花園の墓守 貴海編第四章『最後の夜、最後の朝』

 最後の夜になる。
 貴海とファレンは借宿で久々に二人きりになったことに、揃って安堵の息を吐いた。長々と吐き出したあとにファレンは寝台に座っている貴海の胸へもたれかかる。うりうりと頬をこすりつけてくるのを微笑みながら眺め、抱きしめた。
「ついに明日か」
「ああ。明日だ。由為は滅びを止められるか、衛は滅びから逃れられるか。俺たちは滅ぼせるか。それぞれ、正念場だ」
 突き合わせた拳を思い出す。
 由為はおそらくやりとげようとするだろうが、滅びを回避することが可能かどうかはわからない。それでも、最後まであきらめないだろう。
 衛は一番大変だ。なにせ、水上をはじめとする四人の統括管理者を説得しなくてはならない。年長で権力も癖もある彼らは貴海の案を受け入れるだろうか。ただ成功することを信じるばかりだ。
 癒やしの一環として貴海がファレンの髪を梳いていると言われる。
「貴海は、生まれたときから自分が世界を滅ぼす存在だと、わかっていたのだな」
「一度だけした話だが。よく覚えているな」
 言われたとおり、物心つく前から貴海は妄想じみた事実を抱えていた。自分は滅びを宿した存在だと。目の前に広がる人の笑顔、温かなやりとり、花の可憐さ、文字の可能性。全てを奪って、捨てる。
 だから貴海は此岸で生まれたが、此岸の誰ともなじめなかった。いつも曖昧な微笑を浮かべてやりすごしていたので興味を持たれることなくやり過ごしていた。それでよかった。いつか壊すことが決まっている花瓶をわざわざ飾っていたくない。
 此岸にいた頃の貴海の望みといえば、滅びる前に自分がいなくなることだった。だが、彼岸に渡って変わった。
「君に出逢う前は、自分すらいらなかったのに。俺は随分と欲深くなったものだよ」
「いいことだ」
「うん。俺は、いまの俺でいられることに満足している。そして、君を目覚めさせたことを後悔しないために、いま言わせてくれ」
 少しだけ距離を作る。貴海はファレンを見下ろしながら、長いあいだ伏せていた秘密を打ち明けた。
「誰にも認められない君にだけ、全てを救える可能性がある。此岸と彼岸に乞われた母なる物語になれるんだ」
 それはファレンの父であるノクシスから教えられたこと。
 物語があって字に分かれて此岸と彼岸が出来たのではない。まず此岸と彼岸が存在していたが、二つの岸には、はじめ何もなかった。
「静寂は永遠に続くと思われたが、あるとき母なる物語が発生した。さて、母とは何か。簡単に決めるならば子を持つ存在だ。此岸と彼岸は子どもであったため、望み、自分たちの後に現れた母なる物語を進んで受け入れた」
 母なる物語は最初に此岸と彼岸へ花と人を与えた。人は花を成長するための糧として扱った。次に与えられたのは字で、此岸の人は字を道具として使い、彼岸の人は物語として崇めることを選んだ。どちらも間違いではない。
 此岸の人はやがて、母からの自立を望む。母なる物語は此岸の選択を受け入れた。最後に己の半分である字を生み出す部分を譲り渡し、此岸と断絶した。
「それが此岸に物語がなく、新字の源がある理由か」
「ああ。そして、母なる物語は彼岸に移り、ささやかに生きていた。彼岸の人も母なる物語が生み出す新しい物語と共存していた。どちらの岸にも交流はなかったが」
「幸せだったんだな」
 噛みしめるように呟いたファレンの後頭部に手を添える。
 此岸も彼岸も確かに幸せだったのだろう。人と生きる此岸と、物語と生きる彼岸。まだそこに悲劇はなかった。これからもないはずだった。
「調和された世界に悲劇が起きたのは、此岸の人が字を選定し始めてからだ。母なる物語が分けたもの、それが生み出す字をそのまま利用していたら良かったのだが、此岸の人は有用な字と不要な字を見つけてしまった。そして不要な字を排除していく。結果として、字として生まれながら必要とされなかった字、花影が生まれるようになった。花影は不要、という物語を抱えて生まれた」
