雨夜の月 3巻感想

感想

目次

第9話「贅沢」

 喪失した者は、間違えた者は、何も得てはいけないのか。

 奏音と咲希が映画を観た帰りに美容アシスタントの高倉さんに出会います。咲希を見た瞬間に、放っておけなくなった高倉さんがかけた言葉は咲希に新たな考えを気付かせました。
 今回の話のテーマは二つあります。タイトルにも書かれている「贅沢」、そして「偏見」です。私は今回の『雨夜の月』を読んで、「贅沢」と「偏見」は繋がっているのではないかと考えました。こちらについては最後に述べますので、一旦物語へ戻ります。
 奏音は字幕などで映画の台詞は分かっても、音響については聞くことができません。そこまで補助してもらいたいことを「贅沢」と言いました。咲希はそのことに違和感を抱きます。奏音がさらりと言ったため、余計に贅沢なことなのか、疑問を感じたのではないでしょうか。その辺りを流したりしない、咲希の感受性の高さは他者への配慮に繋がっていそうです。生育環境等によって、他者を優先しがちなところは良くも悪くも、ですが。咲希が本音を呑み込む場面は読んでいる私も辛くなります。
 『雨夜の月』は無駄な演出というものが本当にありません。風が強く吹いた一場面だけで、奏音の補聴器をつけていると気付かれたくないことと、高倉さんと咲希たちの出会いが繋がります。この流れは本当に美しいです。奏音は補聴器をつけています。その補聴器に気付かれたくないから髪を伸ばしていて、という話から風が吹いたことにより散らばった美容アシスタントの方のフライヤーを拾い、咲希がカットモデルを頼まれると見事に全ての要素が繋がっていくのです。美しい道具の繋げ方は見習いたいと私も強く思いました。
 そして、後半は咲希がカットモデルを受けることになるシーンです。髪を切りながら、さらりと切り込まれる女子だけの高等学校による恋愛の話が肝になります。この辺りも高倉さんがどの立場でいたのかが明言されておらず、もやりとさせるのが上手いです。同時に思い浮かぶのは、百合でも男性的な格好良い女の子と和やかな可愛らしい雰囲気の女性の組み合わせを見かけることがありますが、それも疑似恋愛のようだという違和感を形にさせられたことです。恋愛ではなくとも、能動的であったり、勝ち気な女性を「格好良い」と評する場面がありますが、それも「偏見」ではないかと改めて思い知らされます。
 そうして高倉さんのカットは終わり、咲希が帰るところで、また私に影響を与える描写がありました。「初恋の人が運命の人とは限らない」ということ。そして、

 「成就した恋だけが正しい訳でもない」(雨夜の月,2022.9,41p,講談社)

 恋とは、結果だけではなく、抱いた感情と辿った過程もまた大切なものであるのだと、打ちひしがれました。この言葉を伝えられるくずしろ先生は本当にすごいです。
 高倉さんと出会い、咲希が少しだけ前向きになれたことにほっとしつつ、最後に「贅沢」と「偏見」の繋がりについて書かせていただきます。
 他の人にとって当たり前のこと、それは奏音にとっては音を聞くことであり、咲希にとっては恋をすることだと私は受け止めています。ですが、奏音は「全ての音を健常者と同じく聞けるようになること」を、咲希は「同性である自分に恋をしてもらうこと」を贅沢だと考えています。本来は我慢することではないのに、奏音は聴覚障害者だから、咲希は恋愛は異性とするものだから、と考えて「贅沢」だと望む前に諦めていました。「偏見」を自分にも他人にも私たちは押しつけて、目前の障害を解消する努力を諦めています。
 ですが、今回の『雨夜の月』を読んで、まだ諦めたくないな、となりました。自分も、他者のことも。当たり前という偏見を、まずは放り投げて、贅沢な願いを叶えられるように行動していきたいです。

