悪魔は小説よりも奇でいるらしく

 悪魔は厳粛にベルを鳴らす。
 その音が届いたのか、調律の弦亭の扉は屈託なく開かれた。すでに何が来るのかを察しているのならば愚鈍な対応であり、何も知らないのであれば愚者の反応だ。どちらにせよ、自分が相手を利用することに変わりはない。
 乳白色の悪魔であるリンカーは蒼然に染め上げられた法服を正して直立する。最初に現れるのは宿の主か、それとも。
「いらっしゃい。君が、銀鈴檻を志望しているリンカー・イグセストだね?」
 見事な桃簾石の色の髪をサイドテールにした少女が、細い目で真っ直ぐリンカーを見上げてくる。その背丈は百八十センチメートルを越えるリンカーの胸ほどしかない。口元は昼寝している猫の緩み方だ。
「私はハシン・ラスター。調律の弦亭の特客である『銀鈴檻』のリーダーさ。用事があるのなら中に入って。間違いなら、すぐに出てって。面接希望者が多くて困ってるんだ」
「あ、いえ。入れて……ください」
 ならば入るが良いとハシンは振り向かずに中に招く。リンカーは大人しく後に続いた。
 調律の弦亭の入り口にはハシンの身長ほどもあるダンビュライトで飾られた乙女の像が置かれている。さながら、宿に入る客を見定める役を担っていた。
 フロントまで続く絨毯は赤く靴の先まで沈む。左側には両腕を広げてくつろげるソファがテーブルを中心にし、二つほど対になるように置かれていた。その奥には階段があるとすると、右側に続く廊下の先には食堂や応接間が用意されていそうだ。
 簡単な間取りを頭に描いたリンカーだったが、ハシンはすでに右の廊下の南側の部屋から顔を覗かせている。足を速めて、室内に入った。
 応接間と思わしき部屋には一人がけの椅子が二つ、ローテーブルを挟んで奥に三人がけのソファがある。ハシンは奥にある青色のソファに座っていた。さらに後ろには昼の光が差し込んでくる大きな窓がある。カーテンは品の良い緑色だ。
 ハシンに手で促されてから、リンカーは下座の扉から離れた右側に腰を下ろす。両脚を閉じて手は膝の上に置いた。
 最初の挨拶以降、ハシンは口を閉ざしたままだ。緩んでいた口元も引き結ばれ、厳しい質問内容が出てくることは予想できる。
 「銀鈴檻」は絢都に数多ある宿の中でも智謀の邸と呼ばれる「調律の弦亭」で、四代も「特客」を務めているという、由緒の育ちつつある集団だ。今代の銀鈴檻も歴史ある治安維持活動や乗客の接遇において名に恥じない活躍を見せていると聞いていた。
 それでもリンカーは銀鈴檻に属したい理由があり、また役立てる自負もある。
 どのような質問でも完璧に返答してみせる。覚悟を決めて指先に力を込めた。
「さて。リンカー・イグセスト。言ってしまうともう君はここで合格なんだよね」
 今代の銀鈴檻、最年少リーダ-である、ハシンはにこやかにそう言った。思わず「そうなんですね」と返してしまいそうになる何気なさだった。
 だがリンカーはそう言わない。
「なぜ、ですか?」
「え? もう君しかいないと決めていたから、いまさら辞退されると困るなあ。もう契約書も作ってるし」
 ほら、と気軽に見せられた契約書には確かに職務規則、待遇そしてハシンの名前が並んでいるため、あとはリンカーの署名だけが待ち望まれている。
 あまりにもあっさりとした決定事項に、他に希望者がいるという話が嘘のようだ。だが、実際に銀鈴檻に応募を志望している青年たちを何人も見た。どうして自分だけが何も試されずに選ばれたのだろう。
 リンカーは足を崩さないまま、右手の人差し指と中指を額に当てて尋ねる。
「私の履歴書は読みましたか」
「読んだよ。一秒小説かと思った。だって、種族の欄は悪魔なのに職業は聖職者なんだもん」
 あっさり話してくれる。それを履歴書に書いたのはリンカー自身ではあるが。
