花園の墓守 衛編 第四章『由為の返還』

 現実を捉える。
 花嬢たちによって彼岸へ帰ってきた衛達を花園で迎えたのは、貴海とファレンだった。
「おつかれさま」
 屈託なく接されて衛は自分の行いを思い出して密かに恥じた。赤くなることを許さなかったのは手の中にある由為の花だ。伝えなくてはならないことがある。
「由為君の花を一つ、取り戻しました」
「ついでに現し身の花もかっぱらってきましたよ」
 衛と弦がそれぞれ手にしている花を渡すと、貴海は瓶の中の花を観察し始めた。審判を待っていると、衛の手に由為の花と現し身の花が戻ってきた。
「由為を起こしに行くか」
「一つだけなのにできるんですか?」
「ああ。現在の白い花があればいますぐ起こすことができる」
 どうする、と衛と七日は尋ねられた。今回の貴海は手助けはするが、決定はしない淡泊な決意が感じられる。衛はその姿勢を受けいれることにして、自分の意思を答えた。
「起こします」
 三年前に眠りにつき、身勝手な犠牲を支払った少年に何を言えるだろう。感情のままに怒りたくはないが、言わなくてはならないことは積もり積もってしまっている。
 七日も由為を起こすことに同意した。
 彼岸の管理者と花影は揃って屋敷に帰る。

 あまり大勢で詰めかけるのもよろしくないとのことで、由為の部屋に入るのは衛と七日と花嬢に決まった。貴海は部屋の外で待機する。
 衛たちが部屋に入ると由為を見守っていたらしい、きさらが顔を上げる。手の中にある瓶を見て切なげに微笑した。引き起こした結果を思い出した辛さを和らげるためのものか。それともようやく訪れた目覚めの時を喜んでいるのか。聞くこともしなかった。
 衛は説明を受けたとおりに瓶の中から花を取り出す。それを七日に渡した。
 由為を起こす役目は誰よりも七日が相応しい。
 三年前の時に誰よりも由為の側にいて、一緒に歩いていた少女。目覚めを待ち焦がれていたというのに焦らず、やるべきことを繰り返して今日まで来た。
 七日は由為の枕元に近づき、膝を曲げて伏せると、そっと顔から胸にまで花を差し出した。花は静かに解けていき、数多の字と化していく。由為の周りに渦巻いていき全身に吸い込まれていった。
 薄い瞼が何度も震える。青い瞳が光る様子を願い、拳に力を込めて見守っていく。
 字の螺旋が完全に消滅すると。
 由為の、目が。
 開かれた。
 ぼんやりとさまよっていた瞳は衛ときさらと七日を捉える。焦点が合い、笑顔が咲いた。
 由為が目覚めた。三年間、眠りについていた少年はようやく自分の人生を取り返した。その瞬間に伝えようと決めた言葉は沢山あるはずだったのに、いまは何一つ言葉にならない。
「おはよう、由為くん。ねぼすけさん」
「うん。待たせてごめん。七日」
「本当だよ、全く」
 笑い合う由為と七日に涙が出そうだ。三年の隔てなどなかったように再会を喜んでいる少年と少女のあいだに満ちる幸福を、壊したくなかったが、衛は踏み入った。
 名前を呼ばれて由為の表情が変わる。苦笑だ。いまから何が起きるのかを理解して待っている。
 衛は深く息を吸って、吐いた。
「言いたいことは沢山あったのに、どうして言おうとすると消えてしまうんだろうね」
「俺が悪びれないからじゃないですか」
 由為は寝台から背中を離す。よろけそうになった体は七日に支えられた。細い腕をさらに衛がつかむ。
「おかえり、由為君。そして俺はずっと怒っていたよ」
「はい。何も言わないでいて、ごめんなさい」
「先に謝られたらさらに言えないな。長々とした説教は止めるけど、これだけは言わせて。……君が犠牲にならなくてはいけなくなる前に、それを選択したことを、君が愛する全ての人に伝えなくてはならなかった」
 言いながら自分もやっぱり身勝手な人間だと衛は思い知るが、間違っているとは思わなかった。由為の選択は由為の自由だ。だけれど、由為を心配するのも衛やきさらや七日の自由だ。止めたいと願い、由為の選択を妨げるのも衛にとっては優先してすべきことだった。
