花園の墓守 由為編第三章『花盗人』

3-1

 起きるな、と意識の浮上を感じるが同時に違和感も覚える。これほど部屋は快適だっただろうか。いつも寒い朝はあたたかな誘惑にくるまりながら、これにしがみついていたいなあと思いつつ、がんばって起きていた。
 眠りの淵から這い上がった由為は気付く。
 ここは、彼岸だ。
 完全に目を覚ます。起き上がると寝台が優しく動きを支えてくれた。眠るのは二度目だが横になったときの布団の柔らかさやシーツや毛布が指になめらかなところから、上質な品だと分かる。此岸の布団とはべつに、もう一眠りを誘ってくるほどだ。
 誘惑をはねのけて由為は寝台から下りる。裸足でも絨毯があるので冷たさは覚えない。
 身体を伸ばしてから気を抜くと、左側にある机に目がいく。机の上には揃えられたペンと書きかけの便箋があった。今度は時計に目を向ける。朝の集合時間は六時半だが、いまはまだ五時を過ぎたくらいだ。
 由為は椅子を引いて座り寝間着のままペンを執る。

 『父さん、母さんへ

 由為です。
 彼岸に来て三日目になりますが、俺は』

 そこから先を書き始めた。できたら今日の出荷の舟に乗せてもらえたらいい。
 彼岸で働くことに難色を示した両親を安心させるために。
 俺は元気です。そう伝えたい。



 由為は手紙を書き終えて、着替えと洗顔を済ませてから如雨露を掴み花園へ走っていった。すでに七日とファレンは水やりを始めているのが見える。
「遅れてすみません!」
「おはよう」
「おはよう。良い日和だな」
 七日とファレンが挨拶を返す。彼岸の早朝の空気は肌に心地よい冷たさと湿ったものだ。
 由為が如雨露に水を溜めて、左上の青い花園に水を振りかけているとファレンが隣に並んだ。先に花の様子を見てくれているらしい。慣れた様子で視線を移していくのを見ながら由為は尋ねる。
「ファレン先輩はいつからこちらにいるんですか?」
「ずっとさ。俺は物語だから彼岸にしかいたことがない。彼岸から離れられない」
 他に意味がありそうな言葉には曖昧な相槌しか返せなかった。由為は如雨露が軽くなってから持ち直すときに、視線がまた書館へと向かっていった。いまだ踏み入ることを許されていない、指で顎をなぞってくるように好奇心をくすぐる館。
「書館がそんなに気になるか」
「はい。いろいろな秘密が溢れていそうで」
「由為は鋭いな。あの館には、どんな石も布も及ばぬ宝が詰め込まれているよ」
 囁きながら見つめてくるファレンの瞳に射貫かれた気がした。興味や、期待や、不安など全てまとめて緑と金の目は由為の中心を見抜いてしまっている。まるで、由為が分からない由為の未来すらファレンは知っているような錯覚に陥った。
「手を止めずに。七日にも言って今朝の水やりを手早く終わらせよう」
「どうしてですか」
「だって、由為が書館に行くのだから」
 決まったことだとファレンは言った。
 由為もついうなずく。
