対しても、可愛がる対象ではなく、共に生きる存在として見なすようにということで呼び方を変化させることが進められていた。
カクヤはペットを飼ったことはない。だから、動物は動物でしかない。それでも、一つの呼び方を変えただけだとしても、長い時間をかけたら対象への意識は変わっていくのだろうと考えていた。愛情を補い合うだけではなく、一つの命として尊重し、共存する。
理想を叶えるために現実を変えていくのだとしたら、現実を認識する言葉に働きかけることが必要だ。
その間にも清風とルーレスはまだ動物についての話をしている。その話が盛り上がっている間にソレシカも話に加わってきて、それぞれが選んだ図書について聞いていた。
カクヤに、ソレシカに、清風にルーレスという面子で揃って行動することにも慣れてきた。クラス全体では他にも学生はいるのだが、主に輪になっているのはこの四人だ。カクヤと清風はチャプターのリーダー同士で話をすることも多く、カクヤとソレシカ、清風とルーレスは同じチャプターの仲間という繋がりもあって、自然と行動を共にしている。
「このメンバーでラーメン屋もやれるか?」
「面白そうだな。ルーレスが材料を調達して、ソレシカが経営。カクヤが調理して、俺が食べる」
「運べよ」
調子の良い清風の発言に合いの手を入れると、笑われた。
「まあ、店員はサレトナとかフィリッシュでもいいんじゃないかな」
勝手な夢を膨らませていく発言だが、カクヤはサレトナが沈黙の楽器亭で給仕をしているように、ラーメン屋で働いている様子を思い浮かべた。
「いや。サレトナはカフェとかそういうところで働く姿が似合う」
断固としてルーレスの発言を一蹴すると、頑固さに苦笑される。
「こだわるね」
「俺だったら、タトエが『らっしゃいませ!』と言うのも新鮮でいいけどな」
「これだから恋する男の子たちは! 妄想力が豊かなんだから!」
清風はラーメンの図書を両手で抱えながら、体を左右にいやいやと振る。ソレシカは珍しいものを見る目で眺めていたが、カクヤは違っていた。
「べつに、恋をしてるわけじゃないし」
カクヤにとって、譲れないこだわりだった。
確かにサレトナは猫を被っているけれども可愛くて、いつだってカクヤを正面から見てくれる大切な少女だが、まだ恋ではない。無性に気になるだけだ。
心の内の言い分は伝えずにいるというのに、清風を初めとする三人は信じられないという目をカクヤに向けた。広い図書室だが、いまは四人がいる場所だけ照明が暗くなった気さえする。
「恋じゃないというのなら、むしろ気持ち悪いよ。執着とかで近づいている気がする」
ルーレスの言葉にカクヤは言い返せなかった。
サレトナへ恋をしていると言い切れるほど付き合いが長いわけでも、強い感情を抱いているわけでもない。ただ、気になる。目が勝手に姿を探してしまう。近くにいてくれると嬉しくて、遠くにいるのならば見守ってしまう。
などと言ったら、「それは恋だ」と返されそうだが、まだカクヤは自身の感情を認められなかった。
すでに認めているソレシカは、図書を戻しながら清風に尋ねる。
「清風は好きな子とかいないのか?」
返答は軽やかな笑いという曖昧なものだった。
秘密主義のルーレスに関しては、尋ねても具体的な答えは返ってくることはないだろう。
また、カクヤたちがそれぞれ目的の図書を探し始める。一年図書室に所蔵する図書は必ずしも読了して終えなくていても良いのだが、できるだけ読むことは推奨されていた。
カクヤが請求番号が六から始まる棚を見ていたときに、来た。
サレトナが来た。
「どう? 図書探しは順調かしら」
「それなりに。サレトナは?」
「順調だからここに来たのよ」
サレトナは手に一冊の図書も持っていなかったが、すでに今日の候補は挙げ終えたらしい。真面目だと、カクヤは感心する。
「それでね、カクヤ。今週の土曜日はどこかに出かける用事とか、ある?」
「いや。ないけど」
「よかった。一緒に出かけてもらいたいところがあるのだけれど、駄目かしら」
いままで会話をしていた、清風やソレシカが静かになる。
カクヤはいま、図書を手にしていない幸運を噛みしめた。手にしていたら確実に落としていた。
「大丈夫だけど!?」
声が勢いよく飛び出て、ひっくり返る。
それを気にしないでサレトナは微笑んだ。
「じゃあ、今週の土曜日。よろしくね」
言い終えるとサレトナはさらりと戻っていく。カクヤがその後ろ姿を呆然と見送っていると、清風にルーレス、ソレシカの三人は戻ってきて、カクヤの背中を何度も叩いた。
「痛いわ」
「夢じゃないってわかっただろ」
「おめでとう!」
「そこの学生たち。図書を探しなさい」
ハスカの冷静な注意を受けて、今度は四人とも散開した。
第四章 鳴り響け青き春の旋律よ 一括掲載版
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