閃光ティーポット

 窓から差し込む陽光に色はない。それでも部屋に漂う冬の寒さを抱えている熱によって幾分和らげてくれていた。
 裕福な家のように勢いよく炊いた暖房で部屋全体を温めるわけにはいかないため、「調律の弦亭」の事務室は冬になると一層冷える。できることといえば膝掛けや上着を何枚も着込むことくらいだが、それも腕周りがもこもこしてしまい事務仕事に支障が出るため、結局は二枚の上着と膝掛けで済ませてしまう。
 冬はまだ続いていくが、それもあと三ヶ月程度の辛抱だ。春立の月も中旬になると過ごしやすくなる。
 ペンを操りながら客のためのウェルカムメッセージを紙に書いて量産しているカズタカは、春が待ち遠しかった。冬の生まれではあるが春は好きな季節だ。
 正面で向かい合いながら仕事をしているネイションも本を繰る手を止めて外に目を向けた。木々は葉という衣装をなくして寒々しく、爛市と呼ばれるほど派手な色合いの街も冬のくすみによって他の季節より落ち着きをまとっている。
「休憩するか」
 集中力も切れたので提案するとネイションは軽く頷いた。カズタカは立ち上がって膝掛けをたたみ、備え付けの簡易コンロで湯を沸かす。首を動かすとぱきりと音がした。
 体を使うことを得意とするよりも頭脳派が多い銀鈴檻だが、事務仕事を担うのは主にカズタカとネイションだ。ハシンはリーダーとして様々な決裁で忙しく、アルトーは文盲というほどではないが竜の生まれのため人の字の理解に時間がかかり、リブラスはやかましいだけでアルトーは教会の活動により忙しい。
 そのため文字の理解が早く字が綺麗であるカズタカは書類仕事を、ネイションは備品の補充や会計業務と、自然な流れで仕事は分担されることになった。
 それは悪くない。調律の弦亭も上手く回っている。カズタカたちの力だけではなく、宿を取り仕切る女将が有能なのもあるだろうが。
 カズタカたちの属している「銀鈴檻」はここよりも遠くから旅をしてきて、ハシンの決定により名を改めて調律の弦亭の特客となったが、それは過去の冒険の日々から一歩ずつ遠ざかっていた。とはいえ危険が無くなったわけではない。むしろ街の住人の依頼によってけったいなことも増えた。
 特客というのは外部による街の調停機関だ。長くいるとしがらみも生まれてくるが、それでも街の生まれではないため多少は冷静に、冷徹に物事が判断できる。揉め事を住民内に持ち込みたくないときにはありがたがられる。
 しゅんしゅんとケトルが鳴り始めたのでスイッチを落とす。火は一瞬で消えた。
 ティーポットを温めて、湯を捨ててから茶葉を入れてまた湯を注いで、という一連の動作を繰り返していると不思議な気分になる。
「記憶がなくてもできるもんなんだな」
「ハシンに仕込まれたんでしょう。あの子も飲み物にうるさいから」
「その通り。あいつは俺に何でもやらせる。美味いものが飲みたけりゃ、沈黙の楽器亭に行けばいいのにな」
 飲食から演奏まで客を楽しませることを幅広く扱っている特客の後輩たちを思い出す。彼らは元気にしているだろうか。元気ではあるだろうが、困難に打ちひしがれていないだろうか。
 たとえそういう目に遭っていたとしても立ち上がる強さを持っていることは知っていた。
カズタカは温めたポットを手にして机に戻る。ネイションが書類をまとめて左端に整頓してくれていた。
 ことんと丸く青いティーポットを机の上に置くとしみじみとした様子で言われる。
「三人分のポットは便利よね」
「ああ」
 二人で飲み終えてから改めて折半してもよく、唐突な客に備えて一人分を残せておけるのも利点だ。このティーポットを見つけたのは誰だっただろうかと思い出そうとする。確か、アルトーだった気がした。アンティークショップできらきら輝いていたのを手にしていた。
 カズタカがティーカップを二客取り出し、一杯分の茶を残してネイションと自分の分を注ぎ終える。ネイションにカップを渡して、席に着いて口を付けた。
 口内に広がるのはショコラフレーバーの濃厚な風味。体の奥で眠っている熱にほろ苦い香りが火を付けてくれる。これまでの寒さが冗談のように暖まっていった。
 ゆっくりする。
「クッキーでも用意していたらもっと良かったかしら」