 そのまま水やりを終えて、如雨露を提げたまま由為は書館に向かうファレンの後を付いていきながら、周囲を眺めていた。
 花園から書館までは朱色の石材で舗装されている。かたことと歩くたびに音が鳴った。その音は誰かが近づいていると知らせるためのものかと思うほど響く。
 書館の前まで着いた。見上げると屋敷よりも高く四階くらいはありそうで、くすんだ薄緑の壁には花園と同じ青、白、赤の花が這っている。近くまで来ると無関心の静観を向けられている気分になった。視線はやられている。だが、書館は由為たちに興味を持たない。
 ファレンが閉ざされている書館の扉に手をかけようとしたときだ。
「残念だが、ここに来るのはまだ早い」
 由為は跳ねる。後ろを向くと淡々とした様子の貴海がいた。
 こっそりと花をくすねるのを見つけられたような心持ちで由為が縮こまっているとファレンは笑う。
「ならばいつ頃になったら由為はここに来られるようになるんだ」
「年月ではなく心の余裕だ。それは君もよく分かっているだろうに」
「好奇心盛んな少年を焦らしてやるな」
 間に挟まれて由為はあわあわとなりかけるが、気付く。
 二人の言葉は真面目で、聞いていると軋轢を感じるが、響きは柔らかく面白がっていた。そして、貴海とファレンが向き合って話をするのを見るのは今日が初めてだ。
 ファレンは七日に対する屈託のなさや衛への軽やかさとは違う、会話の心地よさを楽しんでいて。貴海は何を思っているのか、考えているのかは読み取れないが他の誰にも踏み入れないだろう距離で話をしていた。
 七日が言い、ファレンも同意した互いが唯一の存在だという、貴海さんとファレンさん。もしかして生まれて初めて親しい男女のやりとりを目にしているのかもしれない。心臓が速くなって鼓動を跳ねさせる。もじもじしてしまった。
「君も由為が囚われるのは見たくないだろう」
「何に?」
 話の題材だから当たり前だが、自分の名前が貴海の口から出て由為は驚いた。ファレンは聞き返す。交差する紫と金の瞳は途中でもつれ合い、誘いをかけたのはファレンからで貴海は容赦なく従ってきた。
 独自の張り詰めた、口付けする直前のような空気に挟まれるていることに耐え切れず、由為は無粋に口を開いてしまった。
「二人は」
「良い人」
「悪い人」
「「なんだそれ」」
 お互いの感想が納得いかなかったらしい。貴海とファレンは息を合わせて同じ言葉を重ねた。今度は明らかににらみ合っている。
 由為はこれ以上、寄り道をするわけにはいかないと気付く。七日の様子も見に行きたい。貴海とファレンにその旨を告げたら拍手をされた。
 うやむやにされる前に由為は聞いておく。
「俺が、貴海先輩に勝てるほどの余裕を持てたら。ここにまた来ます」
「とりあえずはそうするか」
「絶対ですよ。俺は貴海先輩に勝ったら壊してでもこの扉を開けますからね!」
 言い残して駆けだす。ファレンは貴海の隣にいることを選んだらしく、呑気に手まで振られて見送られた。


