花園の墓守 衛編 第五章『話し合い』

 彼岸にしては珍しく晴れた日。外に出て走り、花の薫りを楽しみたくなるような心地よい天気だが、いまは食堂でテーブルを挟んで向かい合う七つの姿があった。衛、由為、七日、きさらの列と、影君、花嬢、影生の列だ。それぞれの前にソーサーとティーカップが置かれていた。
「それでは、話し合いを始めましょう。こちらから進めさせてもらっても構いませんね」
 衛の宣言に近い発言に影君は頷いた。
「彼岸の管理者代表として訊きます。そちらの、花影側の目的を教えてください。あなた方の望みが叶えられることでしたら、できるだけ無難に事を済ませたい」
「随分と譲ってくれるようになったな。で、もし俺たちの願いが此岸の占領だったらどうする」
「私たちが全力で制圧にかかります」
 影生の発言に応えたのは七日だった。実際にやりかねないだろう、またやれる可能性もあるので恐ろしい。本気の具合をどこまで察したのかは分からないが影生は素直に花嬢へと説明を譲った。
「一瞬でいいから。私たちは字の残滓としてぼんやりとあるのではなく、生きている体を持ちたい。それが花影として意識を持つと同時に浮かぶ大切な願いよ。そのために此岸の人の字をもらいたかったけれど、あそこはもう危険な場所になってしまった」
「彼岸の管理者ではなく、此岸の人が花影たちを殲滅したから?」
「ああ。あの人に比べたら彼岸の管理者とのほうが交渉する余地がある。僕たちはその結論に至った。過去の彼岸の管理者たちは、僕たちに傷を負わせたが命を奪うまではしないで、願いを叶えて生を実感させてくれたから。でも、此岸の人たちは違う」
「当たり前です。此岸の人からしてみたら、花影の存在はただの加害者としか映りません。私たち、此岸の民には抵抗する力もない。一方的に字を奪い体を乗っ取る存在の境遇を哀れめとおっしゃられても困ります」
「きさらさん、言い過ぎ」
 由為の本音も聞かなかった。これまでとは違う、花影を乗り越える意思や覚悟がきさらにはある。「此岸の代表としての態度で話し合いに臨む」と事前に衛は聞かされていたが、これほどかたくな態度でいるとは予想していなかった。
 自分はどうするか、衛は改めて腹をくくる。
 誰も彼もは救えない。そして自分は、あと少しで彼岸を去る人だ。花影の願いに耳を傾けつつも、選ぶのは此岸の安寧しかない。
「きさらさんの発言にも意味はあります。ですが、永遠に花影と此岸と彼岸が険悪なままではいけないから、俺たちは話し合っています。できるだけ、犠牲が均等になるように終わらせらたい」
「均等な犠牲までの覚悟はできてるのか」
「此岸は了承するとは限りませんよ」
「あの、花影という存在は一体いくつあるんですか? 数によっては現し身の花を作って、花影の願いを叶えてしまえば、終わるのでは」
 先に進めなくなりそうなところで七日が一歩踏み出す。
「花影の数は、丁度此岸の半数。二十前後といったところだな」
「そうですか。ちょっと俺、貴海先輩に現し身の花はいくつあるか聞いてきます。俺としては七日の案にわりと賛成なので」
 由為が食堂を出ていった後に、影君から視線を投げられて、きさらは見解を述べる。
「一瞬だけでも、生きられたらそれで良い。現し身の花を貰ってから「もっと生きたい」という要求がなければ、此岸も目をつむるくらいはできそうですが。あとは、此岸に害がなければ」
「赤髪の嬢ちゃん、なんっか偉そうだな」
 不機嫌な声色から、物騒な匂いが立ちこめてくる。衛は直に影生と剣を交えたので、多少だが激しい気性を読み取れる気がした。対してきさらは落ち着いた様子のままでいる。以前のように手を震わせることもしていなかった。
「此岸が傷つかなければ、花影や彼岸の立場はどうでもいい。それは最初に衛が言った均等な犠牲を破ってるだろ」
「此岸にも犠牲を払えと言いたいのですか? その理由は。根拠はなんです。此岸はこれまで花影に怯えさせられていただけでしょう。何もしていません」
「そうね。何もしていないから、こうなったのにね」
 明らかな皮肉を聞かされて場の空気が一気に沈み込む。
 話が噛みあっていないのはよくわかった。認識の違い、立場の違いなどがあるが、うまく嵌まらない理由を見つけないと話し合いは決裂して終わるだろう。花影がなりふり構わず此岸で暴れないように、妥協点を見つけなくてはならない。
「花影の方々。此岸の人たちは、抵抗した唯一の人も除いて。他に何かあなたたちに失礼をしましたか。そういうことがあったとしても、この場にいる俺たちは知りません。教えてください」
