Memome

まあ、語りたいのなら文字に起こしてサイトにぺいっと載せることが一番平和なのですが。今度やります。
昔、メロンブックスさんやフロマージュさんで『花園の墓守』(ファンタジー一次創作小説)の委託を試みたことがあります。
ただ、「うっすらと女性向けではあるけれど男性も読んでくれる、恋愛を含むファンタジー小説」というものを委託して購入してくれる方がいたのかを考えると、まず『花園の墓守』のターゲット層はごく当然のように本屋さんに行ってプロの小説を購入するので、無謀だったなあとしみじみ。
過去の小説と見比べて、いまは「肩に力が入りすぎて不自然になっているなあ」としょんぼりしてしまいます。
密度はいまの方がおそらくありますが、軽やかさや面白さ、奇抜なアイディアは過去の方が勝っているのではないかと膝を抱えています。
自分の創作や、創作論についてくたくた語りたいです。
対面でしたいのが、わがまま。
正直なところ、リプレが終わったら公募のための小説を書き始めるので、当分表に出せる作品は書けなくなります。
その上、過去に考えたリプレ以外の長編三作品と短編連作二作品を書き終えるまでこの命を終わらせたくないという状況ですので、自創作で手一杯。むしろ手が足りない。

まあ、まずはリプレなのですけどね!
「不完全書庫」を見返していて、自分の好きなものを言語化することはとても大切だ……と思い至るなど。
改めて、最適なタイミングで「X(当時はTwitter)」を辞めることができたのはとても幸運なことだと思います。
たまに思い悩んだりして、「Xfolio」以外の投稿サイトに作品を公開することも考えたりしますが、それでもサイトを優先する自分の判断は私にとって有益でした。
これからも、サイトが一番、たまに「Xfolio」でがんばりたいです。
自身の芯を揺らがせない。そうしたら、生まれるものはきっとある。
SNSも個人サイトも等しくインターネットの上にあるのは変わりないのですが、見る際に「自分の意思によるクリックをする前提があるかどうか」は大きいのではないかと思います。
こちら、SNSではすでに言ってはいけないことになっていますが。

背景や物を描くと、やっぱり「まだまだ私は絵が下手だなあ」と自分の絵を観てしみじみ思うのですよね。下手だとわかっていても、他人から「下手ですね」と言われたら絶対にむっとするのですけれども。さて、話の本題。
隣の席にいる友人と比べられながらも描き続ける、学び続ける方たちの執念や凄まじさを、自分の絵が「下手」なことを実感するたびに染み入るように感じます。私は自分の創作を「趣味」と位置付けていますけれども、本当はその地点で終わらせたくないのに、いまのところ心を守るために「趣味」としている。
本当は違うのに。その事実が、とても悔しくて、虚しくなります。
だけれども続けていられるのは、やっぱり「好き」があるからなのでしょうなあという、損も益体もない話。
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