主君に贈る最敬を

 願月十八日の調律の弦亭の朝食は珍しく、メインディッシュとして魚が君臨していた。他には葉物のサラダにコーンスープとパンという、朝に相応な軽い食事が並んでいる。
 食堂の席にはハシンを初めとする銀鈴檻の仲間たちが全員席に着いていて、今日の予定を打ち合わせながら食事を進めていた。朝の支度を終えるとそれぞれが予定の場所に出かけるため全員が揃う朝食の場は貴重な打ち合わせの時間となる。
 カズタカも今日の予定を思い出しながら話をし、そしてたまに上座に座っているハシンを横目で見ていた。普段から笑んだ表情を崩さない少女だが今日は特に機嫌が良い。
 と、いうことは何かあるということだ。
 一つまみの緊張を抱えながらもあえてハシンに触れることはしないままカズタカは打ち合わせをまとめに入っていく。
「ってことは、今日は団体での仕事はなし。いつもの個別に請け負っている仕事を進めて、もし人手が必要なら空いているアルトーとリブラスの手を借りるってことだな」
 ネイションが頷いてくれる。これで今日の流れは決まったと、カズタカはコーンスープに口をつけた。温かな甘さが口の中に広がるとわずかにだが緊張がほぐれる。
「それにしても今日は火の魔術的にいい日だねー」
 リブラスが魚を切り分けながら呑気に言った。魔法と違い、魔術は世界が提示する条件を受け入れた上で行うため、相性の良い日と悪い日があるという。リブラスは毎回天気予報のように朝、それを伝えてくる。
 カズタカも「そうなのか」程度に流そうとしたのだが、気になる点が一つあった。ハシンがリブラスの言葉に反応してパンをちぎる手を一瞬、止めた。
「今日は火と相性が良いんだね。他には、そうだなあ。鐘の魔術に最適なのは?」
「んー。願月の二十四日?」
「それは何の日?」
 あ。
 カズタカはようやくハシンの機嫌が良い理由といったことを察した。言葉を重ねようとするが何を言えばいいのかはさっぱり思いつかない。
 その間にもアルトーが言う。何気なしに言う。
「ハシンの、誕生日だろう」
 そこで声にも出さない、目にも見えない「はーーーーー」といった顔を覆いたくなるような薄い絶望がカズタカとネイション、リンカーを襲ってきた。
 表面には意思の欠片も覗かせていないというのに、ハシンは細い目をきらりと輝かせてにやりと笑う。その顔の悪どさといったら。裏社会の首領が可愛く見える。
「そうなんだって、みんな。願月二十四日は私の誕生日。だから」
 そこで言葉が切られる。
「祝ってね?」
 小首を傾げる様子は愛らしいと言えなくもないのだが。それを凌駕する圧を感じてしまい、カズタカは黙ってサラダの人参を口に運んでいく。
 傲岸不遜な上司とはいえ。
 よくそんなこと言えるなあと、思っていた。


 ハシンに圧をかけられてから四日目のことだ。
 絢爛魅惑の布の都市である爛市メロリアをカズタカは一人で歩いていた。
 ハシンの誕生日祝いは順調に進んでいる。そもそも、言われるよりも二ヶ月前から動いていたのだから、手抜かりなど油断がなければしようが無いほどに完璧だ。
 ケーキの準備は普段では手をとどかせにくい名店である「榛の氷花」に発注しており、食事も会場となる「調律の弦亭」の主人に助っ人を呼んで頼んである。会場の装飾品もすでに倉庫の手前に収納済みだ。客の招待も一ヶ月前に終えている。色良い返事ばかりもらえて安心した日が懐かしい。
 あとは、イベントの華を飾るプレゼントの用意が残されていた。他の仲間たちみたいに内々で済ませるのならば適当なものであっても問題ないが、ハシンの誕生日は違う。今回は特別なものでなくてはならない。
 銀鈴檻がメロリアの重りとして認められてから初めての、正式なパーティになるためだ。
 そのため今回は全員でハシンへのプレゼントを探している。今日が最後の猶予となっているため、カズタカは進捗を聞こうとメロリアの各店舗に散らばっている仲間たちの様子を探るために街を歩いていた。
 カズタカは商店街に続く銀貨通りを抜けて、赤や青、黄色といった鮮やかな布がかけられている商店街を歩いていく。どこに誰がいるのだろうと店の外から中へ目を配っていると、看板に大きな熊が吊り下げられている赤と白のギンガムチェックで彩られた店にアルトーがいた。