「そうだな。今度、置いておくか。菓子といえばラスカスの新作の、オランジェットも悪くないぞ」
「詳しいわね。私は最近、街に出ても本ばかりだから」
 菓子や本についてなど意気の合う会話ができる。穏やかな時間だが、その貴重さを楽しんでばかりいられないのも、カズタカの辛いところだった。
 その理由は近くから部屋にそ、さ、と派手ではない足音が近づいてきている。アルトーはもっと大胆に、リブラスは騒がしく、ハシンは猫のように気付かせない。
 気付かせることを目的としながらも静かに歩く仲間は一人しかいなかった。
 きたか、と足音の主に気付かれないように息を吐く。
 ノックが二つ聞こえた。
「失礼しますよ」
 青灰色の神服に身を包んだ、緩やかな白金の髪の青年が事務室内に入ってくる。潔癖といえるほど身だしなみを整えていて、どこから見ても物腰柔らかな立派な神父だ。
 それでも翠の瞳だけは、異質だった。人の形をしているが瞳孔が少し縦に長いのを長い睫毛の影で隠している。
「おかえり。席は適当に座ってくれ」
「では」
 ネイションの隣をためらいなく選んだ。
 この青年が、リンカーだ。ネイションに恋をしているという悪魔の神父で、ハシンから聞いたときは何のことだと思ったが接していてすぐに分かった。
 人が堕落することによる安寧を愛し、嘆きを聞いて懊悩を解決する姿は確かに悪魔だ。人ですら、人が苦しむ姿を見ることや罪の告解を聞くことに喜びを得る場合もあるが、リンカーは蜜として人の不幸を味わうのではなく、前菜として糧としている。さらに厄介なのは本来なら己で獲得すべき問題の解決法をリンカーが甘く提示し、その果実を口にさせることだ。乗り越えて成長することのできる試練の機会を包み込んで隠してしまう。そうして人は平坦な道を歩けることになってリンカーに感謝するが、それはただの堕落だ。
 世界には多種多様な悪魔がいるが、リンカーほど善性の使い方を誤用している存在もいないだろう。神に忠誠を誓っているのだからなおさら手強い。
「私もお茶をいただいていいですか?」
「ええ。リンカーの用事はもう終わったの?」
 余っていた一杯をネイションが棚からティーカップを取り出して、注ぎ、渡すと途端に無垢な表情を浮かべる。悪魔と言っても子どもですら驚かせられないだろう。
「はい。簡単な聖典の解読依頼でしたから」
 和やかな雰囲気の二人とは反対に居合わせることになってしまったカズタカは少し緊張している。
 リンカーとの関係は険悪ではないが、ネイションと同じ場で作業をすることが多いため、結構憎まれているのだ。それも仕事なのだから仕方ないだろうと、自分は仲間以上の感情をネイションに抱いていないとリンカーに伝えても、なかなか信用されない。
 だとしたら沈黙を保つことが正解だ。
「このお茶を淹れたのはカズタカさんですね。まったく美味しい」
 それなのにどうして相手からつっかかってくるのか。
「いやなら飲むな」
「すみません。腹は立つけれども飲みたい味ですから」
「だったら、リンカーも淹れられるように練習したら? ハシンを審査員にして」
「それはちょっと」
「わがままね」
 ネイションは呆れるが、リンカーのためらいもわかる。
 ハシンは厳しい。手厳しい。生半可なものを出したら美味しそうに飲んで酷評してくるのは、カズタカも身をもって体験している。だからネイションに乗っかってハシンに指導してもらうことをリンカーに勧めた。
 これくらいのやり返しは許してもらいたい。自分はもっと丸い針でつつかれるように刺されているのだから。
 ネイションとリンカーが押し問答をしているところで、今度は扉が勢いよく開いた。
「やっほー! もう昼なんだね!」
 カズタカは呆れるしかできない。
 どうしてこうも穏やかな冬の昼下がりをぶち壊す仲間ばかりやってくるのか。ネイションと二人で淡々と仕事に取り組めていた十分前が恋しくなる。
 物の置かれていない部屋をずかずかと歩いてくる、リブラスの被っている焦げ茶の帽子が大きく揺れた。
 基本の水、火、木、土、風だけでなく召喚術に始まり星や宝石魔術等、全ての魔術の道をひたすらに究めんとしている。都合よく言えば大層な努力家で事実を言うならば強欲なトラブルメーカーがリブラスだ。魔術の扱いには長けているが人の心の機微はさっぱり理解しない。それでも憎さより諦めが先に立つ点が大いに得だ。
