瞬移の門をくぐると、そこは最初にカクヤが招集されたのとは別の教室だった。すり鉢状に席は用意されていて、目の前には大きな黒板がある。カクヤたち以外の受験生のチャプターもいくつかいて、試験官と話をしている。
教室の前方で待っていると柔和そうな金髪の試験官が声をかけてきた。
「指示されたものの確認をいたします。今回の持ち帰るものは、いかなるものでしたか?」
「『いま、一番失ってはならないもの』です」
サレトナが答える。試験官は次を促した。
「あなた方にとって、それらはなんでしょう」
カクヤ、サレトナとタトエは顔を見合わせた。言葉で確認する猶予はない。内容はずれるだろうが、カクヤから答えを返す。
「一番失ってはならないものは、いまここにいる二人です。今回は三人で協力して試験に挑みました。持ち帰るべきは物ではなく、この二人という失ってはならない仲間です」
試験官はサレトナとタトエにも答えを尋ねる。同様の言葉を返されていた。試験官は頷き、手に持っているクリップボードに挟んでいるだろう紙に書き込む。
試験官は顔を上げた。身につけていた、各自に配布されていたリボンが回収される。
「本日の試験はこちらで終了です。試験の結果は、一週間後に改めて連絡いたします。本日は右手の扉からお帰りください」
カクヤたちは指示された扉に向かう。扉付近には箱があり、その中に各自の所持品が入っていた。荷物を再び手にする。廊下に出ると昇降口まで案内している紙が貼られていたので、紙に従いながら進んでいく。
施設から外に出ると、緑の天蓋が広がっていた。端々から零れ落ちて道を照らす光を受けて、カクヤはようやく息を吐けた。想像以上に緊張していたようだ。
サレトナも微笑み、タトエも腕を伸ばしている。それぞれ疲労を拭っていた。
「二人は、今日はこれからどうするの?」
タトエが尋ねてくる。
「私はお父様が待っているから。まずはそこに戻らないと」
「俺も宿に帰るかな」
「そうなのかあ。三人で打ち上げでもしようか、と思ったんだけど」
「ごめんなさい」
「ううん。せっかくだから、宿り木の交換だけでもしようよ」
タトエはそういって、またたきをすると空板を出現させる。視線と指で操作するとタトエの宿り木の固有番号が表示された。
カクヤとサレトナも空板を開き、タトエが提示した固有番号を打ち込んでいく。登録するかを尋ねられたので、「はい」を押した。
三人の共通の宿り木が誕生する。
空板は個人間の番号は登録できない。けれど、三人以上の人間が集まると共通の場である宿り木を作ることができる。
タトエは宿り木の登録を終えて空板を閉じる。その後に、どれだけ偏屈であろうとも調子を狂わさずにいられない、爛漫な笑顔を浮かべた。
「今日は楽しかったよ。三人とも受かるといいね!」
「そうだな」
「また会いましょう」
サレトナの言葉に頷きを返して、タトエは去っていった。
昇降口前の広場にカクヤとサレトナだけがいる。試験中の気まずさは消えていても、何を言ったらいいのかはわからないまま、カクヤは声をかける。
「サレトナの宿はどこなんだ? 送るよ」
「ありがとう。白菫の灯火亭というところよ」
「うん」
カクヤはサレトナと並んで、セイジュリオのある西側から宿泊街である東に向かう。そのあいだ、サレトナの自傷魔術について触れるか悩んでいた。軽々しく心配して、注意してよいものではない。だけれど、自分で自分を傷つけながら魔術を行使するといったこともサレトナにしてほしくなかった。
だったら、軽い話題を振ればよいのだろうけれど、それもまた思いつかない。黙ったまま歩いていく。
「ねえ、カクヤ」
「ん?」
「私ね、今日は楽しかった」
唐突に言われた内容が不思議だった。
「試験が楽しかったのか?」
「それもあるけれど、カクヤとタトエと初めて会って。一緒にがんばって。こういうことが楽しいことなのかなあ、って気分になったの。それだけよ」
おかしなことを言っている自覚はあるの、と笑うサレトナを見つめて、なんだかその小さな手をつかみたくなった。
一度つかんだら、放したくない。試験を共に合格していたら会えるけれど、そうでなかったら一生の別れだ。
もう、会えないことが辛い。
「サレトナ」
「うん」
「また、この街で会おう」
「うん」
それが今日という日を終わらせる会話になった。
サレトナの今夜の宿である白菫の灯火亭の近くに来ると、見覚えのある男が待っていた。初めて出会った時に、サレトナを迎えに来た男だ。
隣に立っているサレトナの肩がこわばるのを感じる。
宿の前に立つ男は優雅だが、やはり傷みと苦みを感じさせる雰囲気をまとっていた。例えるのなら不穏の気配を香水のようにまとっている。男から薫るのは自然なのだが、当人に由来している匂いではない。
サレトナはカクヤから離れて男に近づく。男は顔を上げた。
「お疲れ様」
「はい。戻りました、お父様」
サレトナの父親はサレトナの返しを聞いて、軽く頷く。
それからカクヤに視線を向けてきた。見定める目だと、すぐにわかった。だからカクヤは臆することなく真っ直ぐに見返した。サレトナを心配しているのだと、伝わる色で訴えかける。
父親は笑い、サレトナを連れて宿の中に入っていった。
カクヤはしばらく立ち尽くす。
「なんだ、あれ」
思わず声が落ちた。サレトナの父親はカクヤが見てきた、父という存在とは、あまりにも違っていた。
カクヤはサレトナが消えていった入り口を見つめていた。それから自分の宿へ向かう。
沈黙の楽器亭へ、歩く。
いまだ黄昏の遠い空を眺めながら、もう一度サレトナとタトエのことを思い出していた。見知らぬ街で初めてできた友人だ。
その一人は自傷魔術を扱う。
何の術や法や技を使うのかなんて、人の自由だというのに。自分を傷つけながら前を向くなんてことを、サレトナにはしてほしくなかった。
そのためにはどうしたらいいのか。
いまのカクヤには答えを出すことはできなかった。
協和音を奏でる前に 第七話
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