 長身のため頭二つは飛び抜けているためか、かろうじて無事ではあるようだが店員にもみくちゃにされている。声は聞こえない外でも何を話しているのかが手に取るように想像できた。
「アルトー」
「カズタカ」
 入店すると、女性店員は更なる獲物を見つけたようにカズタカにも絡み始めてきた。
「あなたたち、ハシンちゃんのプレゼントを選んでいるんですって?」
「それならこれはどう? 聖虎の牙で作った鈴よ。特別に五千フィールに負けてあげる」
「すみません。可愛くない、高い、なのでいりません」
 きっぱりと断るが店員は気分を害した様子もなく高らかに笑う。「それもそうよね」「あんたのセンスはだからダメなのよ」「なにー!」などといった掛け合いが繰り広げられる。
 そのあとは青水晶が飾られたネックレスに始まり、さまざまな商品が提案された。予想以上に高価な商品が並ぶこの店は可愛らしい雑貨屋さんというよりも一癖あるマジックアイテムの店といえた。
 カズタカは何度も押し寄せる商品の紹介という猛攻を凌ぎ切っていたのだが、その傍でアルトーは買い物を済ませていた。店員もそれで満足したのか離れていく。木製の棚の前で、ようやく二人きりになれた。カズタカは棚に並べられている商品の中で、透明なドームに兎が閉じ込められているのを眺めながらアルトーに尋ねた。
「ハシンへのプレゼントは何にしたんだ?」
「これ」
 アルトーは見せてくるが、すでに布で包装されていて中身は見えない。自分の失敗を悟るとつたない言葉で説明を重ねてくる。
「俺が選んだのは、リボン」
「へえ」
 中身を開封する気はないがどのようなものだろうと触れようとすると、鋭い雷撃が走る音と共に弾かれた。
 正直びっくりした。
 それでも動揺を表に出さずに、痛い手を振利ながら淡々とカズタカは言う。
「すごい魔力があるみたいだな」
「うん。お店の人に、ハシンにはこれくらいがいいって」
「まあ、あいつは普段から髪を結んでいるからな。着けてもくれるんじゃないか?」
 アルトーは上を見上げる。何があるというのではなく、ハシンがそのリボンを身に着ける様子を想像しているのだろう。うん、と一度大きく頷いた。
「そうしてもらえたら、うれしい」
「ああ。いいと思うぞ」
 その後にアルトーが浮かべた普段よりも緩んだ笑顔を見て、こいつは本当にハシンが好きなんだと思わずにいられなかった。
 どうしてそうなのかは知らないのだが。
 カズタカはアルトーのプレゼントは大丈夫だという確信を抱けたため安心して店を出ていく。路上で窓から店をもう一度見ると、再び店員たちに囲まれるアルトーがいた。どうやら女性に好かれる性質らしい。
 カズタカは他の仲間を捜すために商店街を歩く。どこの店にも屋根や壁には布がかけられ、ランプが飾られている。昼間のいまはランプも消灯させられているが、夜道であっても歩くのに心強い存在が常にいてくれる。そういったところがカズタカのこの都市が好きな理由でもあった。自分たちが守るべき場所だとも認識させてくれる。
 どこの街でもない。爛市メロリアだから守りたいんだ。
 そして、それを率いるのはハシンだから少しでも良いものをプレゼントとして贈りたい。アルトーはそのような思いでいただろう。
 だが。
 カズタカは足を止める。その目前には一軒の店がある。珍しく煉瓦造りになっていて、壁にかけられている布は青と黄色だ。扉は沈黙を保っていて生半可な覚悟で入ることを許さない拒絶の雰囲気がある。
 まるで魔女の家だ。
 そしてこの店に、おそらくリブラスがいる。あの常時幸福な構造をしている魔術師がこの店に立ち寄ったところを何度も見たことがあるためだ。
 カズタカは深呼吸をする。そうして覚悟を決めて店の扉に手をかけた。
「失礼する」
 客なのだがそう言わずにはいられない威圧感がある店に入ると、店内の中心ぐらいにある大きなテーブルに見慣れた赤い帽子と目深にフードを被った店主らしき人物が視界に入った。
「ねえねえ! このみそみそしたものは水と火をあえて反発させているみたいだけれど、どうしてそんなことしたの?」
 みそみそとはなんだ。思わず好奇心が駆り立てられるが直後に見たくはないなという結論に至る。
