軌跡積み重ねて現在を迎えて

 自分が生まれた日も忘れてしまえば何物でもなくなってしまう。
 朝、壁にかかっていた紙暦で二月四日の日付を見て以来、カズタカはぼんやりと益体もないことを考えてしまうようになっていた。いまものんびりと昼下がりの街道を歩きながら、思考は宙をさまよっている。
 前を行くのは小さいけれど頼もしい「銀鈴檻」のリーダーであるハシンで、カズタカの半歩後ろを続くのは仲間であるネイションだ。他の仲間達であるアルトーはリブラスに強引に連れられて朝からどこかに出かけていき、リンカーはリブラスの目付役として二人についていった。
 だからこれは望まぬ両手に花だ。片方は可憐だが容易に触れるとただれさせられる危険性があり、片方は優美ではあるが触れると花の守護者に怪我をさせられる。だからそこまで嬉しいとも思わない。
 三人で出かけた理由は、爛市メロリアから徒歩一時間程度にある「忘れられた遊戯箱」と呼ばれるマドレア遺跡で探索をするためだった。月に一度、銀鈴檻はマドレア遺跡で新しい遺物がないかの確認のために散歩させられる。
 今回は遺跡の一室から珍しいランプが見つかったので、依頼者にはそれで妥協してもらうことにした。
 カズタカが手にしている天然で青く光る円形状のランプの中身はまだわからない。大抵マドレア遺跡にあるものは未来からの贈り物とされている。もしくは廃棄場だ。未来に生きる人がもういらないと勝手に置いていっているらしい。贈り物であれ廃棄物であれ、見つかるものが未来の技術による物だということに変わりは無い。それは新たな進歩を現在に促す。
 ただし、過去の智恵が見つかることは滅多に無い。
 カズタカたちが帰路を半分ほど辿ったところで、ハシンが急に振り向いた。
「そういえば、君。今日は誕生日だったね」
 いま言うか。
「そうだな。もうそんな日だよ」
「はは、まあ今日のランプはプレゼントにはならないから」
「知ってるよ」
 ハシンとカズタカのいつもの通りに気安いやりとりを聞いていたネイションが混ざる。
「カズタカ、今日が誕生日だったの?」
「ああ」
 空は快晴で道は整備されており、両端には開拓から逃れられた草原と木が両腕を伸ばしている。たまに木のあいだから小鳥が鳴きながら飛び立つなど、なんて平和なのだろう。
 カズタカが誕生日を迎えようが迎えまいが、世界は何も変わらない。平穏なところは平穏なままで、過酷な場所は今日も過酷だ。
 爛市メロリアの象徴である赤銅の塔が近づくごとに見えてくる。カズタカはなにげなく口にする。
「記憶喪失だから、俺は全く覚えてはいないんだけどな」
 前を向いていたカズタカはネイションが初めて知った事実に驚いた顔を知らない。
 爛市へ帰っていく。



