流月の半ばにさしかかった頃、ルーレス・コトアは「新学期学生画集」を眺めていた。この画集は友人からもらったものになるが、よくこのような瞬間を切り取ったものだという絵がいくつもあった。素描程度の簡単な出来であるが、簡素だからこそ感じられる躍動もある。
例えば、アユナ・トライセルとタトエ・エルダー、そして万理・タンガーが道を歩きながら上級生に頭を下げられて驚いているといったものだ。アユナの嫌そうな顔がしっかりと描かれていて、ルーレスも思わず口の端を緩めてしまう。
「何しているんだ?」
聞き慣れた声に呼びかけられた。顔を上げないまま、ルーレスは返答する。
「全学生のスケッチ集だよ。絵画のアクトコンからもらったものだけれど」
「へー」
今度は別の声が相槌を打った。
ルーレスは画集を机の上に広げる。左からカクヤ・アラタメが、右から清風・ノックスがのぞき込んできた。この面子でいると、大抵はソレシカ・シトヤが加わってくるのだが、いまはいないらしい。
清風は画集をぱらぱらと最初からめくりながら、感心したように言う。
「どれもうまいなー。これとか、ほら」
めくる手を途中で止めて、清風が指を差した先にいるのは、サレトナ・ロストウェルス、フィリッシュ・ノートル、ロリカ・命唱の三人だ。いつの間にか仲良くなっていて、行動を共にする機会も増えている。
その三人が本を手にしながら歩いてるところが描かれていた。おそらく一年図書室作成の帰りだろう。サレトナの長い髪は風という指揮棒に合わせて踊っている。ロリカの横顔は常のごとく怜悧で、フィリッシュは白黒の中ですら溌剌としていた。彩色のない、ペンの触感も荒々しい絵ではあったが、三人の少女の個性と仲睦まじげに離している様子は見事に描かれている。
「かわいいな」
カクヤは指先で絵に触れながら、ぽつりと洩らした。赤林檎の瞳に映っているのは誰だろう、とルーレスはつい勘ぐってしまう。
そのような疑問をわざと立てなくとも、答えは決まっているというのに。
「誰が?」
だというのに、清風はさらりとカクヤに踏み込んでいった。言わずともよい言葉を意地の悪い笑顔と共に突きつける。
カクヤは頬をわずかに赤くしながら早口で言った。
「雰囲気が」
じとりとした目で睨まれながらも、懲りた様子もなく清風はけたけたと笑っていた。
全く、大人げが無い。
ルーレスもカクヤに同情せずにはいられなかったが、指摘することも野暮なので、あえて黙って画集のページをめくっていった。
一枚の紙に何人もの学生が日常を過ごす様子が描かれている。中には、清風がフィリッシュに投げられた紙箱を顔から受け止めている絵もあった。その絵を見たときは、カクヤもルーレスも笑ってしまった。清風も恥じることなく、当時を思い返していた。フィリッシュの怒りを買うことをしたらしい。
からりと、教室の扉が引かれる音がした。ルーレスたちの視線が向かう。入ってきたのはソレシカだった。手には紙袋を持っている。
「人に買い物させといて、なに騒いでるんだ」
「わりーわりー。ほら」
清風がルーレスの持っていた画集をソレシカに向ける。ソレシカは近づくと、画集を空いている右手で取った。手に持っていた荷物を机の上に置いて、画集をめくっていく。途中で手が止まった。
「この子、可愛いな」
ソレシカが示したのは長い髪の少女と、凛とした顔立ちのボブカットの少女の絵だった。ボブカットの少女の蹴りを長い髪の少女が見事に受け止めている。
だが、驚くところは描かれている場面についてではなかった。
ルーレス、清風、カクヤの三人がソレシカを凝視していると、ソレシカは画集を返しながら言う。
「何を呆気に取られている」
「シトヤはエルダー君に好意を抱いていたのでは?」
「好きと可愛いは別物だろ」
「そうだけどさ」
すでにサレトナに対して淡い感情を抱いているカクヤは、ソレシカのことを浮ついているとでも思っているようだ。タトエ・エルダーに衆人環視の最中で告白したというのに、他の女学生にも「可愛い」と評しているのだから、軽薄と受け取れなくもない。
清風は特にソレシカを咎めることはしないまま、買ってきてもらった果汁飲料を探っている。ルーレスとしてはその呑気さに安心した。葡萄味の果汁飲料を受け取り、ルーレスは言う。