「ふふふ、それはルーメンスという素材の耐久力を試したのだ。反発された魔力をいつまで抱え込んでいられるかという実験だ」
「あー。確かに、水の中に火を抱き込んだままでいられたら、時間の設計をきちんとすると水中爆発とか起こせそうだものね。すごいや!」
 無邪気に恐ろしい話をしている。
「おーい」
 続きをこれ以上は聞きたくなくて呼びかけると、リブラスが振り向いた。
「あ、カズタカ。僕のお店にようこそ」
「わしの店だよ」
 冗談か本気なのかわからないことを言われる。これだからリブラスは扱いづらい。もしくは、へんなやつはへんな店に集まるのかもしれなかった。
 カズタカは狭い店の品物にぶつからないように気をつけながら進んでいき、リブラスの隣に並ぶ。すると、待ってましたと言わんばかりに怒涛の説明が始まった。店主を放っておいていかにここにあるマジックアイテムがすごいかを語り出す。
 マジックアイテムはアーティファクトよりも歴史や伝承、謂われはないがそれでも発声や動作を合図にして魔術を引き起こす道具のことだ。魔術好きのリブラスはそれらを作ることも楽しんでいるという。
 カズタカとしてはそれらがまた大変な迷惑をいつか引き起こすことはよく理解できたので、心の覚悟は決めておこうという境地に辿り着いた。その覚悟がどれだけ役に立つのかは不明なままだが。
「で、ハシンへのプレゼントは決まったのか?」
「うん! これ!」
 そうしてリブラスが脇にあったマジックアイテムを見せる。
 うぎょうぎょしていた。
 動いてはいない。沈黙を保っている。波打ってもいない。無表情や静寂といえるほどにその物体はおとなしかった。
 だが、うぎょうぎょしている。
 それなのに気持ちの悪さを感じさせない点が気味悪かった。
「これを、プレゼントに?」
 声が勝手に引き攣ってしまう。
「うん。すごい魔力が込められているし、僕の魔力も足したんだよ」
「アーティファクトほどではないが、マジックアイテムとしてはとっても優秀だ」
 などといった説明を受けるのだがカズタカの意見は変わらなかった。
 うぎょうぎょしたものにしか見えない。
「触っていいか?」
「うん」
 カズタカは恐る恐る手を伸ばして、うぎょうぎょとしたものに触れる。
 瞬間、異形は白く発光する。
 その光に取り囲まれて、カズタカの周囲に別の世界が見えた。その世界がどういったものかを説明するのは難しい。普段いる世界とはレイヤーが違うと言えばいいのか、それとも次元が異なる場所に連れてこられたと例えるべきなのか、言葉は詰まって消えて出てこない。なんだこれは。なんだ、これは。目まぐるしい淡彩色の世界に取り囲まれながら、立ち止まっていると不意に現実が戻ってきた。
 自分がいるのは狭くて薄暗いマジックアイテムを取り扱う店だ。陰は濃くて窓やカーテンの隙間から差し込む光が数少ない光源となっている。
 ここは、現実だ。
「ねえねえ、どうだった?」
 リブラスは無邪気に笑う。いま見てきたものを思い出すとその笑顔は底知れないものにつながっていったが、弱気を見せることはしたくなかった。
「まあ、すごいな」
「でしょ!」
 カズタカの滅多にない賛辞の言葉に満足したのかリブラスは満面の笑みを浮かべる。疲れが押し寄せてきたカズタカは何も言わないことにした。
「お前がいいならいいさ」
 それでも形には難があることに変わりはない。ハシンが見た目であのマジックアイテムを有益か判断するかどうかは、当人に任せるしかない。
 カズタカは相変わらず楽しそうなリブラスに手を振って店を出る。店主は最後まで吊り上がった笑みを崩さないでいた。
 最後に、カズタカはネイションを探す。彼女のことだから図書や文具関連の店にいるだろうと当たりをつけた。
 その勘は当たっていて、リブラスがいた店から銀貨通りへと三店舗ほど戻ったところの店にネイションはいた。青い布がかけられていて白い壁は清潔に保たれている雑貨店だ。
 カズタカは窓越しにネイションがいることを確かめる。扉を押して店内へと入っていった。
 奥の帳面を取り扱う一角で考え込んでいるネイションに呼びかける。
「ネイション」
「あら、カズタカ。あなたもお買い物?」
「まあそういったところだ。ハシンへのプレゼントは決まったか?」
「ええ。これよ」
