継続者だって仕事する!

 コーネル・リヴァイバルには婚約者がいる。
 緩やかに長い薄茶の髪に緑色の瞳、きらめくかんばせといった恋する乙女を詰め合わせたような少女の婚約者はキリア・ファーマインという青年だった。薄墨のような黒髪と鋭い青い目にやや焼けた肌が、直情的な彼の性格を体現している。
 コーネルはキリアが好きだ。
 だからといって、キリアもコーネルを好きだとは限らないのに。
「ああ、これはなんて―――」
 爽やかに、桜色の髪の女性に話しかけているキリアの笑顔を見て逃げ出してしまった。
 彼のあんな顔はいままで見たことがなかったから。

 都市学園メイルイ。
 学園を中心とした都市として整備するのではなく、過疎化の進んだ都市を一つの学園に変えてしまった。それが都市学園メイルイだ。メイルイのある都市はユレルトーといい、ユレルトーのある国は深夜国レノベリオンといった。
 メイルイには毎日、違う講師が訪れる。内から水が湧き出ないのならば外部から汲んでくるしかないという姿勢で、多様な人材を「螺旋宮」から集めている話は有名だ。
 今日の授業はその螺旋宮に関わる話だとコーネルは眠い頭で聞いていた。いつもならば隣に陣取っているはずのキリアがいないことに友人達からはひどく心配されたが、それも弦楽器が掻き鳴らされるように聞こえてしまうほど、すり減っていた。
 昨日の夕方に、自分以外の女性とあんなに楽しそうに話をしていた婚約者を今朝になってにこやかに迎えいれるなんてできますか。
 それなのに、真後ろにはいるし。怒っていることはわかっているのに、どうして怒っているのかはわからない時のキリアの癖なのは知っている。キリアは拗ねられたり怒られたりすると、すぐに後ろに立って黙り続ける。自分から聞いてくれたらきちんと怒れるのに。
 そうしているあいだに講師がやってくる。現れた女性を見てコーネルの目が見開かれた。
 桜色の髪は動きに合わせて上品に揺れ動き、金色の瞳に緑の光彩が真っ直ぐに走る猫のような目はぐるりと教室を見渡した。七階建てになっている部屋を楽しそうに眺めている。服装は落ち着いた色合いの深紅のワンピースだった。黒い手袋をはめている。
「俺の名はファレン。教師としては、まあ偉そうな話し振りだが容赦してくれと言うしかないな。代わりに滅多に聞く機会のないだろう、ここの派遣元である螺旋宮について説明しよう。ノートだろうがメモだろうが、頭に入るのならば睡眠学習をしてくれたってかまわない。まあ、楽にしてくれ」
 少女達の高く響くものとは違う、たおやかだが芯の感じさせる声だった。例えるのならば雨を裂いていた鳥を安らがせる木々の葉擦れの音だ。眠くなる。ただでさえ、昨日は寝不足だったのに。恨めしくファレンと名乗った女性をにらみつけていたら、にっこりと微笑まれた。
 敵意の無さが怖い。
 ファレンは最後に教室を一巡してから、話を始めた。
 螺旋宮は深海から天空まで百階ほどある建築物で、一夜の宿として利用する存在よりも長期の滞在客が圧倒的に多い。そのため客の品質も多種多様かつ学のある存在ばかりだ。言語領域から非言語領海に渡ることを目的とした存在も、よく見かける。
 そこまで、ノートに犬が散歩した痕のような記録をつけてから考える。言語領域とはコーネルたちがある深夜国も属している、言語が存在するところのことだ。その単語が出てくるたびに一緒に聞くが、非言語領海といった場所は想像がつかない。こうして頭に浮かぶ言葉もなしに、どうやって意思疎通を成り立たせるのだろう。
 ファレンの話は続いていくが、話せるところまで話したとなると、休憩が入った。各自が水分を摂っているあいだ、青い髪の青年が入ってファレンに水筒を渡している。二人とも異郷の者だとはすぐに察せられた。見かけたことがない、といった理由ではなく二人がまとう空気が全く同じだったからだ。
 手に入らない何かを、一見は優雅に、だけど懸命に追い求めている。
「さて。質問はあるか?」
 いくつか手が上がるのが、六階に座っているコーネルにも見える。どうせなら七階に座ったらキリアに後ろに立たれることがなかったことに気付くが、もう遅い。それにどうでもよかった。
 眠い。
 目を閉じそうになるところで肩を叩かれる。不機嫌なまま顔を上げると、コーネルといるあいだはつまらなさそうな表情ばかりしている、キリアの顔があった。悲鳴を上げかけるが、なんとかこらえる。
 ファレンと生徒の歓談は進んでいた。
「どうしてファレン先生は螺旋宮にいるんですか?」
「んー。一人、ある男を捜していてな。そこの宿として便利だからだ」
 艶めいた少女の悲鳴が聞こえると苦笑された。
「君たちが考えるほどロマンティックなものではないよ。その男は迷惑の塊みたいなものでな。俺と会うとしたら滅ぶ世界でしか再会できないという、厄介な物語の呪いをかけられている」
 場が静まった。
 ファレンはちょうど良いとばかりに、頷いて話を進めていく。それは、コーネルが疑問に思った非言語領海について触れることだった。
「いま、わからないと思っただろう。どうして俺とその男が再会できる世界は滅ぶ世界でしかないのかと。俺も正直その辺りの都合はよくわからない。解明されていないことだ。つまりは、言語化がされていないということだよ」
 言語化はあらゆる概念の説明を目的としている、と付け足された。同時にそれは過剰な言語を宗教していることでもあると。人は神を捨てられたと慢心はできても、言語は捨てられなかった。
「君たちの中で先ほど、言語のない世界なんて想像のつかない。それは野蛮な場所ではないかという意見を上げた子もいたな。正直、文字も言語もないからといって野蛮とは限らないさ。言語の利点が共有化と継続化だとしたら、言語の欠点は孤立化と断絶化につながる。いま俺の言いたいことが予想できた人」
「はい」
 響いたのは、キリアの声だった。ファレンは黙ることにより先を促す。
「言葉は特定の存在同士を結びつけるが、それ以外の存在を消去する」
「大体はそういうことだな。いまは俺とキリア・ファーマインが同じ、もしくは似た感覚を共有できているが、理解できないものは弾かれる。さて、こんな俺たちの考えが通じない人はどこだ」
 まばらに手が挙がるが、コーネルは挙げなかった。代わりに後ろにささやきかける。
「昨日、あの人と話していたことって、このこと?」
「昨日……? あ、ああ。いや。違う」
 どっちなのよ。
「そんなカンニングのようなことをするか」
 ふん、と顔をそらされたことが腹立たしくて、コーネルはしばらく話しかけないことにした。どうせ話しかけてきたからコーネルがいま感じている苦痛もささやかな物だと思っているのだ。
 あ。そうか。
 コーネルは先ほどは理解できなかった、言語の共有化、継続化、孤立化、断絶化について少し解読することができた。
 言葉にしたことにより、コーネルとキリアは疑問を共有できた。同時にコーネルの怒りはキリアにとって孤立したことになり、不安から断絶された。しかしコーネル自身の怒りは継続している。
 これも言葉があってこそ考えられることだが、言葉は無しに気持ちだけで処理していくとしたら。それはあながち、乱暴な世界ではない。暴力でしか表せないわけではないのだ。言葉にできない人の気持ちというものは。
 伝わった気になって、その気持ちが続いた気になって。でも実際は自分だけが抱えていて最後には消えてしまうとしたら。それこそ残酷ではないか。
「そろそろ授業はおしまいだが。結論として、俺は言語はある方が便利だと思うよ。そして便利だからこそ使いこなそうとするのが人の常だ。全く、神秘とやらはいつまで残ってくれるのだろうな」
 最後の言葉はいままでの軽妙さと違い、わずかな疲労を感じさせた。
 ファレンは優雅にワンピースの裾を持ち上げると一礼をして、教室を出ていく。
 珍しい授業に生徒たちは盛り上がっていたが、コーネルは限界だった。机に伏す。その肩を、キリアに何度も揺さぶられながら。
 女子生徒の一人に眠っていると指摘されてから、キリアの手はようやく納まる。
「キリア君、本当にコーネルのこと好きね」
「……まあ、な」
「でも、昨日のファレン先生と何の話をしていたんだ?」
 隣の級友にせっつかれると、キリアは渋々といった様子で話し出す。よほど言いたくないのか、コーネルを見つめていた。
「……美味しい花の見分け方」
 もう一度聞き返された。

