奏で始めて新たな音に出会うから 第一話

 賛月も下旬にさしかかる頃、カクヤ、サレトナ、タトエの三人に春の便りが届いた。セイジュリオの後期転入学試験に合格したという通知だ。
 家族への報告と転入学手続きを進める合間に三人は連絡を取り合い、二十二日に下宿先を決めるために、絢都アルスで待ち合わせをすることになった。タトエは二十一日の時点で、すでに下宿の候補先を見回り始めていた。
 そうして薄紅の靄が薄れだした季節に、カクヤとサレトナは絢都アルスのロウエン広場で再会した。今日のサレトナは青いワンピース姿で、カクヤを見つけるとぎこちなく微笑む。カクヤもサレトナと同様に、明るく笑うことはできなかった。空板で連絡を取り合っていた時は何事もなく会話をすることができたというのに、実際に顔を合わせるとまた緊張を取り戻してしまう。
 その理由として一つの疑念があった。
 本当に、サレトナは自傷魔術を使うのだろうか。
 できるだけ自然な態度になるように気をつけながら、カクヤはサレトナに話しかける。
「お互い、転学できて良かったな。最後の質問の答えが合っているのか、ずっと自信がなかったけど」
「そうね。本当に良かった」
 そこで一度切ると、サレトナはカクヤに正面から向き合う。背筋を伸ばして凜とした様子からは、最初の大人しい少女という印象は一気に拭われる。
「あの日からずっと、カクヤに言いたかったことがあるの」
 何を言われるのかと身構えてしまった。体がこわばりそうになるのをこらえて、カクヤはサレトナの言葉を待つ。
 サレトナは一度だけ深く呼吸をしてから、言った。
「私ね。セイジュリオにいる間は、なるべく自傷魔術は使わないことにする」
「それは良いことだよ」
 自分を傷つけるなどしていいことではない。辛く苦しい理由があるとしても。
「ええ。でも、なるべくよ。妥協できるのはそこまで。あんまり良くないことなのかもしれないけれど、私にはこの魔術が必要だから。そう簡単にカクヤに否定してもらいたくない。私のことも含めて」
 冷静に口にされた言葉には、何度も考え、言う時に向けて練習を繰り返した努力がにじんでいた。サレトナはカクヤが言ったことを深く受け止めて、向き合い方を考えてくれた。曖昧に返答することは失礼だと理解して、カクヤも強く頷く。
「そうだな。ごめん、勝手にサレトナのことを否定して」
「ううん。カクヤが私を考えてくれたことは、嬉しかったから」
 今度は屈託なく笑ってもらえたので、カクヤの中のわだかまりも消えていった。先ほどよりも素直に微笑する。
「これからよろしくな、サレトナ」
「ええ。カクヤも」
 互いに納得し合ったところで、南から正門につながる皇帝広場に目を向ける。タトエがゆっくりと歩いてくるところだった。聡い少年であるために、タトエはカクヤとサレトナのただならぬ雰囲気を遠くから察して、気を遣っているのかもしれない。カクヤが手を振って、何もないことを示す。タトエは普通の速度で歩いてくると、カクヤとサレトナの前で立ち止まった。
「二人とも、お待たせ!」
「こんにちは、タトエ。合格おめでとう」
 サレトナの言葉にタトエは大きく頷いた。
 今回で二度目の集合になる。カクヤたちはベンチに座り、タトエが事前に確認にいったという下宿先のリストを見た。
「五つか。結構残ってるんだな」
「そうだね。だけど、三人で同じところに下宿できるところは、もう『沈黙の楽器亭』か『アケクレナイ』しかないよ」
 カクヤには聞き覚えのある名前が出てきた。転入学の試験の際に宿泊した宿が沈黙の楽器亭だ。
「三人、ということは。タトエは私たちと一緒に下宿することも考えてくれたの?」
「うん。一緒に試験をくぐり抜けた仲間だからね」
 タトエはなにげなく口にするが、サレトナは嬉しそうだった。サレトナは同世代かつ異性に優しくされてきた経験が、少なさそうな少女ではある。どこか油断を感じてしまう振る舞いが目についた。
 しかし、サレトナとタトエの関係は良好であるため、カクヤは自然と二人を見守る立ち位置を選ぶことにした。
 タトエの前からリストを覗き込んで、カクヤは自身の意見を口にする。
「俺は沈黙の楽器亭がいいけどな。便利だったし。ラーメンあるし」
「ラーメン、はいいとして。良い宿だったのね」
「ああ」
 部屋は居心地が良く、清潔であった。食堂も広さがある。それらを初めとする宿泊客にとっての利点をカクヤは強調した。下宿先になると、少なくとも一年は同じ場所で生活することになる。できるだけ良い環境で毎日を過ごしたい。
 晴れた空の下で、三人はタトエの下宿先リストを見比べる。条件と間取り、立地などを考慮して最適な条件を見つけ出す必要があった。
候補は先ほどタトエが口にした二件の宿まで絞られる。
「とりあえず、話を聞きにいこうか」
 タトエはリストを鞄にしまう。ベンチから立ち上がり、沈黙の楽器亭に向かうと言う。
「そんなにカクヤが勧めるなら、いい宿なんだろうしね」
「ラーメンはいいぞ」
「それはもういいから」
 サレトナも立ち上がった。三人で並びながら、沈黙の楽器亭まで歩いていく。


第二章第



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