第10話「ハードル」

 膠着を破るための一手としての、信頼。

 咲希と奏音の父親が初めての挨拶をします。また、咲希の家に奏音が泊まりにくる一大イベントの前振りとなる回でもあります。
 前回にあたる九話が感情を大きく揺さぶる回であったためか、今回はさらっとした、つなぎのような印象を受けました。ですが、そのさらりとした中に「ハードル」というエピソードを挿入している点が物語に重みを与えています。こちらのバランス感覚が、読んでいて安心できます。
 そうして第十話の話になります。表紙の一枚絵で描かれているドレス姿の奏音が可愛いです。
 導入はいつもの奏音のプレハブで、髪を切った咲希とその姿の写真を撮る奏音が話している間に、奏音の父親である及川大鳴さんが出てきます。くずしろ先生の作品で男性キャラクターを見かける度に、いつも新鮮な気分にさせられます。壮年の、どことなく品と色気を兼ね備えた方を描くことがくずしろ先生は特に上手です。『永世乙女の戦い方』の角館さんもそうでした。角館さんといっても今回は塔子さんではなく、お父さんの方です。
 私としては今回の『雨夜の月』の読み所は二つあります。
 一つはタイトルにも書かれている「ハードル」です。奏音曰く、咲希が「越える」ではなく、「くぐってきた」と表現しているところになります。今後、奏音は部活動で小説を書くことになり、苦戦します。ですが、この表現がいまの時点で出てくるところから、奏音のセンスの良さを十分に感じてしまいます。「彼女はハードルをくぐってくれた」という、一文だけですでに物語として完成しているのです。すごいなあ、と純粋に思います。
 大鳴さんは自身の仕事で感じる言葉の壁も含めて「ハードル」の話をしてくれました。咲希がハードルをくぐって、奏音に近づいてくれたことに、感謝していると伝えます。咲希の父親、というものがまだ作中に出ていないので、咲希が父親というものにどういう感情を抱いているのかは分かりません。ただ、咲希は大鳴さんの奏音への愛情が純粋に嬉しかったのではないかと感じました。車を降りた時の笑顔の柔らかさが良かったです。
 また、「ハードル」の話になります。咲希はくぐってくれた、と奏音が例えたのは、「越える」よりも優しい近づき方だったからかと私は思いました。奏音をびっくりさせないで、自分がかがんでハードルをないものにしてくれました。思い出すのは、第一話の傘を買ってきてた咲希です。

 「及川さんは耳が悪いけど、私は頭が悪いみたい」(雨夜の月,2021.10,54p,講談社)

 この言葉から、咲希と奏音の関係は始まりました。第九話にて、改めて、実感します。
 奏音に近づいたのは、咲希からです。
 後半になります。今回は凛音が奏音へコンサートを観に行くのかどうかを尋ねる場面で、一気に話が切り替わる印象を受けました。
 父と母と姉の膠着に困った凛音は、及川家族のコンサートを巡る複雑な状況を話し、咲希に助けを求めます。コンサートに行かない奏音を咲希の家に泊めてもらいたい、と言うのです。
 ここでは、咲希と奏音の家族関係の対比がありました。奏音は父母と妹から、大切にされています。とはいえ、咲希も家族から疎外されているわけではありません。ただ、幼い頃に咲希は自分よりも家族を、母を気遣っていました。その点の是非についてはいま触れる事ではないので語りません。ただ、咲希は謎が多いといつも思います。行動力はあるというのに、自身のことについては思考や感性が流動しているのか、形が定まりません。
 それもまた『雨夜の月』のようだと感じてしまいます。
 咲希の家に奏音が泊まりに来て、次回へ続きます。リアルタイムで読んでいる方ですと、やきもき感がすごかったでしょう。

第11話「将来」

 教えたくなどないのに勝手に伝わってしまう。

 今回の話は及川家の家族全員が父親の指揮するコンサートで外出することになるため、凛音が咲希の家へ奏音を家に泊めてくれるように頼んだという、前話の続きです。
 今回は終盤にタイトルの意味が凝縮されていて、その場面に至るまでは咲希の恋心が大いに動揺するところと奏音は無防備でいるという二人の愛らしさが見所ではないかと思います。『雨夜の月』を恋愛漫画とカテゴライズするのは私の中では難しいのですが、咲希が奏音を意識しすぎているところは読んでいて甘酸っぱい気持ちになりました。
 とはいえ、ところどころ違和感も配置されていました。奏音が咲希の家に父親の気配がないことを気にするところや、咲希が奏音と同じベッドで眠ることに対して、恥じらいとも躊躇いとも言いがたい感情を抱くところです。特に咲希の父親に関してはいままで薄らとしていた情報が明言されました。一体、どのような人なのでしょうか。それとも、過去形でしょうか。
 奏音は咲希の父親のことを気にする以外は基本的にいつも通りでしたけれど、咲希が抱く感情の揺れ幅の大きさに圧倒されました。好きな女の子が家に泊まりに来る、というのは男性にとって大きな事件ですけれど、女性にとっても事件であることには変わりありません。むしろ、男性より女性の方が好きな子が家に泊まりに来るとなったら、気にしてしまうことがありそうです。どうしてもにじみ出てしまう生活感と、それでもできる限り綺麗に見せたいという見栄で混乱してしまいそうになります。特に、咲希は奏音への想いを気付かれたくないので、今回は「友達が泊まりに来てくれて楽しい」よりも苦しい思いが強かっただろうと、胸の端が痛くなりました。
 そして、後半にはベッドシーンです。いやらしさはないのに、恥ずかしさは膨らんでいきます。女の子というものはこれほど友人であっても距離が近かったのか、いや結構、奏音が咲希に対しては距離を詰めているからなどと私が悶々としてしまいました。
 ベッドの中で話すのは題名の通り将来のことについてですけれど、奏音がぼんやりと想像する自立の中に咲希みたいな存在がいてくれて、その「咲希みたいな存在」がいつか咲希になってくれたらよいです。咲希は奏音の隣にいたいと願っているのですから。

