Memome

「愛してる」はときめくだろうが、想いを語るにはちと若い。
自身の好きを語るのに、これほど自由な時代はあっただろうか。
自身の好きを肯定するのに、これほど不便な時代はあっただろうか。
人と語り合うよりも己が声に問いかけたい。
私はいまも好きでいられていますか。
自分を嫌いになるくらいでしたら、見なくても読まなくても良いものは沢山あります。
できるだけ、実のあることを長文で書きたいと考えております。
簡潔でわかりやすいことを求められている世流なのは承知です。私も様々なことに関する入口のハードル自体はあまり上げたくありません。
ただ、もう少し考えて、考えて、考え続けて『永世乙女の戦い方』にあるように「美しい一手」の思考ができたら、理想です。
推しカプがいちゃいちゃする場面を書きたくて筆を執っているというのに、その前のすれ違いであったり、喧嘩であったり、何気ない導入でじわじわ引き延ばすことはありませんか。
私はあります。
いちゃいちゃする場面に一直線でいくよりも、待たせてから少しだけ「いちゃ!」とさせる作風のようです。
人の心は外から読めないもので、言葉では伝わらないことも沢山あることを忘れてはいけない。
同時に、自分の言葉と態度、身振りでしか自分の考えを他人には伝えられないということも。

一の言葉の中には千の感情が眠っていることもあります。
自分が生きていることが当然ではない方は、亡くなられた方や墓などに引き寄せられるのですよ。
彼岸の引力は気が付かなければありません。でも、いつだって強いのです。
強く引っ張っているのです。
創作を仕事として選び、プロになって、結果を出すことはとてつもなくすごいことだと実感しています。
その理由としては、今まで「忙しいから……」とこっそり逃げていたリプレの六章の改稿作業の準備に取り組んだためです。
六章終了時で、リプレは約十五万二千字まで書いたということ。
一年かけて、そこまで書けたことにも驚きです。
また、一年もの時間をかけているというのに、そこまで進んでいないことすらも驚きです。
作品を制作するペースとかかる時間は人それぞれですけれども、この一年間の私を振り返って、プロの筆の早さと面白さを提供するということのすごさに、改めて感服してしまった現在です。
してしまったことは覆せない。
だから、自制が大切なことを忘れないで。
自分の感情は、肯定であれ否定であれ、己の言葉で紡がなくてはならない。
寂しいですが、他人にできることは「応援」だけなのかもしれません。
しっかりしている方たちは、他人に依存せずにいられる。
連絡を取らなくとも、友人でいられる。
そのことに憧れます。