「……本当に、心当たりがないんだな」
 影君の言葉には憐憫がたっぷりと塗られていた。自身の、そして此岸の愚かさを憎むのではなく、呆れるのではなく哀れまれた。その態度になおさら此岸の無知を教えられた。衛はうなずき、頭を下げる。
「教えてください」
「辛い話になるわよ。あなたたちが、何も知らないなら」
「いいですよ。このまま此岸だけが無事なのは、私も怒りたいですし。きさらさんも大丈夫ですよね」
 一瞬の間を置いてから、きさらもうなずいた。
 これからどのような話が来るか、待つ。だが影君は喋らない。促そうとしかけるが扉を叩かれて、誰を待っていたのかに気付く。
 貴海が扉を開けて、由為が入ってきた。ファレンと弦もその後に続いてから、弦は影生の隣に座り、ファレンは最後に入室した貴海と一緒に壁の近くに立つ。これで彼岸にいるはずの全員が揃った。
「なかなか殺伐とした空気での話し合いですね」
 呑気に弦は言うが、表現は的確で、場の空気は陰鬱だ。一つの失言によって全てが台無しになりそうな危うさに満ちている。
「此岸の人たちは過去に約束を破ったの。この世界の循環は知っているでしょう」
 彼岸にまず物語があり、その物語から字がこぼれ、字は此岸で人を形作る。人は字を消費して生きるが、最後にはまた字となって彼岸の花の養分となる。育った彼岸の花はまた物語を芽吹かせるといった流れだ。
 正直に言うと衛は初めて知った。きさらや由為もだろう。
「その流れの中で、人にも花にも、物語にもなれなかった字の集合体が私たち花影。正しく彼岸の管理者によって、流れに戻されるもの。でも、管理者に先んじて私たちを散らした此岸の人は、葬ることをしなかった。蹂躙だけして、そのまま河に投げ捨てたの。捨てられた字たちは新字の源に流れ着いて、またいびつに結ばれて、私たちが生まれた。そのことに気付いた彼岸の管理者は私たちをヴィオレッタの剣で封じた」
「それはひどいですよね」
「ああ。此岸の人の行動によって、彼岸の管理者も此岸に必要な代償を求めることもできなくなった。だから、いま花影は花影であったことも忘れて新字の源でくすぶらされている」
「これが、あんたら此岸の人の誤りだ。そして俺や影君や花嬢のように意識ある花影たちの願いは一つ。生きて、葬られることだ」
 生まれなくては死ぬこともできない。花影の主張に衛は眉根を寄せた。
「あなたたちは、生きたくはないのですか。一瞬ではなく花影として、きちんと。人のように」
 絞りだしながら疑問を告げると、不意に影君の表情が和らいだ。予想していた問いなのか、それとも聞かれるとは思っていなかったことなのか、不明なまま答えは返ってくる。
「そうしたい、と願っても叶わないのは分かっている。不要な夢は僕たちも見たくない」
「衛さん、どうしてそんなことを聞くの。此岸で花影は生きられない」
 影君の言葉もきさらの言葉も正しかった。どちらかしか選べない。そして衛も此岸の安寧を選択したというのに、どうしていまの問いかけをしたのか。花影の肩を持つようなことを尋ねたのか、その理由に気付いてはいる。
「俺は、理解を諦めたくないからです」
 衛として生きるのならば、いつだって互いの立場を考えて最良を選ぶことを諦めてはならない。このまま花影は此岸に害を及ぼすからと、葬るためだけに生を与えるのは傲慢だ。かといって花影を此岸に招くこともできない。
 顔を上げる。
「貴海さん。彼岸に現し身の花はいくらありますか」
「いくらでもあるし、作れるが。どうするんだ」
「彼岸で、花影の方々が生きることは可能でしたら。生きてもらいたい」
「良い案に聞こえますが、駄目です。それでは此岸が犠牲を払わない」
 弦が鋭く言い放った。
「この問題は、此岸が花影を葬ることを怠ったから起きているんですよ。此岸がするべきことは一つ。花影に生を与えて正しく謝罪して、葬儀を執り行うことです」
「でも此岸は花影を受け入れる余裕がないわ」
「彼岸だって、同じだよ。余裕があるわけじゃない」
 また、話は進まなくなった。
「由為君はどう思う?」
「花影が此岸で生まれたものなら、やっぱり葬るのは此岸でなんですよ。でも、此岸の人はおそらく花影を葬るなんてこと知らないから、できないから。まずはその方法を調べましょう」
「どうやって」
「貴海先輩。彼岸の管理者の役割がまとめられている本も、ありますよね」
