変奏曲より紡がれし明日への希望 第十二話

 サフェリアが亡くなったのは二年前の天月の十四日だ。カクヤの誕生日の三日前のことになる。その年の、カクヤの誕生日は忘れ去られることになったことをクシクはまだ覚えている。
 葉擦れの音がする道を歩きながら、カクヤはクシクと共にサフェリアの家へ見舞いに行った。その頃のサフェリアは同年代の友人とは滅多に会いたがらず、ただ一人、カクヤにだけ心を許していた。カクヤもサフェリアの想いに応えるために毎日、サフェリアを訪ねに行っていた。
 クシクの目から見てもカクヤとサフェリアは想い合っていた。それが、婚約者としての感情なのか、それとも憐れみや縋りによるものだったのかは未だに判断がつかない。ただ、二人の間に純粋な好意というものがあったのかも、不明なままだ。
 サフェリアの家であるギーデンノーグ家の鐘を鳴らすと、疲れを隠しながら出迎えるキルシカが出てきた。その頃のキルシカも気は難しかったが、まだ相手にむかって難癖をつける相手ではなかった。手厳しいが面倒見のよいルリセイの住人の一人として数えられていた。
 カクヤは二階にあるサフェリアの部屋に上がっていき、自分はキルシカの愚痴や悩みにただ頷くだけだった。
 ギーデンノーグの家は神職にも聖職にも就いたことがなかった。ただ、サフェリアは街の司聖に「滅多にいない素質を持っている」などと評されてしまった。元から頭の回転が早い子ではあったが、司聖の一言によって、神学を学ぶことを義務づけられてしまった。いずれは神との対話も叶うだろうと、当時は持ち上げられたものだ。あの勢いを思い出すと、ロストウェルスに報告がいってもおかしくはない。
 それほどサフェリアに関しては熱狂された。
 だが、サフェリアがよく体調を崩すようになり、ルリセイの学校にも通えなくなると、その熱は一気に冷めていった。次第にサフェリアのことを訪ねる子どもも、思い出す大人すら減っていった。
 サフェリアは孤独だった。だけれども、父母と司聖の期待を撥ね除けられるほど気が強くも、世渡りが下手でもなかった。
 だから、サフェリアはカクヤを頼みにしたのだろう。母である己にしてみれば、カクヤは頼りがいのある子ではない。ただ、濡れた子犬を放置できる子でもないのは確かだ。
 キルシカの延々と続く恨み言に耳を半分だけ傾けながら、どうしたらこの状況を改善できるだろうとも考えていた。一番はサフェリアが回復することだが、その望みも薄い。サフェリアは年々、病を拗らせている。その状況で神との対話などという負担のかかることができるはずもない。
 目の前に座る、目の下にうっすらと隈を滲ませているキルシカを哀れだとも思った。大切な一人娘の頭の上に冠が置かれたかと思えば、奪われて、一気にただの病弱な娘へと成り下がってしまった。キルシカは権威に弱いところもあるが、それ以上にサフェリアを大切に育てていた。せめて、健康になってもらいたいとは願うだろう。
 しばらくして、カクヤがサフェリアに頼まれて冷えた水を取りに降りてきた。それからまた、サフェリアの部屋に戻る。
 それからだ。
 カクヤがサフェリアの部屋に入ってから、三分後に、キルシカが何事かを思い出してサフェリアの部屋を見にいった。
 その後のことは忘れもしない。
 サフェリアは亡くなっていた。
 カクヤは呆然としたまま、椅子に座っていた。
 床には透明な青色のカップとこぼれた水が散らばっていて、キルシカの足を濡らした。だけどそのことにキルシカは気付かない。
 寝台の上で目をつむって、穏やかに眠るサフェリアの首の周りには一筋の赤い線が走り、だけれども出血は寝台を汚すことなどなかった。
 サフェリアが起き上がり、目を開けることも、二度となかった。

第八章第十三話



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