変奏曲より紡がれし明日への希望 第五話

 一人きりの台所でタトエは黙って料理を進めていた。
 父の買ってきた野菜や主菜、食後のデザートはタトエの好物ばかりで、理解されていることに毎回恥ずかしさを覚えてしまう。
 とはいえ、折角の好物を作らないままヘキサを離れるのも、もったいないため、タトエは自身のレシピにある料理を作っていく。
 スープは塩とコンソメと玉ねぎであっさりと味付けをして、サラダはトマトを切った後にキャベツを千切って足すだけにする。これで、もう二品は完成だ。取り分けるよりも全員でつまんでいく形にしたが、サレトナはその形式で大丈夫だろうか。一応、サレトナの分だけ取り皿を用意する。
 空板に連絡が入る。父から「二人と一緒に教会へ寄っている」と伝言が届き、「あと十分もあればできる」とだけ返した。
 一息つくために、水を飲む。
 家の扉が開いた。まだ、父たちは帰ってこないのだから、エルダー家の門をくぐる相手の心当たりは一人しかいない。
 仕切りの布を女性がくぐる。
「あら。帰ってきてたの」
「おかえり」
「ただいまって、それはこっちの台詞じゃない」
 もう、と唇を尖らせる、長身の女性はタトエの母のケレト・エルダーだ。緑の髪を短く切り揃えていて、タトエと同じ琥珀色の瞳はいまだに少女のように無邪気だ。
 ケレトは脱衣所に向かっていく。ばさりと布が落ちる音がしてから、今度は自室に向かい、最後にタトエのいる台所に戻ってきた。すでにできあがっているスープを見てケレトはうっとりと微笑む。
「いい匂い。料理の腕は上達したんじゃないの?」
「下宿先で何度か手伝わせてもらったからね」
「それはいいことね。私がすることはある?」
 タトエはフライパンに油をしき、小さく正方形に切られた肉を転がしながら答える。
「ないかな。あとは、皆が帰ってくる前にパンを焼くだけだし」
「そう」
 ケレトは軽く答えると離れていった。ダイニングテーブルの椅子に腰を下ろす。その姿が様になっていて、こういうところにトリルは惚れ込んだのかとタトエは思わずにいられなかった。
 反対に、タトエは母が父を生涯の伴侶として選んだ理由を未だ知らない。尋ねたこともないのだから、知る機会はなくて当然だが、離れてみると不思議だ。
 父であるトリルは善良でヘキサにおいては恥ずかしくない地位も持ち合わせているが、男としての魅力がどこにあるかを問われたら、息子であるタトエも答えられない。外見も常に身だしなみは欠かしていないが、格好良いや男前といった言葉は全く似合わない。
 対して母は年齢に合わせて相応しい年の重ね方をしつつも、美しさに磨きをかけることは忘れていないため、父と母が並ぶと不相応であることがよくわかる。
「ねえ、セイジュリオでの毎日は楽しい?」
「うん。やっぱり、あちらを選んでよかったよ。珍しい経験ができて、友達も増えたし」
「それはいいわね。新しい友達はいくらできても困らないから」
 ケレトは立ち上がると冷蔵庫から果実水をカップに汲んで、また座る。こくこくと飲み終えると、タトエに何度もセイジュリオでの話をねだった。
 受験を終えた後にセイジュリオでの転入学の追加募集の話を持ってきたのはケレトだった。タトエはヘキサ以外の街での生活も経験した方がよいと進めてきて、受験まで持ち込んだ。タトエもアルスに住みながらセイジュリオで学ぶということには憧れがあったので、否定的な気持ちはないままに受験をして、カクヤとサレトナと出会えた。その点においては母に感謝している。母の発破がなければいつまでも安穏としていただろう。
 だけれど、その安穏を爪の先程度だが懐かしく思っていることを、タトエは気付いていた。アルスでの日々は楽しい。セイジュリオの授業も充実している。
 だけど、いつだって胸が騒ぐのは、ある人に隣に立たれる時だ。
 すでに慣れたことと言い聞かせようとするのに、まだ納得してくれない。
 タトエがその言葉を口にしようと決めたのは、二つの疑問に背を押されたためだ。
 母が父を選んだ理由。
 自分が選ばれた理由。
 その理由が、わからない。だから、聞いてみたくなった。
「ねえ、母さん」
「ん? どしたの」
「あのね。母さんは、どうして父さんと結婚したの?」
 炒め終えた正方形の塊を皿に移しながら、タトエはさりげなく聞こえるように気をつけながら尋ねた。
 ケレトはきょとんとした後に笑い出す。
「いきなりなによ」
「あのね、今日連れてきた友達二人もわりといい雰囲気で。僕も……告白みたいなことをされたから」
「ふーん」
 ケレトはダイニングテーブルの上にタトエが用意した料理を並べ直していく。
「タトエも可愛い顔しているからね。私に似て良かったじゃない」
「ごまかさないでよ」
「心の準備をしているだけよ」
 その言葉の不穏さにタトエは眉を寄せた。
 ケレトは空板を起動させると、タトエとトリルと三人の宿り木に伝言を残す。「あと、五分だけ待って」というものだった。
 五分。その時間はタトエのこれまでの人生において、もっとも濃縮された時間になるだろう。
 タトエは四人がけのダイニングテーブルの右の下座に座る。ケレトはタトエの向かいに腰を下ろす。余裕は失われていない。覚悟はとうに決めていたようだ。
「それで、私がトリルさんと結婚した理由よね」
「うん」
 タトエは用意した料理が冷めないように、聖法を先にかけおえてから、頷いた。
 生まれた隙を縫うようにして、母はゆっくりと言葉にする。
「私にとって、トリルさんが一番条件が良い相手だったから、かな」
 口にされた内容をタトエは何度も噛みしめる。条件が良い。それは何を指すのか。地位か。性格か。それとも、複合的な要因があるというのか。
 唯一確かなことは、タトエの望む答えは一生かかっても、母の口からはもたらされないということだ。
「好き、という気持ちはきちんとあるわよ。でも、トリルさんより格好いい人も、頭のいい人も、優れた人もわりといたわ。それだけの数の人に私は想いを告げられてきた。だから、トリルさんを選んだときは散々言われたわね。『あんな平凡な男の何がいいの』って。でも、誰も気付いていないの。トリルさんの平凡さにどれだけヘキサという街が救われてきたか。私のやりたいことを、一番理解してくれていた人が、誰かということも。私はわかっていた。だから、この人にしておこうと決めたわ」
「もっと、穏便な言い方はないの」
 震えそうになる声をどうにか抑えた。

>第八章第六話



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