「花影は此岸の人によって、生まれてしまったのか。それは複雑な心境になるだろう」
「ああ。勝手に不要とされて、行き場をなくされて。花影の立場ならば此岸を侵略したくもなるな」
 彼岸で穏やかに暮らして被害に遭っていないから、言えることにも聞こえるのは承知だ。ただ此岸は花影を生み出した責任を払う必要もあったというのにほとんど彼岸へ丸投げしているから貴海としては心境は花影に寄る。
 続きを求められてまた話を始めた。
「徐々に花影に浸食された此岸は彼岸へ助けを求めた。結果、彼岸が花影から此岸を守ることになり、無私の人が現れて、此岸と彼岸は険悪になって終わった。そして衛たちが花影の葬儀を執り行ってくれた」
「そのあいだに母なる物語はどうなったんだ」
 肝心なところに戻ってくる。
「此岸へ断絶した半身が消費されるにつれて、花影が生まれては葬られるにつれて、母なる物語も衰弱していった。それを案じた彼岸の一人が決めたんだ。母なる物語との交配を。新たなる物語の子を生みだすことを」
 彼岸の人と母なる物語は互いの最も大切な字を交わして、交わして、紡いでいきノクシスへと至りファレンという物語の終わりを生み出した。
 ファレン。この話をしなかったほうが良かっただろうか。すぐ目の前にいる愛しい物語の顔を真っ直ぐに見られずにいて顔を伏せていると、頬に手を添えられた。
 貴海の紫晶の瞳にファレンが映る。朝起きたとき、夜眠る前、隣にいる全ての瞬間でそうであるように笑っていた。何も言えなくなる笑顔を見つめていると、添えられていた手が離れる。
「俺は物語の終わりだから、また全てを始められる可能性を秘めているということだな」
「そうだよ。あとはファレンが決めるといい。全てを救う可能性にかけるかどうか」
「あはは、悪いな。その答えは決まっている」
 簡単に言うものだから拍子抜けした。
 ファレンは微笑を絶やさないまま言いきる。
「俺は母なる物語にはならない。此岸も彼岸も救わない。だって、俺は貴海と生きる物語だもの。此岸と彼岸の最期の時まで貴海の傍にいる」
「君って物語は」
 嬉しくぼやきながらファレンを強く、壊さないように抱きしめた。
 最期まで傍にいよう。たとえこれから何があろうとも。何がおきようとも。
 二人でずっと生きてきたのだから。

 最後の朝。光に満ちていた此岸もいまは暗色のカーテンに覆われている。
 貴海は寝台から起き上がると洗顔、着替え、朝食をすませてまたファレンが眠っている部屋に戻った。穏やかな寝顔に安心しつつ、衛は水上たちを上手く説得できただろうか。由為は新字の源で何に出会うのかということを考えていた。
 自分がすることを考えるとまず影生に会わなくてはならない。ファレンを起こして弦を呼びに行くことにするが、その前に扉が叩かれた。
 ファレンを起こす。口の前に人さし指を立てて、外の様子を見に行くと告げた。
 扉を開けた先に立っていたのは影生と弦だった。玄関で待たせてファレンに事情を説明し、また玄関に戻る。由為が使っていた部屋に案内した。
「茶を出せなくてすまないな」
「いいってことよ。で、雑把には弦から聞いたが。本気で彼岸をこっちのやつらにやるつおもりか?」
「ああ。彼岸の状況は」
「いつもと変わらねえよ。こっちの陰気さに比べたらはるかに上等だ」
 移住の環境は整っているようだ。
 貴海は衛に提示した話をまた影生に繰り返す。弦も聞き直しているが表情には呆れが見える。
「貴海さん。あんた、人が悪いところもあるがつくづくお人好しだよな」
「つまり」
「乗ってやるよ。どうせ今日、こっちが滅びるなら俺たちも同じ道を辿る。結局生まれは此岸だからな」
 そう言って笑う影生が心から頼もしい。花嬢と影君は良い贈り物を遺してくれた。
 話を続けるために口を開きかける。
「すまない。寝ぼけていた」
 身支度を終えたファレンが慌ててやって来た。空いている貴海の右側の椅子に腰掛ける。「おはよう、ファレン」
「ああ。おはよう」
「物語さまは随分と元気そうだな」
