花園の墓守 由為編第五章『世界の秘密』

5-1

 彼岸で陽が落ち始める頃は仕事も終わり、自由な時間が生まれる。
 由為はそのうちの少しを衛ときさらに分けてもらった。まず習うのは此岸における新字と現字についての知識と見分け方、二つの字を分解していく方法だ。屋敷の三階にも学習室があると聞いて、今日からそこで勉強することになる。衛は由為のために字刷り硝子と修正筆を此岸から取り寄せてくれて、真新しい教材に由為の胸は弾んだ。
「それではよろしくお願いします!」
「はい。お手柔らかにね」
 きさらは二日ほどたつと字の影響による不調も落ち着いたらしく、いまは目の前の椅子に座ってきちんとしている。衛もきさらの隣で真っ白い帳面と、文字の書かれている教本を由為に渡してくれた。
 勉強らしい勉強は久しぶりで由為はわくわくする。教本をめくると、綺麗に整列している現字が最初に目に入った。これは読める。由為たちが普段使っている字だ。
 次をめくると、現字に絡みつくようにして絡まりあう線の集合体があった。教本には「字刷り硝子で透かしてみましょう」と説明書きがあった。青い字刷り硝子を手にとって由為は混雑している字を見る。うっすらと黒く現字が浮き上がり白い字と言えばいいのか線といえばいいのかわからないものが分かれて存在していた。
 見ていると頭の中で警報が響く。ながらく見ているのは危険だ。由為は字刷り硝子を目からずらした。
「どこまで見えたかな」
「現字に白い字が絡まっているところまでです」
「由為君にはやっぱり才能があるのね」
 しみじみといった様子できさらが言う。由為は照れた。
「でも、長く見ていると頭がおかしくなりそうで」
「最初は誰でもそうだよ。字は見慣れることから始まるんだ」
 その日は何度も同じ文を読むことになった。まずは現字を、次に新字が絡まる縛字を、最後に新字のみを何度も目にした。
 異なる字による同じ意味はいまになるとそらでいえる。

『君の空は青い。僕の空は暗い。決して交わらない』

 寂しい言葉だ。君と僕がいるのは違うところなのだろうか、それとも同じなのに違って見えるのだろうか。
「衛先輩ときさら先輩はいつ頃から文字の勉強をしたんですか?」
「由為君と同じよ。十五歳から」
「文字について働くことは決めてたんですね」
 此岸での仕事の割り振りの最初の段階で、どの職種に就くか個人の意思で選択できる。花を加工する食産業、物産業、技師、環境整備、医師、そして字の修正師へと主に分かれているはずだ。彼岸の管理者は別に希望があっても、呼ばれた者だけが任を受けるか否かを決められる。
 由為の質問に衛ときさらはうなずいた。
「転職の機会もあったけれど、私と衛さんはずっと花と文字に関することを仕事にしてきたわ。それでいまになって、彼岸の管理者の打診がきたの」
「あの、あと衛さんときさらさんって此岸の頃からお知り合いでしたか」
「うん。とはいっても、たまに食事をするくらいだったけどね」
 だからか、と由為は納得した。それほど親密な雰囲気はないが衛ときさらは互いに対して信頼が芽生えているように見えたからだ。
 信頼。その言葉に思い至って、由為は少しばかり息苦しくなった。
 相手は貴海だ。以前と変わらず接してくれているし変わりなく応えているつもりだが、それが正しいのかどうか分からない。彼岸にいるあいだ貴海との関係が曖昧なまま終わるのはいやだった。七日が言っていたことも気にかかる。
 ファレン先輩を守るためだけに生きてきた。
 なら、ファレン先輩についてもう少し知ることができたら俺のわだかまりをほどくきっかけもつかめるだろうか。貴海先輩のことを理解できるだろうか。
 由為はこのあと、ファレンを訪ねようと決めた。

 由為がファレンの部屋を尋ねるとファレンは喜んで談話室に移動することを提案した。
 押されるワゴンの上には茶器と温められた湯がある。談話室についてからファレンは童女がままごとをする雰囲気を漂わせながらも優美な手つきで花の茶を用意していった。由為には青い花を、自身には白い花を選ぶ。備え付けの焼花が四枚、陶磁器の皿の上に置かれて由為の前に差し出された。
「ファレン先輩は食べないんですか?」
「体つきが気になる年頃だからな」
 いろいろと大変らしい。由為は食前の挨拶を済ませてから焼かれた花を一枚、口に含んでから茶を腹に落とした。甘いものと茶を組み合わせて食すと勝手に満足の息がこぼれる。
「それで、俺に何の用事だ。貴海との中継か? 仲裁か? 仲介か」
「どれもです」
「ふふふふふ、素直に貴海ではなくて俺から狙うとはなかなかの戦術的判断だな」
 最初の時から思っていたが、ファレンとする会話はくせが生まれる。間や、調子が独特でいつもの自分ではないところを見せている気分になってそれが気恥ずかしい。
 あとはファレンが見慣れぬ美人だということもあった。此岸でも美しい人は当然いたが、ファレンの全体の造形はどこか見慣れぬないものを連想させる。人ではない。本人も「俺は物語だ」と言っていたので、人でなくてもかまわないのだろうが。
「で、由為は貴海とどういう関係になりたいんだ」
「どういうってのはないですけど、仲直りしたいとか」
「貴海は何も思っていないよ。残念ながら由為の中にしかわだかまりはない」
「ざっくり言わないでくれますかねえ」
 まるで自分はまともに相手をされていないみたいで落ち込んでしまう。
 ファレンは自分の頬に手を添えた。何度かまたたきをして、そのまたたきも長い睫から光がこぼれるようで、由為は見入ってしまう。
「俺ができることはといえば、貴海がどんな人でどういうことをしたら有効かを示す程度かな。では、昔語りを始めよう」
「え」
「若者は勝手に昔話を聞かされて知恵を得るか、楽しむか、疲れる。それが決まりなんだよ」
 一方的に決めてファレンは話し出した。

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