 ネイションが差し出したのは厚みのある一冊の本と青い手帳だった。手帳には藤色のペンも添えてある。
 カズタカはそれを見て非常に安堵した。ようやく、まともにプレゼントを贈る相手に出会えた。アルトーも品だけ見れば普通だったが、中身が多少異質であったので、ネイションが真っ当にプレゼントを選んでくれたことに感謝したい気持ちになる。
 記憶喪失の自分がいうのもなんだが、贈り物は平凡に心をこめたらよいのではないだろうか。
「ネイションの選択を見ると安心するな」
 素直な気持ちで称賛した。肝心のネイションは首を小さく傾げている。その、自分の偉業をわかっていないところもまた慎ましくてよい。カズタカにとって安定剤だ。
 カズタカとネイションの間に穏やかな空気が漂う。
「まあ、これでハシンが満足してくれるかは不安なのだけれどね」
「安心しろ。文句を言うくらいならリブラスとの強制買い物ツアーだ」
「ハシンはそれも楽しみそう」
「ええ、全く」
 聞こえてきた第三者の声にカズタカは驚くよりも、もう「またか」としか言えない気分になった。
 こいつは来る。いつでも来る。ネイションのいるところならば、さらに自分が一緒にいるのならば、どこからでも静かに訪れる。
「やっぱりな」
「何がです?」
 爽やかに笑うリンカーに「お前はそういうキャラじゃないだろ」と言いたかったが、口にするのも負けな気がするので何も謂わなかった。
「なんでもない。それで、お前からハシンへのプレゼントは決まっているのか」
「ええ。もう宿に届いています」
「お前、手抜かりはないんだよな」
 リンカーは銀鈴檻の中ではまだ常識があるといえる。いまのように銀鈴檻の一員としてやるべき業務をきちんと終わらせながら聖職者の仕事と両立させているのだから。
 当人もそれを自覚しているのか余裕の笑みを浮かべている。
「ありがとうございます」
「とはいえ、たまに間が抜けたこともするのがお前だけどな」
「それもまた愛嬌ですよ」
 抜け抜けとよく言う。
「ま、全員用意しているなら明後日は大丈夫そうだな」
「見回りをしていたの? さすがね」
「今回は俺たちだけの仲良しこよしで済むことじゃないからな。銀鈴檻という組織で頂点にいるハシンを祝うんだ」
 今回のハシンの誕生日では、他の顧客や同業者を招待して中規模のパーティを執り行う。外の目がある中で手抜かりは許されない。それは、銀鈴檻への信用や信頼、威厳をも損なうことになるためだ。
 カズタカの覚悟にネイションの顔も引き締まる。
「そうね。私たちが銀鈴檻となってもう結構経つけれど。こうしてお祝いの場を公式に設けるのは初めてのことだものね。がんばりましょう」
「ああ」
 そうして二人揃って強く頷く。間に入れないリンカーだが、今回は冷えた視線を投げかけることもしなかった。沈黙して見守っている。
 リブラスのプレゼントという不安要素はあるが、いまのところ準備は順調に進んでいる。あとは当日に遅滞なくパーティを進行させることが重要だ。
「俺は先に出てるよ。ネイションはゆっくりしていいけど、リンカーは油を売りすぎるなよ」
「余計なお世話ですね」
 いつもの憎まれ口を叩き合ってカズタカは雑貨店を出た。
「さて」
 空を見上げて誰にも言わなかったことについて考える。ネイションに対して先ほど、格好よく決めたというのにどうするか。
 まだ、自分はハシンへのプレゼントを決めていないでいるのだ。



 昼も過ぎてそれなりの時間が経過する。
 カズタカは爛市メロリアの商店を見て回っていたが、決定打に欠けるプレゼントしか見つからなかった。いまは宿泊街の土産物を眺めるところまで来てしまっている。
 焦ってはならない。だが悠長に構えてもいられないと歩く足を早める。その途中で、考え事をして前を見ていなかったためか軽い衝撃を覚えた。立ち止まり、見ると目の前には知っている顔がある。
 紅茶色の髪と琥珀の瞳が印象的な美少年は、無音の楽団のタトエだ。ハシンが唯一後輩と認めている一段の聖職者で、同じ職業のリンカーとは似ても似つかない清廉な雰囲気をたたえている。
「あれ? カズタカさん」
「タトエくん」
「だから、タトエでいいですよ」
 苦笑しながら言われるのだが、カズタカは首を横に振った。
