奏で始めて新たな音に出会うから 第三話

 朝の十時というのは、学生や労働者にとっては準備運動を終えた段階にあたるだろう。これから本格的に勉学や業務に取り掛かる。
しかし、休日という優雅を堪能できる存在にとっては遅くもあり、早くもある時間になる。
 絢都アルスの沈黙の楽器亭にて、カクヤ、サレトナ、タトエの三人は朝食と身支度を済ませた。荷物の運搬や部屋の整理という下宿の準備も終わり、今日はアルスという街を知るために見て回る。
 三人はまず、宿長に勧められた通りに、東南にある商店街に向かうことにした。
「何か買いたいものとかあるのか?」
「新刊があったら買いたいわね。『砂の声で囁くから』という作品なんだけど、知ってる?」
 カクヤの質問にサレトナが答えた。けれど、サレトナの質問にカクヤは「知らないけど、どういう作品か」としか答えられなかった。サレトナは何も言わずに微笑む。またも追求できないサレトナの秘密が生まれた。
「ま、何かしらあるよね」
 タトエが場を取りなすように言った。
そうした会話を交えながら「皇帝通り」を通り、東の「金貨通り」へと曲がって歩いていくと、「英断商路」と呼ばれている商店街に到着する。英断商路の入り口にあたるところにはアーチがかけられていた。支柱には赤い実のついた樹の枝が巻かれ、上の看板には青い布がかけられている。布には黒や赤の宝石が縫い付けられていて、朝の光を注がれる度に輝いていた。
 英断商路に入ると、すでに開店している店もあれば、店主がまだ軒先に商品を並べている店もあった。のんびりとした空気が漂っていて、多忙になるのはこれからなのだろう。
 カクヤたちが最初に立ち止まった店は「籠水晶」という店だった。雑貨を主に扱っていると、立てられた黒板に書かれている。
 入店をすると、出迎えてきたのはけだるげな精霊族の女性だった。左目に泣きぼくろがある。
 精霊族は聖法、魔術に魔法といったものに長けた種だ。そのため、宙に浮かぶような雰囲気も店内で演出できているのだろう。
「自由に見ていって。ただ、狭い店内だから商品を壊さないでね」
 それだけ言うと店主はまた雑誌を読み始めた。
 カクヤは適当に商品を眺める。途中で飾られているノートが一冊で五ルルもしたのには驚いた。カクヤの街の商店では、ノートは一ルルで購入できる。試しにノートを手に取ってみると、紙のきめや白さから、これは五ルルでも当然だと思える代物だった。
 他にはメモを止める蝶の形をした針金細工や、香り高いオイルなどがある。秘伝のレシピという小冊子まで揃っていた。
 サレトナとタトエが足を止めているところに向かうと、ペンや鉛筆を見ているようだ。後ろから会話に加わる。
「いいものはあったのか?」
「ええ。夜色のペンを買っておこうと思って」
「へえ」
 それは珍しいな、という意味を込めるとタトエが説明を始める。
「魔術や魔法、聖法には対応色や連想といったものがあるからね。新しい技法を記す時は対応した色のペンとかだと込められる魔力や効果が増えるんだ」
「はあ」
 知ってはいるが、試したことがないことを言われる。
 カクヤの気のない返事に対して、サレトナから厳しい言葉が跳んできた。
「もうすこし気合を見せた方がいいわよ。カクヤは自分だけの聖歌とか考えないの?」
「すでにある歌ばかり唄ってきたからなあ」
「セイジュリオには自分で技法を作る授業があるんだから。なんであれ、考えられるようにならないと厳しいよ」
「はい」
 過酷な現実の一端と共にカクヤも自身に対応する色のペンを買うようにタトエから言われる。カクヤはペンの群れからいくつか手に取って、色を見てからサレトナと色違いの蒼いペンを選んだ。
 そのペンを選んだ時にサレトナが一瞬だけ、ペンを見比べてきた。サレトナが何に動揺したのかはカクヤにはわからないままだ。
タトエは察しているのか楽しそうだった。
 レジに持っていく。それぞれ会計をされて、ポイントカードと一緒におつりを渡される。一ルルで一ポイントとなり、五十ポイントで二ルルが引かれるため、なかなか得ではある。今度から必要な雑貨や文具は籠水晶を利用することに決めた。
 籠水晶を出た後は、三つの店を回った。マジックアイテムを扱う「海壁の一斗星」に、楽器店である「イノコード」、それと書店「鶴のかくりよ」をじっくりと眺めたが、結果として冷やかしになった。楽器店ではタトエが、書店ではサレトナがそれぞれ立ち止まって悩んでいた。見ている側としては「買えばよいのに」と思うのだが、いま購入してもこの後の行動に支障が出るので、買うのは次の機会にすると二人は決めたようだ。それでも、名残惜しそうだった。


第二章第四話



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