「ああ。書館にまで行かなくとも屋敷の荷物置き場にある」
 由為と七日は探しに出ていった。
「でも、どうやって此岸に花影を連れていくんだ? それに葬儀をするなんて言っても、誰も応じないだろう」
「葬儀自体は彼岸の管理者が行う」
「なら、きさらさん。此岸を優先する俺たちができるせめてもの行為は、花影の方達に生のを経験して、此岸で穏やかに葬儀を行うことじゃないかな」
「できない」
 きさらは否定した。
「私の嫌悪感などで言うのではなく、此岸の者としてできない。認められません。花影を葬るのは結構、でもそれは彼岸で行ってください」
「交渉が決裂なら、私たちはいますぐにでも此岸に行って暴虐の限りを尽くすわ」
「そちらが本音なのでしょう」
「待って」
「残念ながら、衛さん。待てませんよ。花影だって自分たちがいてはならないものたちであることは分かっている。だからこそ葬り去られることを受け入れていたのに、此岸の人が裏切った。その報復くらいはしても良いでしょう」
 衛は焦る。このままでは花影と此岸のあいだで争いが起きる。
「私たちは、あなたたちだけ生き残ることは許さない」
「滅びるのが、自分たちだと思って悲劇の主人公を演じているのですか」
 きさらの発言に花影たちは表情を変えた。きさらは淡々としたまま告げる。
「此岸の人たちだって、滅びるの。せめて平穏とともに迎えられるように此岸の管理者たちは努力しています」
 だからだ。
 かたくなに、きさらが花影たちが此岸に来るのを反対していたのは、そのためだったのだ。「戻りました!」
「お願いします。此岸の方たちが最期の時を過ごすのを許してください。そのために花影は、来てはいけないのです」
「どちらも滅びるのなら、争ってすっきりしましょうよ」
 弦がいっそ楽しげに言った。
 話の流れが分からず様子をうかがっている由為に、七日に、うつむくきさら、無言のままの花影たち。笑みを隠さずに様子を見ている弦。
「そろそろ俺も口を開いて構わないだろうか」
 貴海が言った。
 場を譲ると淡々と貴海は話す。
「花影が望むのは此岸への反撃と覚めない眠り。此岸が望むのは花影が近づかないことと穏やかな滅び。彼岸の望みには触れてこなかったが、ファレンの生存をとりあえずの目的として」
「最後のは完全に貴海さんの願望じゃないですか」
「そうだが」
 あっさりと頷かれては責めることもできない。
 衛は貴海の言葉の続きを待った。
「全ての願いを叶えることはできない。だが、此岸で花影を葬ることを許してもらえれば、花影が此岸の人を害することはなくなる。付け加えるなら彼岸で花影を葬ることはできない。彼岸は花影を一時的に生かす場だから」
「みたいですね」
 補強するように由為は持ち出した本の内容を読み上げた。
 彼岸の管理者は、花影を現し身の花に宿らせて彼岸に一瞬の生を与え、その花を此岸で葬ってきた。葬る際の代償として、此岸から多数の花をもらう。その花をまた現し身の花にしてきた。
「だから、きさら先輩。花影を此岸につれてこないことよりも、害を及ぼさないように約束してもらうのが大事じゃないですか」
「……そうね。花影の方々が誓えるのならば」
「俺たちだって、此岸を傷つけようとしていたわけじゃないよ」
「なら最初に言ってください」
「誤解を招く話になったのは謝る。ただ、此岸も場所を提供するだけではなく、一人だけ連れてきて、教えてもらいたいんだ。誰が花影を河に放り込んだのか」
 もっともな質問だ。今回の拗れの元とも言えるのが、名前のない、彼岸の管理者より先に花影を払った無私の人から始まっている。貴海と由為の知識が確かならば、花影は葬られることは受け入れていた。ただ、滅ぼされるのは許せなかった。
 此岸の罪は確かにある。
「そろそろ話をまとめよう、衛」
 変わらず貴海は衛に責任を任せようとしている。頷くことによって責任を受け取り、話し出す。
「俺ときさらさんは花影の件の許しをもらうのと、そうだな……無私の人とでも呼ぶことにする。かつて此岸を救った人を知っている人がいないかを捜すよ。由為君と七日さんは花影の方と儀式の準備をしてもらって。花影の方たちは、自分たちの現し身の花を用意してもらう。貴海さんとファレンさんはこれら全般の支援。それで、いいかな」
 反対されることはなかった。ここが、落としどころだと全員が分かっているように。

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