 爛市メロリアに戻り、依頼人のいるアンティーク店「忘れられた孤児堂」にランプを置いてから、カズタカは調律の弦亭に戻ってきた。
「ただいま」
 帰ってこない挨拶をしてから一息吐くために、食堂へ向かう。誰もいないテーブルの左端に座る。すでに宿泊客のための食事は済んでいるようで、ネイションが皿洗いをしていた。手伝おうかと声をかけるがあと数枚なので大丈夫だと言われてしまう。
 そうなるとやることがない。
 後輩たちである無音の楽団は仲間の誕生日となると結構盛り上げて祝い、その場にカズタカたちも何度か招かれたが、平均年齢の高い銀鈴檻は仲間の誕生日をそこまで祝うことなどない。元から淡泊な性格の人間が集まっているのもあるのだろう。
 無音の楽団は良くも悪くも情に厚く義理堅い。だからハシンも目をかけているのだろう。世の中の汚泥にまみれることなく純粋なままでいてほしいという感情と、ただ後輩という存在がいることがハシンにとって嬉しいのだ。
 ぼんやりと宿に流れる弦楽を聴いていると目の前にカットケーキが二つ乗せられた皿が置かれた。一つは暗く重いチョコレートケーキで、もう一つはカスタード生地に赤いジュレとベリーが乗せられたケーキだ。
 突然のゲストの登場に顔を上げる。その先には洗い物を終えたネイションがいた。
「誕生日だって言うから、慌てて買ってきたのよ。そういうことは早く言ってよね」
「そんなに気を遣わなくてもいい。あと、どうして二個なんだ?」
 全員で食べるのならばホールだろう。カズタカの分だけならば一個で十分だ。その疑問にあっさりと答えられる。
「私の地方だと、誕生日には主役へ二個のケーキを用意するのよ」
 それには意味があるという。
 一つのケーキは今日まで生きられたことを祝い、もう一つ用意されたケーキは来年も無事に食べられるようにという祈りが込められているそうだ。思いやりのある慣習に感心していると、また奥に戻っていったネイションがカズタカ用の青いマグカップに珈琲を注いできてくれた。
 珍しく大尽な扱いを受けて、嬉しいと言うよりも少しいたたまれず、これから後が怖い。ネイションに想いを寄せているリンカーにはこの扱いを羨ましく妬ましくつまらなく思われうだろうし、それにより恨まれることが面倒だった。あからさまな嫌がらせはされないだろうが、きっとちくちくとことあるごとに刺してくる。
 だけれどネイションの好意も無駄にしたくないので、ケーキを食べることにした。リンカーへの対応については帰ってきてから悩むことにしよう。
 ネイションの心配りは繊細で甘く、口に入れるとほろほろと溶けていく。そこに珈琲を口にすると優しさの中に苦みが混ざり合って、少し寂しい気持ちにさせられた。
 向かいに座ったネイションは、淡々と食べながらたまに首を傾けて味わうカズタカを見つめている。満足そうに微笑みながら、すっと尋ねてきた。
「いつから記憶喪失なの?」
「珍しいな。あんたが素直に切り込むなんて」
「だって、気になるじゃない」
 ネイションは銀鈴檻の良心だ。控えめで気遣うことができるので、依頼人のフォローもよくしてくれている。だから、仲間のプライベートも尊重してくれていた。今回の質問も下世話な好奇心によるものではないのだろう。
 一口、珈琲を口にしてから素直に言えた。
「もう一年も前になるかな。ハシンによると、糸継山で倒れていたらしいんだ」
 糸継山は爛市メロリアよりも南の地にある。急な崖と平坦な地層が極端な山だ。そこを通りがかる旅人も多い。ハシンもその一人だったのだろう。
「俺は、ハシンに拾われたからな」
 不思議と飢えも渇きもないままにただ動かない体を持て余してぼうっと倒れていた。やがて生命の気配がなくなったら、空を旋回する鳥たちや獣に食われて終わりか、それもまた自然の流れだなあと思っていた。
 すると突然、頭から水をかけられた。
 乾いていた肌に水が染みこむと急に飢えた。あの時の苦しみはいまも忘れていない。力を振り絞って顔を上げると、そこには目の細い笑っているんだか無表情なんだかわからない、ただ場にそぐわない少女がいた。
 その少女がハシンだ。
 ハシンは黙って食事と水と魔力を分け与えてくれた。
 それから一緒に山を下りていき、街まで歩かされた。
 ハシンがどうして糸継山にいたのかはいまも知らない。ただ、恩人であることには間違いが無かった。いくら旅人の往来が多い山とはいえ、あの時ハシンが助けてくれなくては死んでいたのだろう。
 葬儀の方法は何でも良いと思っていたが、死にたくはなかった。それにすら気づけないほどあの時の自分は消耗していたのだろうが。
 結局、カズタカは命と数食の恩義でハシンの部下になることが決まり、その後にまた別の才があることがわかったのだが、それはまた別の話だ。
 いまはネイション、アルトー、リブラス、リンカーという仲間が増えていって銀鈴檻となり、爛市メロリアに辿り着いて宿「調律の弦亭」で特客をしている。
 良い感じの日常だ。
「まあ、そんなわけだ。面白くもなんともないだろ」
「面白い記憶喪失なんて聴いても笑えないわよ。リブラスがやらかしたんじゃないかって疑ってしまうわ」
 あのとんちき魔術師ならやりかねない。
 カズタカもそう思った。
 そこまで考えて、ふと気付く。
「リブラスは、あれでも魔術師なんだな」
 魔術師と魔術士で読みは同じだが意味は大いに違ってくる。
 魔術師は正式に魔術を扱う訓練と許可を魔術学校にて得てから、名乗ることが許される。さらに場合によっては独力で魔術を作成することも可能だ。
 それとは違い、魔術士はまだ見習いか野に下った非公式の魔術の使い手を指す。てっきりリブラスもあの自由奔放さからそうなのかと思えば、違うらしい。
 あとは魔法使いと魔道士もまた異なる。魔法使いは魔術のための法を扱うより高度な存在で、魔道士は世界に眠っている魔力の源を見つけ出すことを特務としている。
「リブラスも学院は卒業しているみたいだからね。カズタカは学校とか通っていたの?」
「それもわからないな」
 覚えている過去は遠く霞の中で揺れている。同時に、いつも首にかけているペンダントを取り出した。中には「アルシェ」という刺繍のされた小さな布とその中に包まれていたアクアマリンがある。
 大切だ。失ってはいけない、過去へ繋がる一筋の糸だ。
「これしか俺に残されているものはないんだよな」
「だけれど、大切だということは魂が覚えている」
 ハシンが戻ってきた。
 カズタカの食べかけのケーキを見て細い目を一層に細める。
「いいものを一人で食べて」
「たまにはいいだろ。誕生日様だぞ」
「なら私の誕生日は国を挙げて祝わないとね」
「何様だ」
 呆れたように言いつつも、カズタカはネイションに目で尋ねてからケーキをハシンに分けていく。その様子を微笑されながら見つめられた。
「ハシンに助けられて良かったわね」
「ネイションに祝われた方がありがたいさ」
「言うね」
 ベリーのケーキにフォークを刺して切り分けながら、案外不機嫌ではなく返される。ぱくりと小さな口にケーキをくわえてから、ハシンはすっとフォークを引いた。咀嚼する。
「まあ、でもさ」
 何事かと顔を向けた。
「いつ生まれたのかということよりも、いま生きているということのほうがよっぽど軌跡なのさ」
 それはそうだ。
 生まれて、ここにいることを祝福する誕生日もあるだろう。無音の楽団のサレトナたちのように。
 だが、カズタカの誕生日は記憶喪失であっても、それでも生きてきたという旅路の過程を祝う日だ。そしてそれはこれからも続いていくことを祈られている。
 ぱくぱくとケーキを食べる恩人のもっともな言葉に納得しながら、カズタカは言う。
「ま、そうだな」
 そうしてチョコレートのケーキを食べた。
 今日は二月四日。
 カズタカの人によって定められた誕生日だ。




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