セキヤ先輩が「連れていきたい」と言うのだから、刀剣を扱う武器屋や楽奏に関する楽器店、もしかしたらサレトナと一緒に来るのにしっくりくる喫茶店なのかと考えていた。
だが、道を外れていき、湿り気のある森を歩いて行く途中で違和感を覚えた。それなのにセキヤは常と変わらない陽気さでいたから、カクヤも警戒を強めることや、途中で離れるといった選択肢までは選べなかった。
結果がこれだ。
ぎい、と重い音を立てながらセキヤの手によって閉ざされる扉を背にしながら、カクヤは呆然としていた。
ここは、何だ。
カクヤのいままで知ることのない場所だった。銀色の床が張り巡らされ、隙間からは青や緑の光が漏れている。室内は薄暗く、銀色の筒や四角い箱がぽつねんと置かれていた。
清潔ではある。生物の気配を感じられないほどに。
カクヤはそれでも、落ち着きくように意識しながらセキヤに話しかけた。
「あの、セキヤ先輩。ここは?」
「罪業研究所だよ。戦歴の初め、暴風歴の頃によって作られた」
「何のために、ですか」
「血と臓物に塗れて堕ちたる魂を引き上げて、正しく循環させるために。罪の種類を仕分け、適切な業を与えるために」
語るセキヤの言葉の調子はいつもとは違っていた。冷静でいて怜悧。冷徹でいて冷酷。
「そして、今日は君の罪を見極めるために来てもらった」
かつんと、靴音を響かせて暗闇から現れた女性には見覚えがあった。このような場所で会うとは、思えない。
「ミュイさん!? どうしてここに」
黒い前髪の下から鋭い瞳を投げかけるだけで、ミュイは何も答えなかった。早足で近づいてくると、カクヤを間近で観察する。鼻先が触れあいそうな近さで見つめられて、カクヤは困惑した。
想像もできないことばかりが起きている。それも、自分を巻き込んで。もしくは中心としていた。
ミュイはしばらくカクヤを上から下まで眺めていたが、困ったように眉を寄せた。それは落胆と安堵が入り交じったものに見えた。
「カクヤ・アラタメさん。ロストウェルスには行かない方がいいよ」
「……行きます」
どうしてミュイがサレトナに頼まれた件を知っているのかはわからないが、カクヤは忠告を拒んだ。
サレトナが来て欲しいと言ってくれた。自分を頼ってくれた。
その願いに、応えたい。
「後悔はしないでしょうね。でも、このままの流れに従うと、あなたはアルスと、大切なものを失うわよ」
「その大切なものは、サレトナですか」
ミュイは首を横に振った。
「だったら。俺はロストウェルスへ行きます。サレトナを守りたいから」
「その、サレトナ・ロストウェルスさんが」
ミュイは続ける。開かれた口が動いているのは見える。だけれども、カクヤにミュイの話の内容は届かない。
それでも、ミュイは話していた。だが、気付くと舌打ちをして止める。
「あー! これも引っかかるのか!」
「ミュイさん? あなたは、一体」
「いつか知るよ。だから、いまは言わない。言えない」
ミュイの苛立ちはカクヤに向けられているわけではない。だから、なおさら混乱した。
彼女は善意でカクヤを危地から救おうとしている。だが、その危険の理由がカクヤには欠片もわからないのだ。
「あまり彼女を問い詰めてやるな。大変なんだ」
セキヤが間に入って宥めてくれたので、多少は冷静になれた。
「カクヤさん。信じて欲しいのはアルスにおいて。私は誰の敵でもない」
真剣な響きを持つミュイの言葉からは誠意しか感じられなかった。
カクヤは頷く。かつて、世話になった相手のことを信じることにした。仕立屋と、この場所がどういった関係で結ばれているかなど、さっぱり理解できないけれども、それでもミュイを疑いたくない。
「わかりました。あなたを、信じます」
「うん。じゃあ、今日はここで。また呼ぶこともあるから、その時はきちんと来てね!」
カクヤに念を押してから、ミュイは立ち去っていった。暗闇の奥へ吸い込まれて気配が消える。
セキヤと二人だけになってから、カクヤは自身の指先が震えていることに気付いた。疑問は尽きないが、怖い存在などいなかったというのに、抑え切れない恐怖がある。
「さて。カクヤ、君はいま何に巻き込まれているんだ?」
対するセキヤは普段通りの落ち着いた様子のままなので、カクヤは己の混乱により戸惑いを覚えた。
自分がおかしいのか、セキヤがずれているのか。それすらも判断がつかない。
カクヤは夏期休暇での予定について、セキヤにありのまま全てを話していく。いまはそれしかできなかった。
セキヤは途中で口を挟むことなく、淡々と聞いていてくれた。
「ふむ。ロストウェルスに行くのか。それはまあ、いまのアルスにとっては難しいことだな」
どうして、とカクヤが問う前に唇の前へ人差し指を立てられる。目前にはセキヤの整った顔があった。この状況にあってさえ、軽やかに笑っている。
「がんばりたまえ。良い結果になることを、期待しているよ」
そしてセキヤはカクヤの肩を、ぽんと叩いた。
「……がんばります」
カクヤは長い息を吐いていく。だが、どれだけ息を肺から吐き出しても、この震えは治まりそうにない。
「さあ、帰ろうか。途中で美味しいものを奢ってあげるから、楽しみにしていたまえ」
背を向けて、いつもの通りの調子で進むセキヤには迷いがない。たどり着く場所などすでに理解していて、そのための道程を躊躇なく歩いていける。
遠い背中にはいつになったら追いつけるのだろう。
カクヤにいまできるのは、閉ざされたままの扉を開けることだ。そして、怯えずに、外へ向かって歩いていかなくてはならない。
サレトナたちのところへ、帰るために。
カクヤはセキヤと共に、扉に手を当てる。力を込めて、押していった。
外の明かりが室内を照らし出す。前を向いているカクヤは、背後の闇には気付かない。
気付くことはできない。
>第八章第一話


