もう、疲れたという思いで一杯だった。かつて向けられてきた悪意には慣れたつもりであったが、久しぶりに浴びると堪える。
「ギーのおばさん、ほんっと性格わるくなったよな」
ナルカの一言が跳んできて、サレトナがくすりと微笑んだ。
どうやら自身が弟にまで気を遣われていることに気付かれたらしい。弟のナルカは、自分のうかつな行動によって周囲から痛い目に遭っているはずだというのに、いつも明るくいてくれる。
ユエニはナルカの発言に「言い過ぎだよ」と抑えはしたが、決して怒ることはなかった。
そのあとに場を仕切り直したのは、クシクだった。
「さて、少し早いけれども、夕食にしましょうか」
「手伝いますよ」
タトエが声を上げるが、クシクは首を横に振った。
「お客さんですもの。ゆっくりしていて」
「そうそう。俺とさっきの続きをしようよ」
ナルカと遊ぶことが一番の手伝いになるとタトエは察したのか、再びリビングでナルカとカードゲームを始めていた。屈託なく笑う二人の姿を確かめてから、カクヤはタトエと自分の荷物を持って二階に上がろうとする。
サレトナも荷物を持って二階へ上がっていった。
カクヤは先にサレトナをクシクの部屋まで案内し、荷物を下ろさせる。そのあとに自室へ入った。久しぶりに見た部屋はどこか子供じみているように映る。趣味が変わったのか、アルスの簡素な部屋になれてしまったのかは不明だ。
サレトナはまだ後ろに付いてきている。
カクヤは気付かれないように深く呼吸をしながら、まだ悩んでいた。
でも。
いま、言わないでいたらサレトナは何と思うだろう。
「サレトナ。いままで、ごまかしていて、ごめん」
静止した空気を感じる。サレトナはいるはずなのに、気配は薄い。だけど、確かにいると信じて、カクヤは言う。
「俺は、サフェリアの命を奪ったらしいんだ」
「らしい、の?」
「ああ。俺も、当時の記憶は曖昧で」
だから、ずっと逃げていた。
続くはずの言葉はサレトナに奪われる。
「どうして?」
「え?」
カクヤはサレトナのいる背後へ振り向いた。サレトナは真っ直ぐ、杏色の瞳でカクヤを見上げている。
「どうして、カクヤはサフェリアさんを傷つけるような真似をしたの」
口を二度、開いては閉じてから、答える。
「わからない」
「そう。じゃあ、カクヤはサフェリアさんのことが好きだったの?」
カクヤは考える。
ここで「違うよ」と言えたらどれだけ楽だろう。しかし、その言葉を選ぶことは全てに対する裏切りだ。
サレトナには確かに心惹かれているけれども、それでもカクヤが最初に選んだ少女は違うのだ。
「ああ。俺はサフェリアが好きだった」
カクヤは言葉を早く続けていく。
「俺とサフェリアは婚約者に近い関係で。将来はルリセイで生きるサフェリアの隣で、俺もずっと守って生きていくと思っていた。それくらい、傍にいることが当たり前で。……初めて恋を教えてくれた人、だった」
サフェリアは身体が丈夫ではなかったからか、つれない態度を取られることも、からかわれることも多々あった。だけど、その全てが嫌ではなかった。自分にだけは許している我侭があり、歌夜に憧れていると告げた時は心からその道を歩くことを応援してくれた人だ。
いまだって覚えている。ベッドの上で身を起こしながら、カクヤの歌を聴くことを誰よりも楽しんでくれた人だった。
だけど、もういない。
サフェリアはいなくなったはずだというのに、今更姿を見せて何を俺に望むんだ。
カクヤは目をつむる。
サレトナは扉を閉めに向かった。廊下の明かりがなくなって部屋は真っ暗だ。
サフェリアがいなくなった時と同じ気持ちを噛みしめていると、そっと、サレトナがカクヤの手に触れてくれる。
「大丈夫」
「サレトナ」
「私は、カクヤがいいの」
口にされた言葉から思い出されたのは試後祭でのことだ。二人だけになった時に、問いかけあった。
サフェリアの未来という灯火を消した、自分でもいいのか。
サレトナはそれでも、カクヤがいいと言ってくれる。他の誰でもないカクヤのことを選んでくれる。
そのことが嬉しくて、同時に申し訳なさが湧き上がってくるのをこらえきれず、カクヤは顔を歪めながらサレトナを抱きしめた。
「俺も、サレトナがいい」
暗闇の中だから、はっきりしたことはわからない。だけれど、サレトナは微笑んで抱きしめ返してくれた気がした。
どれくらいの時間をかけて抱きしめあっていたのかははっきりとしないが、サレトナに触れている時間は確かにカクヤの心の傷を癒やしてくれていた。
愛する人が自分を愛してくれている。
何物にも代えがたい、幸福だった。
>第八章第十一話