「いや。君が異性に興味を持ったことに驚いたのではないよ。複数を愛しいと認められることが驚きだ」
「愛が一つだけだったら、生きていけないだろ」
「まあな。心を許せる対象は複数いてこそだし」
ソレシカの言葉に清風も同意する。だが、カクヤは釈然としないようだ。
真面目というよりも一途な性格をしているので、一度に複数に対して好意を抱くという行為を、人それぞれと割り切れないのだろう。ルーレスとしては好ましい真面目さだが、融通の利かなさの表れでもある。
清風は茶を飲みながら言う。
「で、ソレシカはタトエくん以外に好きな子ができたらどうするの?」
「そっちへ移るんじゃないか」
「ひどい! 少し以上に顔がいいからって!」
清風の発言をソレシカはものともしない。呆れた顔のままで言う。
「落ち着けよ」
「落ち着いてるよ」
「ルーレスはな。俺が言っているのは、こっち」
ソレシカは清風を指さした。手に持っていた飲料を飲み終えたのか、机の上に置いて、自身は机の端に腰を乗せながらソレシカは言う。
「一度、愛を誓ってもそれが永遠になるとは限らないだろ。恋に酔えるのは一瞬だけだ。俺としては惰性で一緒に居続けるよりも、本当に好きな奴といるようにしたい」
「言いたいことはわかるけど、ろくでもないな」
珍しく辛辣なカクヤの切り返しだった。ソレシカは特に気にしていない。反対に問い返した。
「カクヤはどうなんだ?」
「俺は、できるなら。この人だと決めた人がいてくれるなら、ずっと一緒にいたい」
「僕もそうだね」
「俺はどっちかというとソレシカ側だな」
カクヤとルーレス、清風とソレシカと意見が分かれた。
普段は同じチャプターということもあってか、カクヤがソレシカと反する側に立つことはあまりないので、今回は珍しい。
ルーレスが興味深く観察していると、またも教室の扉が開かれた。
「あんまり居残るなよ。鍵かけるぞ」
入ってきたのは、教師のローエンカ・タオレンだった。校舎の見回りをしているようだ。
それぞれ、帰るための準備を進めていく。先ほどの話題はこれで打ちきりだ。
「ローエンカ先生は、愛ってなんだと思います?」
だが、清風が鞄を背負いながらローエンカに無謀な質問を仕掛けていた。問われたローエンカは目を丸くしている。
「いきなりなんだ。ヤスズ先生の授業で出たか」
「いま、その辺りで俺とカクヤの意見が分かれていまして」
ローエンカは腕を組むと、斜め上を見上げた。真剣に答えを考えてくれているようだ。ローエンカは学生たちに対していつも真面目だった。
「そうだなあ。先生として言えるのは、好きになった相手にも感情はある。だから、誠意を常に持つこと。それが、愛だ」
カクヤ、清風、ソレシカ、ルーレスの四人は揃って「はーーー」と感嘆の声を上げた。
大人の答えと言えばそうであり、無難な答えであると言えばその通りだ。だが、いままで主観的だったカクヤとソレシカの考えとは違い、ローエンカの答えは相手のことを考える礼儀があった。
だが、ローエンカは顔をしかめている。
「なんだなんだ」
「先生。お手本にできる返しですね」
「馬鹿にしていないよな」
「してませんって」
カクヤが最後に鞄を肩に背負う。
「ま、命長くとも恋せよ少年だ。ほら、かえったかえった」
そうして、ルーレスたちはローエンカに閉め出された。
四人で校舎を出て、セイジュリオの庭を歩いて行く。葉の緑は増していて、日も長くなってきていた。入学した史月から時間が流れているのを感じられる。
それぞれの家や宿まで向かう途中に前を歩くカクヤが呟いた。
「新しく恋をする、か」
「一生は長いからな。一回の出会いで運命とか決まってたまるか」
カクヤの隣に並んでいるソレシカが付け足す。
ルーレスは正反対の二人を、ただ黙って見守っていた。
それぞれ背負う過去が二人の異なる価値観を育んできたのだろう。それに善悪はない。
大切なのは、これからどう恋をするかだ。
恋せよ命の続く限り
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