「いや。君たちとは対等だ。経緯は常に払いたいから、呼び捨てはさせないでくれ」
「だったらそうします」
 タトエはそのように答えて終わらせた。
 いつもなら、タトエたち無音の楽団は絢都アルスを舞台にして活躍しているはずだが、今回爛市メロリアにいるのはハシンの誕生日に招待されたためだろう。ここまで足労してもらったことを純粋に感謝する。先に現地入りまでしてくれたのだから、事の重要性を理解してもらえているのだろう。
「朝食は済んでいるか? もしそうなら喫茶でも入ろうか」
「はい」
 カズタカの誘いにタトエは了承した。
 これは自分にも良い気分転換になりそうだと思いながら、近くにある「ハクトウワシの扉」という宿の喫茶部に入った。
 店内は混雑しておらず、すぐに席に着くことができた。カズタカはタトエにテーブルに置かれているメニューを渡す。自分は珈琲だと決めていた。
 ウェイトレスが来て、カズタカは珈琲を、タトエは紅茶と小さな四角いレモンケーキを注文する。
 置かれた冷や水で喉を潤しながら、タトエに何をしていたのかを聞かれた。
正直にカズタカは話す。
「ハシンさんへのプレゼント、ですか」
「ああ。他の仲間はわりとしっかり決めているからな。肝心の俺はどうするか決めあぐねている」
「カズタカさんは慎重なんですね」
 優柔不断と断じないところがタトエの丁寧さだ。
「これでもハシンの一番の部下だしな。トリでもあるから気は抜けないさ」
 その言葉に嬉しそうに笑われる。
 普段のカズタカとハシンの部下と上司というには傲岸不遜なやり取りを見ているためだろう。それとのギャップが面白いのか、もしくはカズタカもハシンを尊重していることが見られて嬉しいのか。多少気恥ずかしくなる。
 カズタカは椅子に背中を寄りかからせながら重要なことを言う。
「今回は仕事でもあるからな。そこが肝心なんだ」
「はい。だから、僕たちも銀鈴檻の皆さんに誘われて、今回の小旅行に行くことが決まりましたから」
「うん。来てくれてありがとう」
「こちらこそ、お誘いしてもらえて嬉しかったです。銀鈴檻の皆さんの誘いでしたら、山を越えても伺っていますよ」
 後輩に好かれるというのは嬉しいものだ。
 カズタカとタトエは二人で笑い合う。
 それからしばらくは互いの近況について話していた。絢都アルスと爛市メロリアは極端なほど遠くはないが、一日で往来できるほど近くもない。特殊な移動手段があればまた別ではある。それくらいの距離だ。
 普段はそれぞれの仕事で多忙であるため、連絡を取ることも多くはない。それでも同盟関係を結んでいる相手の仕事振りは気になった。カズタカも聞くだけで学びが多くある。
 後輩たちの成長が眩しかった。
 話が一段落したところで、カズタカはタトエに目下一番大きな疑問を尋ねてみることにした。
「そちらはプレゼントを贈る時とか、どうしているんだ?」
「基本的には内緒で用意しますけど、どうしても決まらない時は直接聞くこともありますよ」
「ハシンにそれをしたら『はっ』と鼻で笑われそうで嫌だな」
 思わず本音が漏れる。ハシンは「それくらいもわからないのか」と「それほど私のご機嫌を取りたいのか」という二重の意味で笑いそうだから、絶対に聞くことは控えようと決めた。相手を喜ばせるというよりも相応な物を渡す路線で攻めて行くことが良き選択に繋がりそうだ。
 タトエの目の前でカズタカが再びハシンのプレゼントに頭を悩ましていると、見かねたのかタトエは穏やかに質問を投げかける。
「ハシンさんが欲しいものではなくて、カズタカさんがハシンさんに贈りたいものとかはないのですか?」
「ない」
 早く、きっぱりとした答えにタトエは苦笑するしかないようだ。
 それでも新しい視点を提供されたことはカズタカにとって新鮮だった。ハシンが望むという視点に拘るのではなく、カズタカが主体となって自分の与えたいものをハシンに送る。そちらの方が活路を見出せそうだった。本来の目的である、パーティ会場でハシンを引き立てるという目的も叶う。
 銀鈴檻のリーダーであることを示し、この世界における運命の介入者である威厳を保ち、他組織との交渉を優位にするための贈り物。
 カズタカは、考えて、思考を進めて、ふと脇道にそれて冷めかけている珈琲を見る。
 当然だが豆から粉にされ、煮出されたこの液体は黒い。