 さっと話に入りこんできた影生にファレンは意外という表情を浮かべる。
「影生。俺が分かるのか」
「花影をなめないでくださいー。んで、貴海さんも嬉しそうだな」
 口元を緩ませたまま頷く。今日、影生が気付いてくれるまでファレンは誰にも認識されなかった。一人でも、ファレンを認めてくれる存在が増えるのはありがたい。
 影生と貴海とファレンのやりとりに口を挟まなかった弦が、話し出す。
「いまのここは中立地帯だから手を出されませんけど、一歩出たら水上さんの手のものが襲いかかってきますからね。あと、七日さんには得物渡しておきましたから。これからどうします?」
「ありがとう、弦」
 礼を述べておくと一気に弦の顔が緩んだ。
「まずは衛との合流だ。此岸の人たち、管理者たちの判断によって俺たちがすることは分かれる。その前に身の危険が起きるならば遠慮しつつ無力化。……力を放棄した此岸が、暴力を手に取るとは、なんともいえないな」
「ま、追い詰められたらしゃーなし。とりあえず今回だけで、大がかりな変革を二回するんだな」
 立ち上がる影生の言うとおりだ。
 最後まで此岸にいることに此岸の人が拘らないならば、滅びた彼岸へ連れていくのに一回。滅びた彼岸から現在の彼岸まで書館を運ぶのに一回だ。できるのは、貴海、影生、弦、頼めたら由為。最後の少年はあまりあてにしておかないのを前提にして話を進める。
 流れの確認も終えた後に、弦を先頭に影生、ファレンの手をつかんでいる貴海といった順番で借宿を出て行く。
 直後に呼び止められた。
 貴海と弦は躊躇いなく、声の主である是人と直を無力化する。あまりやりすぎると敵意を買って話が進まなくなるので、気をつけつつ、貴海は地面に転がった是人に手を伸ばした。「さて。俺たちにどういった用事だ?」
 いまの貴海の顔はあくどくないからか、悔しがりつつも是人たちは話してくれた。
 水上の命によって衛は捕まった。
「どうするんだよ。箱は移動させられても、中身がなかったら仕方ないぜ」
 影生の言うことはもっともだった。衛が此岸の人たちを誘導してくれないと、変革を使えない。効率の悪い手段として、一人ずつ見つけて強制的に変革に巻き込むものもあるが、それは貴海の意にそぐわなかった。
 自分の意思でどう滅ぶかの選択を貴海は此岸の人にさせたい。
「是人さん、直さん。今回は俺を襲撃するために来たのではないんだな。衛を助けてほしくて、声をかけたんだな」
 改めて確認する。
「そうだよ。俺たちじゃ、こうして助けを呼ぶしかできないから。……お願いだ、衛さんを助けてください」
「頭を下げられて大変申し訳ないがそれをするのは君たちであって俺ではない」
「また、お前はそう言っていろいろ誤解させるんだからなあ」
 ファレンの微笑ましい発言につい、視線をやってしまう。貴海の目には笑っているファレンがいるが影生以外の他のものにはただ虚空に視線を動かしただけにしかならない。
 話と目線を戻す。
「是人さん。あなたのほうが力があるから、弦と一緒に衛さんを連れ出してもらいたい。直さんは、集められる此岸の人を、中央の管理塔前の広場へ連れてきてくれ。まだ衛の勝負に勝ちの目はあるから。影生は俺と一緒に動いて、状況に応じてしてもらいたいことを頼むから」
「貴海さん。何をするんですか?」
 弦は問う。
 貴海は答える。
「なに、些細な、だがあんまり良くないことをするだけさ」
 いつものあくどい笑みが、一緒に告げた内容に説得力を与えたのか、この場にいる誰からも具体的な内容には触れられなかった。
「さあ、此岸最後の賭けの始まりだ!」
 手を前に出して宣言する。反応してか、全員ちらばった。
 影生に、貴海に、ファレンと場に残る。手を前に出したままの貴海を見ながらファレンは言った。
「格好良いだろ。貴海は」
「のろけは後でいただくから、動こうぜ」
「そうだな」
 まずは衛の自由を取り戻さないといけない。

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