 銀鈴檻の募集に応じたリンカーは、悪魔であり爛市の上にある都市教会に属する異端審問官だ。このことは自身を推挙してくれた司教しか知らず、その司教もいまはいない。
 自分がハシンに暴かなければ誰も知らずに終わっていたことだが、属してから自身の歪を明かすよりも先に打ち明けた方が得策だと今回は考えた。そしてそれは、功を奏しているようだ。
 ハシンという少女は外見と振る舞いのいとけなさに反し、勘が鋭いと聞いていた。筋が通っていれば道理も引っ込ませるし、道理が通るのならば筋も曲げる。実際に会ってみると想像以上の異分子だ。
「まさか、悪魔が馬鹿正直に『悪魔です。聖職者しています』なんて書くことがあるとは流石に思わなかったけどね。面白かったからありだよ」
「お褒めにあずかり光栄です。それくらいのインパクトがないと受け入れてもらえないかと思いまして」
「まあ、私の代の銀鈴檻はすでに竜人が一人、奇人が一人、常識人が一人に苦労人が一人いるし」
 その列に並べられた後ろの二人は、哀れな気がした。だが言わない。
「だから、まずい奴が一人くらい入っても大丈夫だよ」
「そんな煮ても焼いても食べられないみたいに言わないでください」
「悪魔って食べられるの?」
 しばし考える。悪魔は共食いはしないが、食べられた悪魔が過去にはいると聞いている。
「食べてもいいですが発狂するらしいです」
「ふうん。まあ、私は食べないからいいけど。合格」
 ハシンはテーブルの上に履歴書を置いて、リンカーへと差し出した。履歴書の保管をする気がないのか。それともリンカーの秘密を慮ってくれるという意思表示か、どちらかといえば後者の気がした。リンカーも履歴書を鞄にしまう。
 ハシンは軽やかに立ち上がると、ふんわりとした髪を揺らしながら言う。
「悪魔でもいいんじゃない? 悪いことをよく知っているなら、ばんばか裁きなよ」
「……貴方たちに害を及ぼすとは」
 その気は無い。だが、その機が来たら起こせる。匂わせながら油断を戒めるために口にした言葉は誤りだったようだ。
 リンカーはその時、生きていて四度目の恐怖を味わった。
「私を何だと思っているのかな?」
 開かれない目の奥に宿る深淵に這い寄られ、自分がたかが悪魔でしかないと悟る。人を堕落し安穏に浸らせる程度の才しかない、矮小な生物だ。
「失礼しました」
「ま、何かしでかしたらアルトーにでも尻尾百叩きしてもらうから。基本的には信頼しているよ」
 だってね。
 ハシンが口にした後に扉がノックされる。
「入っていいよ」
「失礼するわね。銀鈴檻の、最後の一人が決まったって聞いたけど」
 知性を感じさせる美女は、そうして姿を現した。
 長い癖のある青緑の髪に碧眼の見覚えのある姿にリンカーは何度も瞬きをしてしまう。それに女性は、不思議そうに微笑を浮かべて首をかしげている。
 彼女には、ネイションにはやっぱりリンカーの記憶は欠片もないようだった。それは喜ばしいことだから、こみ上げる目尻の熱を抑えて手を差し出した。
「リンカー・イグセストと言います。これでも、異端審問官をしています」
「はじめまして。私はネイション・レーゲル。よろしくね」
 触れた手のひらはかつて過ぎていった白い羽根の温もりを思い出させてくれた。
 悪魔としての、聖職者としての、異端審問官としてのリンカーはいまだある。だが、これからは銀鈴檻の仲間にもなった。
 かつて別れた天使と過ごす新しい時間はどういったものになるだろう。せめて喜びで終わるといいと、リンカーは願った。
 その光景を見ていたハシンが呟くのを聞き留めながら。
「ネイションがいる限りは君は、大丈夫だよ」
 はてさて、彼女はどこまで知っているのだろう。どちらにせよ頼りになりそうなリーダーだ。




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