 それが嫌ならば互いに話をする必要がある。明日滅びる世界を前にして悠長な余裕はないとしても、一方の身勝手によって救われた世界で罪悪感を抱きながら生きるなど衛はしたくない。許したくないから、許せようになれるだけの理由を知りたかった。
「感動の再会は終わらせていいかしら」
 花嬢が事務的に言った。由為は姿を認めると顔を輝かせた。
「君、こっちに来られたんだ。じゃあ話し合いも」
「ええ。これからよ。彼岸の管理者のところに、あなたの花が一つ、現し身の花が二つ。こちらは逆しまに二つと一つ。ようやく対等に話せるわ」
「待って、花影たちが花盗人を申し出たのは、花を奪うためじゃなくて。話し合うために?」
 疑問を差し挟んだ衛に花嬢は疲れたように頷いた。
「片方だけ質を持って、話し合うなんてできるはずがないってことを私たちは痛いほど刻まれているのよ」
「此岸の人が、何も得ずに花影を追い払った過去によって学んだのかな」
「鋭いわね七のお嬢さん。そう。これから全員で行う話し合いで、もう少し深く話すことになるでしょう」
 由為が目覚めた感動は少しずつ拭われていき、漂い始めるのは焦げた花の匂いだ。不穏が起きる前触れがいたるところに散らばっている。
 彼岸はこれまで此岸の命である花を握ることにより、此岸を抑圧していると教えられてきた。だが、彼岸に渡った三年前から、此岸と彼岸の不仲の原因は遠い過去に此岸の人が裏切ったためだと知り、新たに現れた花影は両岸とどのように関わってきたのか。此岸にいた頃はどうして花影に気づかなかったのか。
 いくつもの謎が明らかになるとしても一つずつに対する善悪の所在はいらない。衛は此岸と彼岸が繋がるために答えを知り、自分のすべきことを見つけたかった。
 そのための話し合いは由為の調子から判断して三日後に行われると決まった。

 由為が目覚めた。
 それを知ってもきさらは由為に会うことができなかった。貴海や衛から許されなかったのではない。きさらが由為にどのような顔で会えば良いのかが分からなかった。
 由為が眠りにつくように背を押したのは、まぎれもなく自分だから。謝りたいような、素直に喜びたいような複雑さが入り交じって談話室でぼうっとしてしまっている。自室ではないのは誰かが来てくれるかもしれない、淡い希望に甘えているためだ。
 だから、扉が軋んだときには緊張と期待が生まれた。鍵がかかっていないのが分かると赤と黒の扉はゆっくりと開かれていく。現れたのはファレンだった。
「ここにいたのか」
 無邪気に安心する年上の女性は不思議といとけなく見えた。ファレンはいつもそうだ。自由で軽やかな人。
 ファレンはきさらの向かいに腰を下ろす。両手で顎を支えながら言葉は発しない。
「私に、何か用事でしょうか」
「そうだな。きさらとおしゃべりしたくて、貴海の目を盗んでここまで来た」
「お気遣いありがとうございます。由為くんのことですよね」
 首を横に振られた。では、何のためかと聞けば答えは簡単に帰ってくる。
「きさらがいまも寂しそうだから。でも、衛たちには言えそうにないことも、一番暇な俺には言えるだろう」
 他の人の手を煩わせたくないならファレンが最も話しやすいが、心の距離では誰よりも話しづらかった。きさらはいままでファレンと交流の機会を作らないようにしていた。仕事や生活に必要なことは話してきたが、あえて距離を作って踏み込ませないように、接してきた。ファレンは良くない。好意を持つとその感情が障害になると分かっていた。
 きさらは此岸のために彼岸へ来た。此岸のためならば彼岸を犠牲にすることも躊躇わないように諭されている。
 だが、共に来た衛は違った。衛は此岸と彼岸が相互理解できるように夢見て彼岸へ足を踏み入れた。最近はその違いが辛い。彼岸に馴染まれていくたびに、きさらは孤立する。
「抱えているものを話せないなら、明日の夕食でも話すか」
「誰が作るんですか」
「俺。何を食べたい? 赤い花、白い花、青い花。焼くか煮るか、それともそのままか。とっておきを振るってやる。だから」
 間を置いて、穏やかに言う。
「もう我慢しなくていいよ」
 透き通った言葉は胸に落ちて、広がった。話はしなくとも、この女性は見ていたいのだ。きさらを、ずっと。
