すでに早いランチタイムを始めている沈黙の楽器亭に向かうと、従業員に声をかけられる。その従業員はカクヤが出立するときに受付をしてくれた青年だった。
「おお、合格したんだな。おめでとう」
「はい。それで、下宿の見学に来たんですけど」
「待っていてくれ。宿長を呼んでくる」
従業員は宿の奥へと向かっていく。その間、サレトナとタトエは沈黙の楽器亭の内装をよく見ていた。カクヤも改めて見回す。入口にはアカツタソウという花弁の大きな花が左右に飾られていて、玄関を背にして左手側にラウンジがあった。ラウンジにはローテーブルを挟んで窓側に二人がけの青いソファがあり、カウンター側に一人がけのソファが一組並んでいる。
カウンターには人間の女性が右側で待機しており、左側ではネコ科の獣人の男性が受付を行っていた。
沈黙の楽器亭は木の質感を大切にした造りをしていて、いるだけで自然を思い出させる。天井を見上げれば蔦が巻かれていた。壁の色は青系統を基調にして塗られている。高級感よりも親しみが強い。
そこまで見たところで、従業員が戻ってきた。応接室で説明をするということで、案内される。
応接室に入ると、一人用のソファに腰掛けていた宿長は立ち上がり、頭を軽く下げた。灰色の髪と青い目の質実剛健とした男性だ。年齢は四十の後半といったところで、黒いエプロンを付けている。
「私が沈黙の楽器亭の宿長、ナイテン・ルースです。今回はよろしくお願いします」
カクヤたちは順に挨拶をした。ナイテンは手にしている紙と名前を突きあわせている。
最初に三枚の紙が配られた。そうして、宿に下宿する際の規約についての説明が始まる。
紙に目を通しながら話を聞いていくと、第一に門限が二十時であること。朝食と夕食の用意はされるが、それぞれ決まった時刻までに要不要を伝えることと繋がっていく。
すでに筆記用具を出しているタトエは重要なところに線を引くなどしていた。
次に、部屋の間取りを見せられる。寝台が左上隅にあり、他の家具は机と本棚しかなかった。机などは右側の壁寄りに設置されている。
「退去する際に全てを撤去してくださるのでしたら、荷物の持ち込みは自由です」
いまは二階に四室、三階に三室空きがあるという。
「こちらの宿では他に二つの特徴があります。宿の手伝いとして短期労働ができること、また楽器の貸出を行っています」
「楽器の貸し出しとは」
「私の趣味です」
カクヤが質問すると、きっぱり答えられた。
サレトナは楽器よりも短期労働に興味を持っているようだった。タトエが勤務について質問すると、空いている時間の表があるので、仕事をするときはそこに記名してもらいたいということだった。仕事の内容は、接客、簡単な給仕、後は任せられる範囲で事務もあるという。
大体の説明が終わった。
カクヤたちは考える。説明書きと一年間の下宿料金などを比べていき、沈黙の楽器亭に決めるかアケクレナイも見てみるか、話し合う。
「僕たちはここがいいけれど、サレトナだよね」
「私?」
いきなり水を向けられたサレトナは驚く。カクヤが気になる点を続けた。
「女の子だし、安全面や設備、細かいところは気になるだろ」
「そうね。でも、二人がここにするなら私もここがいいわ。お手伝いとかできるなら、楽しそう」
「宿の治安などが気になるのでしたら、ご家族にも条件や規約を連絡するのはいかがでしょう」
ナイテンに勧められたため、カクヤたちは空板を使って沈黙の楽器亭の情報を送った。カクヤの連絡した相手は余裕があったのか、了承の返事がすぐに返ってくる。
カクヤが自分は問題ないと伝えると、タトエも同様だと答える。一番の課題はサレトナだった。父親と母親に送ったそうだが、返事がない。
その間も話をする。
「こちらで労働して収入を得ることもできますが、セイジュリオの学生になるのでしたら、南にある商店街でコネを作っておくこともお勧めします。様々な経験が積めますよ」
「どこがいいとかはありますか?」
「そうですね」
ナイテンが候補を浮かべている途中で、サレトナの空板にメッセージが届いた。母親からは了承の旨が返信されたという。
沈黙の楽器亭で下宿することが決まった。
「では、一年間よろしくお願いいたします。必要な書類は後ほどお渡ししますので、それぞれの部屋の番号だけは決めておいてください」
館内図を見て、二階の右隅がサレトナの部屋になり、隣がタトエ、向かいがカクヤに決まった。
ナイテンが書類を用意するために席を立つ。
「すぐに決まってよかったわね」
「タトエが優秀だったからな。ここも、候補に残っていてよかったよ」
タトエは胸を張りながら片目を閉じる。
「感謝してくれてありがとう。だけど、カクヤはどうしてここを見つけたの?」
「たまたま?」
「なんで疑問形なのさ」
そういった会話をしていると、ナイテンが戻ってくる。順番に下宿にあたっての書類を渡してくれた。書類を鞄にしまっていくが、その途中でカクヤはサレトナに尋ねる。
「家族の人は、今日はこっちに来ていないのか?」
「ううん。一緒に来てるわよ。ただ、少し用事があるから、友だちと行くなら今日は自由にしなさいと」
カクヤは転入学の試験日に見かけたサレトナの父親らしき人物を思い出す。色気と抜けを両立させながらも、品のある男性だった。
試験にも付き添う父親が、よく異性二人との下宿探しを許したものだ。それとも、カクヤが思うほどサレトナを心配していないのだろうか。
気になることではある。同時にサレトナへ深く追求して良いことではないため、出そうになる言葉をカクヤは呑み込んだ。
説明が終わり、応接室から出ていく。昼食をとっていくか誘われたが、タトエが断った。
沈黙の楽器亭を出る。ナイテンと最初に案内してくれた従業員が見送ってくれた。
すでに午後に足を踏み入れたところで、日差しは少しずつ強まっている。
「下宿の準備をしてから、入学式まですぐだね」
「そうね。間に合うかしら」
「なんとかなると信じたいな。だけど、タトエは明日からで大丈夫なのか?」
カクヤの問いにタトエは安心してよいと頷く。
「必要な荷物はもうまとめてあるし、二人よりも家から近いもの。どうにかなるよ。それよりもさ!」
タトエは両腕を広げて、アルスを背景にしながら笑った。
「準備が終わったら、三人でアルスを見て回ろうよ。僕はそれを楽しみにしていたんだから」
カクヤとサレトナはタトエの意見に賛成した。
絢都アルスは、活気や喧噪よりも落ち着いた雰囲気をまとっている、青と黒と碧による樹と布の街だ。四大都市に名を連ねていて、これからカクヤたちはこの街で短くない時を過ごしていく。
楽しみだ。
奏で始めて新たな音に出会うから 第二話
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