健全に曲がっている

 爛市メロリアを主な拠点としながら日夜厄介事を調停し続ける組織があり、その組織の名前は銀鈴檻という。
 いまの彼ら彼女らはガイエン森で野宿をしていた。旅の途中などではない。とある菓子店が作る甘味の材料の中でガイエン森で朝一番にしか取れない水が必要だった。その水を掬うためにリーダーであるハシンたちは森で一夜を明かすことになった。
 そしていまは夜だ。鳥の低い鳴き声や風が木々を揺らす音が響くだけの静寂に取り囲まれている。カズタカは街とは違う森の生活音を聞きながら、眠りから覚めてぼんやりとしていた。
 冬である夜の森は寒い。防寒着を着込んでテントに横になろうとも、寒いものは寒い。
 もう一度眠りに落ちることを願いながら目を閉じると寄り添うように熱が広がっていった。人為的でない魔術によるものだと気づいて身を起こす。
 カズタカがテントを出ると、今回の寝ずの番をしているリブラスが杖を片手に振り回していた。
「あ、起きたんだ」
「起きたよ。お前は何してるんだ?」
「寒くなってきたからねー。一応暖めておいたよ」
 リブラスの人らしい気遣いを見かけるたびに珍獣でも見かけた心地で驚いてしまう。普段は余計なことをして騒動を引き起こすのだから、なおさらだ。
「せっかくだから夜のお茶でも飲む?」
「そうだな」
 リブラスは自身が使っていたのか、野点の道具をてきぱきと使って空いているカップに茶葉と湯を注いでいく。茶葉はある程度経つと溶けて消えた。
 カズタカは甘く濃厚な匂いがくゆるカップを受け取る。
「ありがとう」
 リブラスの返事は文句などつけようのない笑顔だけだ。
 カズタカは小さな椅子に座ってカップを冷ましていく。息を吹きかけるたびに白い湯気が遠のいていった。
 普段の喧騒は遠い。しびれるほどに静かな夜の森の時間だ。
 ガイエン森はバームクーヘンのように円を描いていて奥にいくほど生息している動物や過去に廃棄された魔物といった外敵は脅威となる。カズタカたちがいるのはまだ森の手前に当たる。泉が奥に眠っていないのは幸いだった。だから菓子職人も甘くて少しの粘り気がある水の存在を知っていたのだろう。
 すでに初冬を迎えているというのにガイエン森の木々は葉をふんだんに着込んでいる。流石に色は落ち着いているが、まだ冬の物悲しさを感じさせる格好はしていない。
 木々を見上げていると星がきらめている。
「僕、こういう時間は結構好きなんだ」
「意外だな」
「でしょ?」
 仲間たちを起こさない声量でリブラスはけたけたと笑う。それはカズタカが初めて見た、普段は幾枚もの薄布に隠されているリブラスの無邪気さだった。普段のリブラスも爛漫としているが何かが違う。
「夜の静けさとかに包まれているとありのままの自分でいられる気がするんだ」
「普段のトラブルメーカーとは違うお前か?」
「僕、いつもそんなことしてる?」
 真面目な顔で問い返されるが、事実を言って肯定するのも可哀想な気がしたのでカズタカは黙る。カップを啜る。茶は甘い。
 リブラスはティーポットを魔術の実験のために爆破させようとしたり、急におかしな動植物を連れてきたり、大量にアーティファクトを買い集めようとしてこちらの財布を瀕死に追いやろうとした。それだけを考えると、こいつはまったくどうして、と呆れた息を吐きたくなる。
 だが、それだけだろうか。他にいい面もあるにはある。先ほどのように眠っている仲間たちのために暖かくする魔法を使うなどといった点だ。他にも仲間の誕生日や記念日は率先して祝おうとする。
 困る面も助かる面も両方ともあるのだが、どうしてもリブラスの場合は前者が先に目についてしまう。
「俺は性格悪いのかね」
「カズタカは常識があるだけじゃない?」
 当たり前のように認められて、もう一つ気づいた。
 そういえばリブラスはどれだけの面倒事に携わることになろうとも、他人を責めることをしたことはない。愚痴も文句も悪口も言わずに笑っている。
 そこまで考えてカズタカは自分に嫌気がさした。
 なに一夜でリブラスの株を上げていままでのことを無かったことのようにしているんだ。都合が良すぎるだろう。
 カズタカは向かい側にいるリブラスを見る。動物避けの火に照らされる表情は普段と変わらない陽気なものだと思っていた。
 思っていたのに、どこか穏やかだった。
 また二人の間を流れるのは静かな時間だ。風が木々を揺らす程度の喧騒とは遠い静けさが周囲を包んでいる。
 その静けさを破る敵意が不意に届いた。
 森の奥からこちらに向かって何かが来る。獣か、魔物か。まだわからない。
 カズタカとリブラスはカップを置くと敵意に向かって警戒する。肌身離さずの懐中時計と杖をそれぞれ手にして待った。