 ファレンが腕を伸ばしながら教室を出ると、現時点の相棒である青年が待っていた。青い髪に赤い吊り目の鋭い伊達男といった風情をしている。ファレンの好みの顔ではない。
「カクヤ。待たせたな」
「大丈夫だ。結構、俺も興味深く聞かせてもらった」
「つまり収穫はなしだな」
 ファレンの捜す相手を見つけるための条件はまだ諦めのつく前提条件だから良い。世界が滅ぶなんてこと、そうそう何度も起きてたまるものか。
 だが、カクヤとカクヤの捜す少女に定められた条件はそれに比べたら遙かに軽い。とはいっても、比べたらといったところかもしれない。
 カクヤはマイペースなところが強いのか、それとも少女の生存を信じているのか呑気に笑う。
「待つよ。サレトナが、俺を呼んでくれるまで」
「厄介なものだな。相手が危地に陥った時にしか再会できない物語の都合というものも」
 今度は肩をすくめられた。
 ファレンとカクヤは言語領域の和護と契約して、言語領域と非言語化領海に存在する物語を渡ることを許された「継続者」だ。本来ならば物語は一度体験したら、記憶が途切れるはずだが、継続者となれば話が違う。世界の意思に沿う形で記憶と経験が継続される。
 とはいえ、世界の沿う形であるから常に強くいられるわけではない。ファレンに関しては花しか食べられないのと基本的に物語に対して無力であるスタンスは変わらないままだ。
 カクヤに関しては、基本が戦える青年だからか、より一層の枷がついている。
「さてと。次の仕事に行くか?」
「その前に、ファレンさんが言ってた花ラーメン食べたい。いいなー。サレトナにも食べさせたいな-」
「惚けろ、惚けろ。ファレンさんは寛大だから聞いてやる」
 そうしてしばらく、ファレンはカクヤから「サレトナの可愛かった仕草」を聞かされることになるのだが、思っていたより飽きなかった。
 語り続ける限りつながることができる。
 だから、ファレンはカクヤからサレトナの話をよく聞くことにした。そうした方が良いとカクヤの仲間達に頼まれたというのもある。
 いくつも、いくつも指折り数えながら少女の愛らしい点について語る青年を見つめるファレンは知っていた。
 ここにいるべきは自分ではなかったのだ。

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