 リブラスは席に座ることなく、ポットを開ける。ぼんやりと見ていると。
「えい」
 紫色の液体が投入された。
「何を入れたんだ!」
 我に返って、絶対にろくでもない行動を咎めた。リブラスの行動に善悪の意図はないが結果はたいてい悪いことになる。
 カズタカにがっくんがっくん襟をつかまれて揺らされながらもリブラスは冷静に話す。
「人体を活性化させる魔術があるじゃない? あれ。あれを液体にしてみたものだよ。時間が経っても人の体に取り込まれないと、周囲の魔力に反応して、かっ!」
「かっ! じゃない! そういうことをするなっていつも言っているだろう!」
「そうよ。三人分淹れられるポットは貴重なんだから」
 普段と変わらないおっとりとした様子でネイションが言うものだから、緊迫性が薄れていく。リンカーは「そこなんですか」と苦笑していた。
 カズタカはリブラスを振り回すことを諦めて席に着く。
 問題は一つ。
 誰が、リブラスの作った怪しい紫色の液体を飲むかということだ。
ちらりとリンカーに目をやれば「お先にどうぞ」と柔らかく微笑まれる。
 そういうとこだぞ。面倒なところは全部丸投げする、そういうところが一番肌に合わないんだぞ。
 カズタカは思いつつ、リンカーのティーカップに紫の液体を注ごうとした。そうするとリンカーは両手でティーカップを覆い隠す。
「こういう時こそ冷静な判断が求められると思いますよ、参謀」
「聖職者なら率先して犠牲になるべきじゃないのか? 人を守るために」
 ぱちぱちと見えない火花が散る。ここはお互いに譲れない場面だった。リブラスの実験の被害者になるなんて冗談ではない。
「何事も経験ですよ。案外美味しいかもしれませんから、どうぞ」
「いやいや。黒い腹を白くするには一度爆発させた方がいいんじゃないか?」
 口元を吊り上げながら笑っていない目で牽制しあう二人に飽きたのか、ネイションが言い出す。
「私が飲む?」
「「だめ」」
 声が重なった。銀鈴檻の良心に危険なことはさせられない点ではリンカーと意見が一致していることは判明した。ネイションは勢いに押されたのか、諦めて肩をすくめてリブラスを見る。リブラスはテーブルの端に指を添えながらかがんで退屈そうにしていた。
「ねえねえ。誰が飲むの?」
「お前だ!」
「あ、僕の魔力には反応しないようにできているから無理!」
 殴りたい。
 またもカズタカとリンカーの考えは一致した。
 しかし、これ以上貴重な三人用のティーポットが魔力の込められた液体で汚染されていくのはもったいない。リブラスの実験はこれまで健康被害をもたらすことはなかったが、今後もそうなるとは限らなかった。特にこれはネイションのお気に入りのティーポットである。このままにはしておけない。
 カズタカとリンカーが拳を握って天に運を任せようとしていると、またも扉が開く。
 入ってきたのは白銀の長い髪と、赤い瞳の戦士だった。いまは軽鎧は外していて、動きやすいインナーを着ている。背が高い。
「アルトー」
 竜と人の混合体であるアルトーは、目の前の光景を見てこてんと首をかしげた。
「どうしたの」
「リブラスがまたバカやった」
 詳しいことを説明する気力はない。黙ってティーポットの蓋を開けると透き通った紫の液体が揺れている様子が見える。色が綺麗だからなおさらいやだ。
「わかった。俺が、なんとかする」
 多弁ではないため、文節で言葉を途切れさせながらアルトーはティーポットを持ち上げる。そうして空いているティーカップに注ごうとしたときにカズタカは慌てた。
「待て! いかれた魔術師のバカだぞ!? 命に危険があったらどうするんだ」
「それはないのにー」
「日頃の信用ですね。それは、ということは他に何があるんです?」
 リンカーが落ち着いて問うと、リブラスは親指を立てて答える。
「魔力に反応して少し毛量が増える!」
「いやね」
 ぽつりと落とされたネイションの言葉はリブラスを除く全員の気持ちを代弁していた。魔力と髪には密接な関係があるが、何も増えなくてもよいだろう。元からアルトーの髪は多いのだ。いまよりも長くなるとどこかの姫みたいになってしまう。
 全員の心配をよそに、アルトーはとんと胸を叩いた。