第12話「悔悟」

 やさしさの形は受け取る側も渡す側もそれぞれあって。

 冒頭の田辺さんの台詞です。

 「恋は「甘酸っぱい」と言われているが違っていた。『甘じょっぱい』のである」 (雨夜の月,2022.9.123p,講談社)

 先日、奏音が泊まりに来てさらに意識をするようになった咲希に対し、日常と上記の台詞から始めるところが『雨夜の月』の上手いところです。ライトノベルの表現に出てきた、というさりげない話題ですが、咲希は「甘じょっぱい」により自分が奏音に抱く感情が「恋」であると改めて認識します。
 それにしても「甘じょっぱい」の表現は言い得て妙ですよね。「甘酸っぱい」と感じるのは外部にいるときだけで、実際に恋愛の当事者になると塩気の方が強くなりそうです。
 今回は奏音はほとんど登場せず、咲希に周囲に新たな動きが生まれる回でした。ピアノ教室では発表会に備えることになります。恥ずかしさによる苦手意識と、それでも母親が自分のことだけを見てくれるから頑張れたという思い。また、かつての先生の姿も咲希の頭をよぎります。こちらのくだりを読んでいて思うのは、咲希の根源の感情は「さみしい」なのではないかということです。「さみしい」けれども他人に関心を持ってもらうためにわがままを言うよりも、自分の感情を押し隠してしまいます。咲希のそういったところが優しいとも思いますが、読んでいて同時に切ないです。どうしてそんなに物わかりがよくて、大人びているのでしょうか。
 そして、ピアノのレッスンの帰りにスーパーに寄り、今回の主題である綾乃と再会しました。かつて、奏音ととても親しい友人であったのに、ただならぬ別れ方をした人です。
 咲希は綾乃から彼女の事情を聞くことになりました。母子家庭。三人の弟妹。彼女はヤングケアラーでした。そして、責任感と使命感が強いからこそ、守りたい友人であった奏音との間にも不和が起きてしまったのです。
 綾乃の話はまだ途中ですが、彼女の境遇の重さにまず打ちのめされます。同時に強い人だとも、思います。結果として奏音を傷つけてしまうことになりましたが、それでも綾乃は耳が聞こえなくなり、すがってきた奏音に対して「守らないと」と思い、喧嘩別れするまでは支えていました。
 自分だってまだ弱くて辛いときに、自分よりも傷ついたり弱い人がいる場面に遭った際に人はどれだけ優しくなれるのでしょうか。
 だけれど、その優しさが美徳であることに変わりはないにしろ、使命感だけでは優しさは続かないことを綾乃は話します。いえ、咲希に忠告します。耳の聞こえない障害者である奏音の側にいると、自分の苦しみがぼやけていくということを。そして、いずれその苦しみは決壊します。綾乃は咲希が奏音を傷つけることをしてほしくないからこそ、忠告をしてくれたのでしょう。見えづらい優しさです。
 咲希のやさしさと綾乃のやさしさは似ています。祖母の介護で大変だった母を慮って、一人で遊んでいた咲希。働く母の代わりに弟妹の面倒を見ている綾乃。ですが、二人の奏音に向ける感情は違うものだと思っています。極端に言うならば、恋情か友情か。また、能動的か受動的か。咲希は自分から、奏音を好きになって側にいたいからいるのです。
 どちらが良いか悪いかではなく、やさしさの理由が違っていたからこそ、咲希は奏音の隣にいられるのでしょう。
 綾乃の話は次に続きます。当時は次巻が発売されるまで、大変もどかしかったです。




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