「我慢なんてしていません」
「そうか。大人だな」
「ええ。大人だから、知りたいことが沢山あります。教えてもらえますか」
「俺が知っていることなら」
 いまは大きな機会を手にしている。慎重に言葉を選びながら、質問を始めた。
「過去の彼岸の管理者たちは此岸を助けてきたと聞きました。対価を求めて。その対価とは、何だったのでしょうか」
「字だよ。新しい字、使われている字。古い字でも何でも良い。人を媒介にして彼岸の管理者は彼岸にない字を差し出すように求めてきた。いまも此岸の人に彼岸に来てもらっているけれど、それとは別の形で彼岸は此岸の人を迎えてきた。俺の母のように」
「ファレンさんのお母様は此岸の方だったんですね」
 純粋に彼岸の人たちだけで生まれたと思い込んでいたので、意外なことを聞いた。
「ああ。母の字と父の物語の交配によって俺はいる。彼岸で最後の物語としてな」
「最後」
「うん。もう、この世に物語は生まれない」
「貴海さんとその……」
 はっきりと子を成そうとしてもか、と尋ねるのは躊躇われる。顔が熱くなっているのを自覚しながら言いよどむとファレンはさらりと口にした。
「手を合わせ、指を絡めて、額を触れあわせる。最愛の一文字を口に含んでから唇を重ねて
繰り返す。愛してる、俺はあなたを愛している」
 それは、此岸でも行われている字を残すための行為だ。字と字が絡み合い、源へ流れていってから三月後に、愛を交わした二人の子が誕生する。きさらもそうして生まれてきた。
「子を成す術は此岸も彼岸も変わらないよ。俺も貴海も父から正しくやり方は習ったが、まだしていない。貴海は嫌がっているから」
「あれほどファレンさんを溺愛していますのに?」
 おかしな声が出た。発声か発言のどちらに反応したのかは分からないが小さく笑われる。
「貴海も大概なものを背負っているから」
「その貴海さんも過去の管理者としての役割や、対価について知っているんですよね」
「ああ。花影が此岸を脅かし、此岸が彼岸に助けを求めたのがわりと昔。しばらくは字を供給してもらう約を交わして、彼岸は此岸を守ってきたが、あるとき此岸の人が此岸を守れた。それなりに昔。で、此岸が彼岸との縁を一つ切ったから、字の秩序が乱れた。それを知ってしまった彼岸の一人がヴィオレッタの剣で花影を抑制してしまったのがそこそこ昔。字の循環が乱れている現在を押し止めたのが由為で終わる」
 ファレンはそうして説明を締めた。
「どうする、きさら。俺が話せることは大体教えたぞ」
「ありがとうございます。最後にもう一つだけ教えてください」
 息を吸い、目を閉じて、落ち着かせてから聞くべきことを選択する。
 これから何をしたいのか、すべきなのを見つけるために。素直な気持ちでファレンに尋ねた。 
「世界は確実に滅びますか」
 ファレンの答えはきさらにとって満足のいくものだった。

 きさらはいま、此岸にいる。
 一人で。
 字消行為が終息しても、彼岸から此岸へ食材としての花の輸出は終わっていない。定期で来る、女好きな舟の漕ぎ手に目配せをして密かに連れていってもらった。
 最後に来たのは一ヶ月ほど前だが、肌で感じられるほど雰囲気が違っている。息をするのもつまりそうな閉塞の空気に満ちている此岸をきさらは、初めて体感していた。此岸にはいつだって明るさと自由が満ちている。それが宝であり誇りであったはずだ。
 道を歩いている人も少ない。表情も硬い。その原因を尋ねられそうにもなかった。まずは此岸の統括管理者である水上達のところへ行こうと、足の向きを変えたときに、名前を呼ばれた
「きさらさん、ですよね」
「ええ。あなたこそ直くん?」
 三年前に、彼岸へ渡る前に職場へ来て知り合った少年の姿に驚く。見かけた人たちとは異なり疲弊した様子ではない。由為や七日と顔を合わせたらすぐにでもじゃれあいそうな活発さがある。
 直は周囲を見渡してからきさらに来てもらいたいところがある、と仕草で示す。その後を追っていく戸安心された。
「彼岸の舟がこっちに来て、乗っていた人がきさらさんなのは良かったです」
