花園の墓守由為編第十章『彼岸より』

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 そうして剣ができるまでの日々は穏やかなまま続いていく。
 いつも六人でとっていた食事の席に着いているのが、衛と七日とファレン、由為の四人だけになっても、ファレンは特に疑問を見せなかった。
「きさらと貴海が二人で先に食べ終えるとはな。逢い引きの可能性がきらめいている」
「俺は何があっても君から心離れなんてしないからって言っていましたよ」
 蒸した花を喉につまらせそうになりながら、由為が言うと楽しそうに笑われた。
「使い古された言い訳だな」
 貴海が哀れにも聞こえる言い方だが、ファレンは欠片も二人が逢い引きをしているようには考えていなさそうだ。衛は反対にそわそわとしている。向かいあって座っているからこそファレンと衛の対照的な態度がよく見えた。
 貴海ときさらに依頼した身としては心苦しい。
 由為も渋い顔をして食事を進めていく。
「衛先輩はきさらさんのこと、気になるの?」
 七日があっさりと火花を散らす発言をしたので、慌てるが、衛も驚いていた。食器に刺していた花を皿に戻して納得している。
「そうか、気にしてたのか。俺は」
「鈍いなあ」
「ファレンさんこそ、もしきさらさんが貴海さんに迫っていたらどうするんです?」
「逆じゃないの」
「逆じゃないんだよ、きっと」
 考えるファレンと、言ったはいいが恥ずかしかったのか食事を進める衛を見ながら七日と由為がこそこそ話をする。曖昧な雰囲気がしばらく続いてから不意に言われた。
「そうだなあ。貴海が嫌がっていたらいやだな」
 幼い響きの内容だからこそ秘められた意味は深かった。誰も追求できない。ファレンは静かな微笑を口元に刻んでいる。伏せられた金と緑に映されているだろう感情も読み取れなかった。
 沈黙を場に残してファレンは席を立つ。去っていく桜色を追いかけることが許されている人間はこの場にはいなかった。
「貴海先輩を捜したりはしないよな」
「おそらく」
「で、二人も一緒に何をしているのかな」
「いやあなにも」
「はい何も」
 尋ねた衛もしつこく聞く気はないようだった。苦笑を浮かべて食事を進めていく。汁を垂らすことなく煮込められた花を口にして、飲み込んでから言った。
「違う空を見に行く準備?」
「そうとも言えますが」
「変わっていくなあ、みんなは。成長が早い」
「衛先輩も変わりたいですか?」
 答えは否だった。
 衛はまだいまのままで良いと思う。
「幸いなことに俺は俺に不満はないからね。もどかしくはあるけれど、それは変わったってすぐに解決することじゃない」
 諦めという言葉は似合わない。自分の歩ける速度を分かっている人の言葉だった。由為は改めて衛のことをすごいと思う。同時に一人だけ内緒にしていることが後ろめたかった。
 これからの結末がどう収まるにしても衛は由為を責めないだろう。疎外感を感じたとしても飲み込むだけだ。寂しく笑って前に進んでくれる。
 その先の道を見られないことが由為の心残りだった。

 食事を終えて花の巡回を済ましてから、由為は調剤室の扉を叩いた。内側からゆっくりと開いていく。中に入ると椅子に座っているきさらと作業をしている貴海がいた。テーブルの中央には桜色の鞘がある。鞘と呼ぶ硬質さよりも柔らかく包み込む布を連想させる形をしていた。
「できたんですか?」
「あと一手間だな。君を呼びたかったから、いま来てくれて助かった」
 由為は背中を押される。鞘と向かいあう形になると貴海に背中を支えられた。顔を上げた隣に貴海の顔があって、かがまれているのだと分かる。その姿勢のまま貴海は言った。
「君が望む変革を鞘に行ってくれ。そうしたらすぐにでも此岸に行くといい」
 鞘を手に取る。ヴィオレッタの剣に相応する鞘は軽くて、儚くて、まるで花弁のようだった。
 どうして自分が望む変革を鞘にするのか、鞘を見ただけの由為は分からなかった。
 だが、剣を鞘に収めると決めたのは由為だ。他の誰の責任にもできない覚悟を刻む必要がある。
 由為は目を閉じた。覚悟を練り上げる。触れている鞘に熱を注いでいく。花が焦げるとしたらこういったものか、薫り高いまま散っていく匂いがする。
 目を開く。鞘に自分の変革を走らせていくと、いままでしなやかだった形状が変化していき、幾重にも縛された形の鞘ができあがる。花弁が重なりあう薄青の花。
「できあがったのね」
 椅子によりかかり、眠っていたようだったきさらが悲しそうに由為を見つめていた。その視線の意味を問う前に背中を押される。
「行けるだろう。すでに舟は待たせてある。水上さんとも連絡を取ってあるから」
「あ、はい」
 鞘を手にしながら、由為は部屋から出て行こうとする。
 貴海と視線を合わせた。迷いを多分に含んだ目をしていたのだと紫の瞳に映る自分を見て気づく。背中を押された勢いのまま走り出していいのか、それとも足を止めるべきなのか。「由為」
 手が伸ばされる。また、頭に手を置かれた。
 貴海は何度も由為の頭に手を置いてきた。慰めるように。励ますように。まだ、守られるべき存在なのだと諭すように。それでも由為の選択を尊重してくれていた。
「俺たちはここでお前の帰りを待っているから。いってらっしゃい」
「先輩……はい!」
 鞘を握る手に力をこめる。
 由為は今度こそ歩き出した。
 鞘だけを手にしたまま、彼岸の船着き場へ向かおうとする。屋敷を出て、花園を見渡した。青、白、赤と移り変わっていく花の群れ。さほど大きくないはずなのにいまは押しつぶしそうな圧迫感を与えてきた。空と混じりあって頭の中で溶けていく。紫紺が渦巻く上と黙って敷かれている下。ここには数え切れない物語が眠っている。
 人の命という物語がある。
 湧き上がった唾液を飲み込んで、由為は混沌へ一歩踏み出した。段差を下り終える。
「由為君」
 振り向くと眉を寄せて唇を引き締めている七日がいた。初めての頃も、これまでも見たことのない表情だ。最初の嫌われていたときですら見せなかった厳しさを向けるのは、明確な不安と恐怖を抱いて必死に隠しているためだ。
 分かったから笑いかけた。
 信じて欲しくて、どうしても叶えたい願いとして、由為の中で確固として咲いている誓いだ。
「大丈夫。俺は必ず帰ってくるよ」
 七日は何も言わなかった。寄せていた眉間の皺と口元を緩めながら、泣きそうな笑顔で手を上げると、由為に手のひらを向けて振った。
 緩く振られた手の意味はさよならではない。また彼岸で会うために、笑い合うために由為は行く。

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