 黒。
「あ」
「閃きました?」」
 唐突な声にも驚くことなくタトエは柔らかく歓迎してくれる。
「まあな」
 カズタカは完全に冷え切る前のコーヒーを飲み干していく。喉にほろ苦い液体が落ちていくのを感じながら、答えが滑り落ちているのも気づいていた。
 部下である自分が、上司である彼女に渡すべきものは確かにある。


 そうして願月の二十四日はつつがなく訪れた。
 すでに準備が終わった調律の弦亭の来賓用の会場で、ハシンは中央の椅子に座っている。招待客はこれから訪れるため、いまはまだ会場に待つだけのハシンと様子を見に来たカズタカしかいない。他の仲間たちは準備に追われている。その中でこれだけ優雅であって良いのかとも思うのだが、これもまたハシンの役目だ。
 何があっても泰然自若して待ち受ける。時に辛い瞬間もあるだろうが、彼女は常に微笑み続けなくてはならない。何が起きても。大切な人が命を散らそうとする瞬間であっても。全てを見通していた顔をして不測の事態に備えなくてはならない。性別も年齢も関係なく、上に立つ者としての責務だ。
 カズタカはそれを憐れまない。悲しまない。ただ全力で援護する。ハシンが望んで進む茨の道を共に歩み、傷を負えば励まして立ち止まったら背中を押す。それの繰り返しだ。
 己のやることを承知している。その上で、言う。
「悪趣味なことしているな」
「はは、だよねえ」
 上位者であると振舞う行為に呆れる素振りを見せれば、ハシンは嬉しそうに笑った。それに安堵する。彼女は自らが座る椅子の高さを知っているが、その下に立つ存在を見下すほど傲慢にはなっていない。弱さに寄り添う考えを残している。
「趣味が悪いことは確かだが、力を見せるのもお前の仕事だ。今日はがんばれよ」
「言われなくとも」
 椅子に座りながら、左右に傾くことなく堂々と座る主を見ながらカズタカはふとした疑問に囚われた。
 ハシンにも少女時代はあったのだろうか。
 十七歳という年齢で、いまは少女であるよりも主君であることを求められている。だが、それよりも昔に、ハシンがどこにでもいる小娘であった時代は存在するのか。
 いま聞くべきではない。知るべきではない。ただ、それでも気になった。
 ハシンがカズタカの視線に首を傾げ出す頃に、リブラスが姿を見せた。いままで招待客の整理をしていたはずだ。
「そろそろお客さん、入るよー」
 いつも通りの呑気な声を聞いてハシンは椅子に座り直す。顎を引き、胸を張り、前をだけを真っ直ぐに見つめた。
 カズタカはハシンの脇に控えて、招待客が入ってくるのを待つ。今日は立食形式のパーティであり、すでに並べられた丸い机の上にはいくつもの腕を振るわれた料理が並んでいる。
 そうして、最初に入ってきた招待客は爛市メロリアの副市長であった。市長には出張の予定が入っているのは周知であったため、軽く見られているとは考えない。
 銀糸の髪を長く下ろした市長は、椅子に座るハシンに軽く頭を下げる。ハシンも頭を縦に小さく動かした。
 その後は六名ほど賓客が続き、次には無音の楽団が揃って入ってくる。普段の格好よりも格式ばった衣装はクレズニあたりが見繕ったのだろう。黒で統一しながらも、各人を想起させる色のリボンであったり、宝石であったりを身につけている。
 ハシンも愛する後輩たちが参加してくれたことに気づくとわずかながら表情を緩めた。笑みが深くなる。
 同盟者たちの参列の後、最後に入ってきたのは仕事をする上で欠かせない役職に就いている者たちだった。情報をもたらしてくれて、また必要な品物がある時には融通をきかせてくれる。そういった人たちだ。
 調律の弦亭で一番の大部屋を使っているとはいえ、これだけの人数が揃うと結構な密度になる。威圧も感じられる。
 しかし、始まりの挨拶はカズタカの役目であるため臆さずに前に出た。
「ご来場してくださった皆様に、はじめに感謝の言葉を述べさせていただきます。私たち銀鈴檻をまとめるハシンの生誕祝いに御足労くださり、誠にありがとうございます。食事やお飲み物は十分にご用意いたしました。舌で楽しみ、喉を潤し、どうか楽しい一夜をお過ごしください」
 拍手の音が上がる。カズタカは深く一礼をした。
 その後に、全員のグラスに液体が注がれてから、乾杯の音頭をリンカーが取る。