「他の人ではだめなの?」
「はい。此岸の人で彼岸を信用していいのは、きさらさんだけになりました」
 中心部に近づいているので、水上のいる管理塔に案内される。そう考えていたが、きさらはさらに奥へ、北東へ向かって歩いていた。人は完全にいなくなり、建物もない。
 あるのは枯れた花園だけだ。
 言葉を失う。彼岸からの供給がなんらかの事情で絶えても大丈夫なように育てられていた花は踏みにじられていた。花弁はちぎれ、茎は折れ、無事なものは一本もない。
「この事態に陥ったのは、昨日のこと」
 上に立つ者というのは足音だけで威厳を伝えてくるのだと、痛感する。振り向かなくても声と足音だけで誰が近づいてきているのは分かった。
「あなたたちは、何をしたのか。教えてもらうわね。きさら」
「はい。私にも、何が起きたのか教えてください。水上さん」
 答える声は震えていたためか、直の瞳に敵意がないのだけが救いだった。

 管理塔に移動してきさらは自分の知る彼岸で起きた全てのことを話した。
 花影の襲来、花盗人、管理者の不和、由為の目覚め。これから起きる話し合い。包み隠さず話し終えたら、直が花を溶かした水を差しだしてくれた。礼を言ってから口に含む。涼やかだった。
「今回の件でタチが悪いのは、花影、此岸、彼岸。全ての要求が明らかになっていないところです。だから、妥協のしどころが分かりません。さらに明日の話し合いの場では此岸からの参加者はいない。彼岸と花影だけが美味しい汁を吸うことだけは避けるため、密かに参りました」
「あなたがまだ此岸に対して恩を持ってくれていたのは、大きな幸運だわ」
 感謝の眼差しを送られるが、自分はそれに値しないことはわかっていた。いただくとしたらこれからだ。此岸の人として、彼岸の管理者として、やらなくてはならないことがある。
「水上さん。私は此岸が有利な立場になるように、話し合いの場では動きます。そしていま聞きたいこともあります。此岸が憔悴しているのは花が枯れた不安によるものですか?」
 緩やかに首を横に振られた。花が枯れたのは一日前で、きさらの話と合わせると由為が目覚めた日に重なる。だが、枯れた原因は由為が何かをしたためではない。きさらも作成に関わったヴィオレッタの剣が力を抑えきれず、花に字を過剰に注いだ結果だ。由為は眠ることでヴィオレッタの鞘の力を増幅していたという見方が強い。
「此岸の人たちの疲弊の原因は花影の存在ね。私も直接に会ったことはないけれど、花影の存在が彼岸に現れた手紙が衛さんから届いた前後に、此岸の人たちは症状を訴え始めたわ。自分が自分ではなくなっていく気がすると」
 由為は字が混雑することは防いだが、代わりに花影を外に出したと聞いている。花影の字は新字の源から出ていき、これまで新字が流れていた代わりに花影の字が此岸の人の字へ混ざっているのだろう。なら花影は交渉相手ではなく、滅ぼさなくてはならない存在なのか。
 きさらはいままで遠くから見ていた、青年と少女の姿をした花影を思い出す。人と変わらない姿の人ではないものたち。だが、彼岸の管理者たちは花影に敵意は持っていない。きさらが彼岸に戻って、花影の危険性を訴えても効果はない気がする。
 それでも、花影のために此岸が脅かされているのは伝えなくてはならない。
「此岸のために花影を追い払うのが必要ならば、私は明日の話し合いで提案します。あとは此岸のために、何をすれば良いですか」
「いままで避けていたけれど。貴海さんを連れてきてもらえたら。あなたも勘づいているでしょうけど、そろそろ滅びの準備をしなくてはいけない」
「変えられないのですね。滅びを迎えることは」
 悔しさのこもった口調でこぼすのを水上は許してくれた。
「ええ。苦しまず、安らかに、綺麗に立ち去らせる。それが今代の此岸の人たちに私たちがすべきことだから。きさらさんに頼みます」
 一つは花影が納得する形で退去してもらうこと。
 もう一つは、貴海に此岸へ渡ってもらい、互いの手札をさらけ出すことだ。

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