「大丈夫。俺だったら、うろこ」
 竜であるため主に魔力が宿っているのは鱗になる、だから変化するとしても髪ではなく鱗と言いたいのだろうが、それもそれで怖かった。
 そうしてまたも飲もうとするアルトーをカズタカとネイションは止める。銀鈴檻で唯一の前衛であり、精神的に庇護したくなる存在に無茶はさせられない。渋々といった様子でアルトーはティーポットを下ろすが。
 さてどうしよう。
 このまま閃光を放ってティーポットを壊してしまうのもいやだ。三人用のティーポットは貴重だというのに。
 重たく悩む空気を破るように扉が三度、開かれる。すでに誰が来るかはわかっており、この事態を打破できるかと希望の目で見てしまう。
 桃色の髪を揺らしてハシンが帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり……」
「なに疲れた顔をしているのさ。お茶をもらうよ」
 止める間もなかった。
 ティーポットから紫の液体をカズタカのティーカップに注ぎ、一瞬だけ色のせいか首をかしげたが、特に気にしないままこくこくと飲んでいく。
 両手を握って喜ぶリブラスだったが、その調子の乗りようにリンカーが思い切り頭をはたいた。アルトーとネイションは心配そうにハシンを見上げ、カズタカはようやくけりがついたことにほっとする。
 ティーカップから口を離してハシンは眉をひそめる。
「む。何か入れられたね」
「人の能力を一時的に活性化させる液体だよ! これで事務仕事で疲れた頭とかの能率もまた上が」
「大丈夫か?」
 リブラスの言葉を遮って、カズタカはハシンに尋ねた。ハシンは毒の類いに耐性があるとはいえ、心配だ。リブラスが制作したという点も大いに不安だ。
「大丈夫だよ。もう中和したから」
 それなのにハシンはあっさりと大抵の人にはできない所業を成し遂げていた。
「相変わらず無茶するわね」
「そんなことできるの!?」
 リブラスが目を輝かせながら好奇心旺盛といった表情で尋ねた。魔術や魔法に関することは何でも知りたがるのが、長所でもあり短所だとカズタカは心の底から呆れる。
「体の中の違う魔力に、廃棄する予定の魔力をぶつければいいだけさ」
 ハシンはあっさりと言ったが簡単にできることではない。
 人に宿る魔力にはそれぞれ波形や周期、形質といったものがある。だが、魔術を習う人間であってもそれらを自覚するのに三年はかかり、適性のある魔力を見つけても自在に操作できるようになるまでには間断のない訓練が必要となる。いくらハシンがそういった段階をとうに終えているとはいえ、混合される前に不要な魔力を自らの意思で対処するというのは高等技術だ。例えるなら、落ちていく果実水が水に混ざりきる前に廃棄されるはずだった水の要素で果実水を消し、水のままに保つという行為をハシンはさらりと終えた。
 相変わらずの高性能だと呆れてしまう。
「でも、リブラス」
「あ、はい」
 ハシンはにっこりと笑いながらリブラスに詰め寄っていく。そのたびにリブラスはのけぞっていくが、最後には頭を床にぶつけた。起き上がる。
「仲間では実験するなって言ったよね」
「覚えていなくなくはなかった気がした」
「お仕置き」
 ハシンが指を鳴らすと、いつの間にか大きなたらいがリブラスの頭に落ちていた。用を為したたらいはまたも消えていく。どこに行ったのかは聞いてはならない。
「さ、今度はカズタカが普通のお茶を入れてね。後輩のいる沈黙の楽器亭でケーキを買ってきてあげたんだから」
「あら。ありがとう」
「それではナイフを持ってきましょう」
 目を回しているリブラスを放置して、動き出した仲間達を見ながら、カズタカも立ち上がる。
「ポットは念入りに洗っておくか」
 最初の落ち着いた時間はとうに過ぎ去ってしまったが、このにぎやかさもまた銀鈴檻の日常なのだろう。
 カズタカの座っていた椅子に腰を落ち着けながら、いつも微笑んでいるハシンは向けられた視線に気付くと首をかしげる。その表情から察するに、紅茶が待ち遠しいようだ。
 カズタカは主の期待に沿えるために備え付けの簡易キッチンへ向かった。


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