「なるべく静かにやろう」
 リブラスにそれを言わせたのは自信に裏打ちされたものか、いまは眠っている仲間たちを気遣ってのことなのか。いますぐ仲間たちを起こして望まぬ来訪者に全員で備えるべきだとカズタカは考えるのだがリブラスは仲間たちを起こそうとしない。
 少しずつ茂みをかき分けて姿を現したのは縄張りにうるさいとされる魔物だった。顔は狐と似ている三角の形をしていて、目は鋭く細い。それらよりも特養的なのは、三つ足だ。
 獣である誇りを奪われて魔物に堕とされた悲しき命だった。
 この獣の命を奪うか、奪わないかでカズタカは躊躇する。撃退できるのならばそれで良く、絶命させる必要もないがもしもこの場を襲撃されるのならば倒さなくてはならない。
 魔物の未来を奪う必要があった。
 リブラスを横目でうかがうとすでに魔術を練っている。二節目の詠唱を聞くだけで何を狙っているのかは察することができた。それだけ長くなった付き合いだ。
 リブラスは拙速の攻撃よりも必中の一撃を当てようとしている。
 魔物はカズタカたちの警戒を感じ取ったのか、駆け出そうと地面を蹴る。カズタカはその前に素早く詠唱を終えた。
「我により必ず振りしは虎が雨」
 分類は魔法、属性は雨、魔物を中心にして周囲一メートルに鋭い雫が降り注ぎ、切り傷を負わせる。鋭い雨の切先は確実に魔物の肉体を裂いて動きを鈍らせた。
 だが、まだ敵意を失わせるまでには至らない。ここにもう一人、例えばアルトーといった物理攻撃役がいればとないものねだりをしてしまう。どうしても魔法や魔術には詠唱といった軛があるため、一瞬の隙が命取りになる。
 魔物は傷を負ったことにより凶悪な気配を一層強く漂わせる。獣とはまた違う知性を得た魔物は、衝動ではなく計画で相対する敵の命を奪ろうと狙いを定めていく。
 魔物は、動く。カズタカを狙う。一気に距離を詰めて牙が剥かれた。
 避けることもできたのだが、カズタカは三節で魔法の壁を作り、それを受けた。自分が気を引いているだけ魔物はリブラスを襲わないでくれる。リブラスが手を打つ時間を与えられる。
 いまこの場を切り抜けるために必要なのはカズタカよりも威力の高い魔術を放てるリブラスを自由にさせることだ。
 邪魔はさせない。
 カズタカは雨の格子で魔物の牙を防ぐ。かかか、と鋭い牙と爪で削られていく魔法はどれだけあと保つのか。目の前で凶器を振るわれることに慣れてはいるが毎回心臓に悪いことには変わりはない。
 格子にぱきりと、一筋のひびが入る。組み立て直す間もなくこの護りは割れるだろう。そうしたら牙はどこに突き刺さるのか。
「アクト、サンダーテイル」
 魔物の動きが止まる。震え、倒れた。カズタカの護りの格子も消えてなくなる
 聞こえてきた詠唱は決して派手ではない。正式な組み立てをされた魔術でもない。
 だが、その一撃は魔物の体を一瞬で貫いていた。
 カズタカの作った雨の格子を媒介にして威力を高める雷撃を与えたリブラスは、ゆっくりと歩いてくる。倒れた魔物の様子を観察していた。
「珍しいねー。三つ足。もうダメそうだから素材だけ剥いじゃおっか」
「使えそうなものはあるのか?」
「そこそこ」
 話しながらリブラスは手慣れた様子で骨を取り出し肉を削ぎ、目をくり抜いて結晶化させて、牙を抜いた。それらに防腐処理を施しているあいだに、カズタカは保存用の瓶や袋を持ってくるために仲間のところへ戻る。
 しかし、平気な顔をしてよくあんなものを捌けるな。
 骨にこびりついた肉を見るなどして多少気分は悪くなっていたが、仲間たちは何事も気づいていない様子で眠っていた。いまのカズタカにはうらましい光景だ。
 瓶と袋を持ってリブラスのところに戻る。すでに部位によって三つ足だったものは整頓され、また死骸は灰と化していた。
 人により生を曲げられた命はこれで、自然に還ることは叶うのだろうか。
 確かなのはリブラスと自分が一つの命を終わらせたという事実しかない。
「カズタカももう眠ったら?」
「そうするよ。おやすみ」
 使った魔力分は回復しないといけない。テントに戻っていく。
「でもね。カズタカがいてくれて、いま助かったよ」
 返事はしない。
 ただ、最後に見たリブラスの笑う横顔だけが印象に残った。
 テントの中にある布団に潜り込みながら考える。
 これからもリブラスには迷惑をかけられ続けられるが、それと同じくらいに無償の奉仕をされながら付き合っていくのだろう。それが良いのか悪いのかは不明だが受け入れることはできた。
 カズタカは、目を閉じる。
 遠くで焚き火がぱちりと弾ける音がした、気がした。


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