「それでは、乾杯!」
 各地でからんからんとグラスが打ち合う音が響く。ハシンの下にも人が訪れて、グラスを合わせていった。
 ここまでは失敗なく進んでいる。まずは一つの壁を乗り越えることができたとカズタカは隠れて息を吐いた。
 会場は、少しずつ波が寄せてくるように盛り上がりだす。知っている顔に出会えば話が弾み、初対面の者と出会えば今後のためにコネクションを拵えていく。いつか、上位の相手に見知らぬ存在の嘆願と切り捨てられて終わるのではなく、耳だけでも傾けてもらうために縁を繋ぐ。
 それらをカズタカは油断なく眺めるが、ハシンの隣からは離れない。時に場を滑らかにするために会話の中へと入っていくのはリンカーやネイション、まれにリブラスの役目だ。アルトーは万一に備えての護衛として窓に陣取っている。
 下衆な話題はないまま弾んで転がっていく会話を眺めながら、カズタカの目につく一幕があった。爛市の副市長が特に声をかけていたのは、無音の楽団のリーダーであるカクヤに対してだ。姉妹都市である絢都アルスの運命の介入者である無音の楽団の噂は上層部でも共有していたらしく「久しぶりに顔を合わせられて嬉しい」と和やかに副市長は微笑んでいた。
 さてカクヤはここでどのように対応する。上に立つ者としての手腕が問われた。
 カズタカに見守られていることには気づいていたのだろう。一瞬、視線を返してから穏やかな微笑みを副市長に向けた。
「私たちの長である、アルス市長からもハシンさんの誕生日には粗相がないようにと何度も言い含められました。それほど絢爛都市は互いの存在を重視していらっしゃるのだと身が引き締まりましたね。アルスはメロリアを姉として、弟としてこれからも敬し盟すると伝えるように命じられました」
「それは安心できますね。アルスが約を違えたら、メロリアは立ち行きません」
「聞き及んでいます。アルスとメロリアにあるのは陽陰の絆。どちらも欠けてはならないと。また、この国、エイランサクヤの四大都市に名を連ねる二つでもあるのですから。末長く縁を結んでいかないと、ですね」
 カクヤの学はそれなりでしかないと聞いていたが、副市長に対する返事は滑らかなものだった。随分とクレズニなどに上級者への対峙のやり方を仕込まれたのだろう。
 ハシンも可愛がっている後輩の立派な姿にご満悦のようで、椅子の上から普段より細い目をさらに細めて眺めている。
「私とカクヤだけが親密でも、いざという時には何もならない。カクヤ、たくさん媚を売って私たちの長代行と縁を繋ぐといいよ」
「それは確かにな。武器が優れていても遣い手が悪ければ、箸の代わりにすらなりはしない。あとな、ハシン」
「なんだい」
「どうしてカクヤのが年上なのにお前が先輩なんだよ」
 以前から疑問であった。記憶が正しければカクヤのが二つ年上だ。そのカズタカの質問にハシンは何を今更といった顔になる。
「経験は私の方が、はるかにじゃないか。カクヤは三年ものあいだ学生でいただろう」
「まあそれはな」
 実地で鍛えられることになったハシンとは違ってカクヤたちは介入者としての準備期間を用意されている。経験の差で言うとハシンに一日の長はあった。
 副市長がカクヤと離れてからもしばらく会食と談笑は続く。場の主人がハシンであるためか、こういった人の集まりで定番の悪意が囁かれることはなかった。情報交換と新たなる縁を結ぶことに全員が集中している。
 副市長に話しかける店主がいると思えば、無音の楽団の聖職者であるタトエに同じ立場のメロリアの聖職者が熱く神について弁するなど。場は盛況だ。
 さらに見物だったのは、北にある神聖地ロストウェルスの姫君と囁かれているサレトナに声をかける男性がいるのだが、雲行きが少しでも怪しくなるとカクヤとリンカーが間に入って隙を塞いでいたところだろう。まさかのコンビネーションが見られた。顔を見合わせる二人にまたハシンは楽しげに笑う。
 そういった和やかな場を占めたのはリブラスの手を叩く音だった。
「はい! ご歓談の皆々様。ご会食の皆々様。名残惜しくはありますが、肝心の情熱が冷めてしまう前にハシン様へのお贈り物の時間となりました!」
 舞台はどうやら後半戦に入ったらしい。