 少年の背中が遠ざかる。
 貴海とファレンはしばらくその光景を見つめていたが、消えて何もいなくなるとファレンが口を開いた。
「勝ち負けとは言ったが勝負は何にするんだ」
「一通り試すしかないだろう。由為でも俺に勝ち目があるものを」
「ははは。自分が勝つことを前提に勝負を仕掛けるとは。悪い人だ」
「君もだろう。純粋な少年をそそのかしている悪い人」
 「そのとおりだ」とファレンがまた笑うと、貴海は眼下にある白に近い薄紅色の髪が垂れている頬にそっと手を置いた。
「同時に君は俺だけの良い人だから」
「ためらいなくそんなことを言えるから、恥ずかしい人だ」
 ファレンは貴海の腕に自分の腕を絡めてつかまえる。貴海は絡まれた腕を振りほどかずに書館から離れていった。


 彼岸から此岸への花の移送と間引きを午前中に終えて、昼食を済ませた。
 そのあいだ衛やきさらや七日から「貴海さんに何かあったのか」と聞かれるたびに首をかしげてしまう。いま、ファレンと貴海がいないまま、四人そろって食堂で花茶を飲んでいるのだが、それぞれの貴海の異変に対する主張が違っていた。
 衛は「ちょっと哀れんでいるように」見守られている気分になり。
 きさらは「少し微笑ましく」観察されているようであり。
 七日は「うっすらとだが確実に変」だった。
 由為は特に貴海の態度にいぶかしいものを感じていなかったので、三人の内容に共通する単純な何かを見つけようとした。とはいっても、ここ二日間と比べると貴海の挙動が変という点しか合致しなかった。
 これまでの貴海の立ち居振る舞いは上品かつ控えめで、あまり感情を感じさせなかった。それが午前中のあいだは動きの一つひとつに明らかな感情が見えていたという。
 四人でテーブルを囲んで考えていると、けたたましい音がした。全員が入り口に目を向ける。そこには髪を一つに束ねて、運動着に着替えたファレンがいた。
 首から下げている細い筒と、片手に茎が長い棒状の花を持って、言われる。
「さあ、お遊びの時間だ! 運動着に着替えて白い花園に集合せよ」
「拒否権は」
「してもいいが一人寂しく俺が落ち込むぞ」
 胸をはって言うものだから、全員が「これはしかたないな」と受け入れた。落ち込むファレンというものは想像しにくいからこそ、面倒そうだ。きさらと衛が茶器を片付けだして、七日と由為は着替えにいく。
 そうして霧薄い、まだ晴れといってもいい彼岸の青空の下で管理者が全員集まった。いつの間にか来ている貴海も紺色の運動着に着替えていて、五本の花を手にしている。
 白い花園に挟まれた通路の中心でファレンは腰に手を当てながら、一本の白い花を正面に並ぶ衛、きさら、七日、由為たちに向けてきた。
「さて。これからは花盗人の時間だ。聞いたことはないな。彼岸の数多い遊戯の一つで、まず花と盗人に分かれる」
 ファレンの後ろにいた貴海があいだに入り、花弁を下にして茎を向けてくる。
「引いてくれ」
「じゃあ」
 由為は真ん中の花をつかんだ。貴海は下から抜いて渡してくる。
 青い花だった。
 次には七日が赤い花を引き、衛も同じく赤い花を、残りの青い花をきさらと貴海が手にした。
「俺の花は白だ。これはまあ、言うなれば宝だな。青い花は盗人で赤い花は宝の護り手。青い花たちは勇敢なる赤い花たちを蹴散らして俺が持つ白い花を定められた時間までに捕まえる。白い花を守りきれたら花の勝ちで、盗られたら盗人の勝ち。それだけだ」
 説明を聞くとわりと単純な遊びだった。
 由為は貴海を見るが、書館で会ったときよりも温かい目を向けられる。動きに感情が加わったのはファレンの考えを知っていたためのようだ。きさらや衛や七日もこの遊びに参加することが微笑ましかったのだろう。
「貴海先輩。これも勝負なんですか」
「ファレンがお膳立てしてくれた第一勝負といったところだな。きさらさんも乗るか」
「あら何を?」
 ゆったりと髪を風に揺らさせながら振り向いたきさらに貴海は書館を示す。
「あの館へ入る権利だな」
「興味深いですね。とりあえず乗りましょう」
「そろそろ始めるぞ。丸い線を引いておいたから並んでくれ」
 貴海と由為ときさらは赤い花の近くまで下がり、真ん中にファレンが立って、その少し後ろに七日と衛が並んだ。
「開始だ!」
 ファレンの声が響き渡る。そのまま背を向けて、ファレンは真っ直ぐに通路を駆けだした。由為も追いかけようとしたが途中で気付く。
「同じ陣営ならどう勝負するんですか」
「先に花を盗ったほうが勝ちだな」
 言って、貴海は焦らずに進んでいく。由為も走り出すが、目の前には七日が立ちふさがった。
「失礼! って、あだ!?」
 由為は七日の脇を通り抜けようとしたが瞬撃された。赤い花を手にしたまま、由為に手を伸ばしながら信じられないといった顔で見られる。
 大分恥ずかしかった。
 由為は七日を甘く見ていたわけではなく、七日に甘く見られてないのもよかったけど。一撃で転がされるのを見られるのは気まずかった。
「あの、弱すぎじゃない」
「弱いです」
 素直に告白した。
 由為は喧嘩も立ち会いもまともにできず、此岸の友人たちにも、それを理由に彼岸へ行くのを心配されていた。道具を向けたり、拳による戯れや練習だと分かっていても、人に手を上げることが由為にはどうしてもできない。七日に討ち取られたときのように思考が止まり、身体も動かなくなる。
 地面に腰を下ろしたままでいると七日に手をつかまれた。ぐい、と引き起こされる。
「もう一回」
 言われた響きに、これまでの警戒がなかった。小さな子が歩く練習をするときの大人のような優しさがある。
 由為はもう一度だけ七日を追い越そうとした。