「皆様が用意してくださった心尽くしの品々を、ハシン様にお渡ししてもらいます。はじめに爛市の副市長様から、次にご来賓の皆様、さらに次に無音の楽団様となってから、我らと締めせていただきます!」
 リブラスは高らかにそう言い終えると、リンカーと一緒に順番に整列させていく。ネイションはハシンの右隣に並んだ。万一、毒物や刃物で狙われても対処できる位置だ。
 円を描くように全員が並ぶと、まずは副市長がハシンの前に出た。
「私たちの都市を守るいとあはれな少女に、これからも栄光が輝き続けることを」
「ありがとう。そして、すまないね。貴方に屈ませるなんて非礼をさせて」
「いえ。権力は時に振るわないと人はその威を忘れてしまいます。これからも爛市を頼みますよ」
 ハシンの手に渡ったプレゼントをカズタカが受け取って脇の机の上に置く。それからは馴染みの商店の店主や各施設の代表が渡しに来た。受け取り、また横に流す。一言二言交わしていくがどれも友誼に満ちていた。
 ハシンが爛市メロリアの特客となって築き上げてきた信用と信頼の結果だ。カズタカはそれを目にすることができて、少しだけ嬉しかった。
 そうして無音の楽団の番がくる。カクヤとサレトナを代表にして、プレゼントは渡された。
「「私たちが尊敬し、いつか踏破すべき目標である銀鈴檻のリーダーたるハシン様の末長い道程を祈り、捧げます」」
「ありがとう。それにしても、二人が並ぶとまるで結婚式のケーキカットみたいになるね」
 ハシンの軽口に場にいる全員が笑い声を上げた。カクヤもサレトナも笑顔を崩さないようにさぞ努力をしただろう。
 そうして、最後に銀鈴檻の面々だ。一列に並ぶ。右から、リンカー、ネイション、リブラス、アルトー、カズタカだ。
 初めにリンカーが捧げた。膝をつくことはなく、聖油を注ぐようにハシンへ渡していく。
「私たちの支柱へ」
「日常の敬愛と、非常の際の信頼を込めて」
「僕たちの知識はあなたのものに」
「俺たちの、武力はあなたのもとに」
「全てを譲り渡します」
 一言ずつ、決めた文言を伝えながら、カズタカは貴石で作られた花束を渡す。
栄枯盛衰の生花よりも、石でできた花束は硬く味気のないように思われる。だが、削られ加工された青の宝石が繊細な花弁となり、碧の葉が周囲を彩っている花束は永劫に終わることのない覚悟を示していた。
「この命が尽きるまで、枯れることのない忠誠をあなたに」
 静寂に落ちたカズタカの一言は万雷の拍手によってかき消されていった。
 顔を上げる。
 こんな時でもあっても、ハシンは傲岸不遜に笑っているのだと、カズタカも不敵な笑みを返した。



 そうして招待客は帰宅していき、残された銀鈴檻と心優しい調律の弦亭の職員が手伝ってくれて片付けは無事に終わった。
 残された椅子に、全員が深く座る。特にリブラスは大きく椅子の背もたれを揺らした。
「楽しかったー! でも疲れたー! 二度とやれないといいね!」
「今回はよくがんばったわね。最初は花火を打ち上げたいとか言っていたのに」
 そんなことをしたかったのか、とされなくてよかった、という思いがカズタカの中で交錯する。さらに収集がつかなくなるではないか。
「私たちにこれほどの支持者、協力者ができたという事実は心強いですけどね」
「うん。俺たちは、たくさんの人と、力を合わせる」
 リンカーとアルトーの口にした事実の尊さを共有できることがありがたかった。銀鈴檻は単体で完結する組織になってはならない。銀鈴檻だけが強く、力で制圧できる存在になってもいけない。混沌が満ちる場を調停し、和を成すことが重要だ。そのための努力を今後も怠れないと実感した一日にもなった。
「ま、俺たちも飲もう。今日はお疲れさん」
「うん。ありがとう。私はみんなのリーダーであることを誇りにする」
 五人の目が、ハシンに向いた。その反応に口を曲げられる。
「私が感謝を伝えることがそんなにおかしいのかな」
「いや」
 カズタカは首を横に振った。そうして、意識をすることなく、間を合わせることなく、全員が口を開く。
「「「「「ハッピーバースデー、ハシン!」」」」」
 俺たちは最愛の敬意をあなたに捧げよう。


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