 一瞬だけ、七日と由為を横目で見たら鋭い太刀筋が返ってくる。
「あの子たちが心配か」
「はい」
「そうか」
 貴海はまた青い花を衛に向ける。先手を避けると重い一撃が振り下ろされた。同じ花を持っているのに力の込め方の違いか、貴海は鋭く響く攻撃を当ててくる。
 衛は此岸でも体術の訓練を受けてきた。だが、貴海はこれまで相手にしてきた何者とも違っている。動きが全て読まれているように、衛の攻め手は僅かに避けられて、手加減して受け手を入れられていた。自分から攻めるようになった貴海は相当手強いだろうに、まだ見せてもらえない。
「強いですね」
「そうでもない。君は、正直な振りだが」
 貴海は一歩下がった。衛は今度こそ貴海から一撃が来るかと身構える。
「はははははははは!」
「え?」
 駆け抜けたかけ声に気をとられた。
 勝手に身体が動く。ファレンが近くを走って通り抜けて、きさらがその後を追いかけていた。
「ふぁれ、ん、さん! もう少し! 手加減を!」
「してやるものか!」
 そうして花園の通路を追いかけあうファレンときさらがいた。
「楽しそうだろう」
「はい」
「いいことだ。思っていたより、ファレンが楽しそうで」
 ファレンを見つめる貴海の目を見ようとして、逸らす。衛は貴海の目を直視してはいけない気がした。
「あの、貴海さん」
「どうかしたか」
「……笑うのは苦手ですか」
「苦手だな。七日から『貴海先輩の笑顔はとてつもなくあくどい』とまで言われたことがある」
 衛は苦笑した。貴海が駆け出したあとに足を速めて強引に進路を遮ると、赤い花を構えた。
「行かせません。あと、お一つ聞きたいことが」
「なんだ」
「彼岸の花はどうして打たれ強いのですか?」
 受けることも攻めることもできる彼岸の花のしなやかさは此岸にはなかったものだ。尋ねると、貴海は答える。
「彼岸の特権だ。ある種の改良をしている」
「ありがとうございます」
 衛が考えていたとおり、彼岸の花は此岸と違って改造することができる。
 ここに来たのは間違いではなかった。
 衛は確信して、再び貴海に斬りかかっていく。


 風のように走るファレンと追いかけるきさら、少しだけ聞こえた衛と貴海の会話に七日はこぼれた、という調子で言った。
「大人って大変なんだね」
「そうだなあ。で、七日さん。もう一回だけ付き合ってください」
「いやだよ。私が勝つもの」
 由為は七日に花を向けることしかできなかった。そのたびに七日の一撃がぺしぺしと由為を叩くものだから、悪いことをしている気分になる。
 不思議な人だ、と七日は由為への評価が変わっていくのを感じていた。
 最初は此岸から来た愛し愛されただけの恵まれた少年だと思って、絶対に仲良くはならないと決めていた。七日の意地だったが、由為はそんな態度を気にせずに接してくれている。
 いまは貴海が由為は剣をとれないと見抜いた理由がよくわかった。由為は人を傷つけられない。自分や大切な人を守るためであっても。
 戦えない強さというものを由為から感じていた。覚悟が無いのとは違う。
 由為は戦わないことを選択した。
「七日さん! ファレンさんが貴海さんに狙われた」
「はーい」
 衛の相手をしていた貴海だが、ファレンの息が切れる頃を狙って動いたのだろう。迫ってくる貴海に七日は下から仕掛けた。よけられる。貴海は軸を取り戻しながら確認してくる。
「由為はどうだった」
「すごく弱かったよ。でも、悪くない」
 率直な感想を言うと貴海が笑う。善良になど全く見えない、不器用な笑顔から、今日の貴海の挙動がおかしい理由を七日は悟った。
 ファレンと相談して決めたのか。提案に乗っかったのかはわからないが、二人は少しずつ此岸と彼岸の人たちの距離を縮めたくて、こんな遊びを始めたのだろう。
「俺をつかまえられるか!」
「足、速いです……!」
 追いかけていたきさらが立ち止まり、大きく呼吸をする。
 りいん、という鐘が鳴った。あらかじめファレンが用意していたのだろう音が響くと、息は切らせているが、余裕そうなファレンが宣言する。
「赤い花の勝利!」
「たかうみせんぱーい。これって俺たちの勝負は」
「引き分けだな」
 何かしているらしい由為と貴海がそんな会話をしていた。今回、盗人側の人は振り回されて本当に大変だったと七日は思う。
 ファレンを見ると器用に片方の目を閉じられた。
 やっぱり、目的はこれだったのかな。
 七日の中で此岸の人へのわだかまりが少しだけ薄れていく。ほんの、少しだけ。

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