一二同盟

 時というものは容赦なく前へ前へと針を進めていき、躊躇する自由を奪っていく。
 同時に、立ち止まり続けることによって荒々しい風に翻弄される被害を防いでくれる側面もある。
 いまのタトエにとって、先に進んでくれる時間というものはありがたいものだった。
 史月の第一週の入学式を終えて、タトエ・エルダーも自身のクラスである一学年ニクラスへと馴染んできた。
 カクヤとサレトナ、付け加えるのならばソレシカとは違う学生達と自由に交流ができて、仲を深めていけるということに安心してしまう。
 入学式の日のチャプター決めの時に起きた、あの一連の騒動によって距離を置かれるのではないかと、随分と肝を冷やされたものだ。実際は、特に気にしていないか、先輩から突如言い寄られたことに同情してくれる相手が多かった。
 平穏に滑り出したセイジュリオでの日々は少しずつ過ぎていき、今日は史月の二十二日の月の曜日になる。三時間目の授業は基礎修練の授業だ。体力、魔力、祈力の底上げの為の訓練を校庭で行う。
 カーテンで教室が仕切られて、着替え終えたタトエは万理から声をかけられる。
「タトエはん、一緒にいきましょー」
「うん」
 ユユシのチャプターに属する万理はどこの言葉とも付かない独特な口調でいつも話をする。決して焦らない、ゆったりとした速度での言葉は気持ちを落ち着かせてくれる。
 タトエは教室を出ようとしたときに、まだ学生が一人残っていることに気付いた。
 見目を褒められた経験はタトエにもそれなりにある。しかし、クラス編成の際に一目見た時から、美しいという言葉は本来、彼のためにあるのだろうという感想を持つほど、整った外見を持つ、棘の少年がいる。
 アユナ・トライセルだ。
 タトエはアユナに近づいて、声をかけた。
「アユナさん、良ければ僕たちと一緒に行けないかな?」
 話しかけられたら応答はしていて、必要があれば誰にでも声をかける。だが、アユナは集団行動の必要が無いときは常に一人で行動していた。タトエは個人行動を好むアユナを心配しているわけではないが、機会があるのならば一度、話をしてみたかった。
 アユナは特に感情を見せずに頷いた。
 待っていてくれた万理のところまでアユナと並んで歩き、三人で東棟の二階の教室から階段を下りて、一階の昇降口まで向かっていく。
 歩いている途中で、見覚えのない三人の学生と出くわした。学生達は揃って立ち止まったため、前が塞がれてしまう。
「トライセル」
 黒髪の学生がアユナの名字を口にした。呼ばれたアユナはといえば、うんざりとした表情を浮かべている。
 何度も遭遇して、その度に疲れた経験をした顔だ。
 その横顔を見て、タトエはアユナの前にさりげなく立つ。にこやかな笑顔を浮かべながら先輩らしき三人に向かって丁寧に言う。
「すみません。次の授業で急いでいますので」
 先輩である三人は授業がなかったのか、はっとした様子でうなずき合った。前を塞いでいたことに気付き、綺麗に列を作って避ける。
「どうぞ!」
 大仰な前の開け方に万理は唖然としたようだ。「はあ」などと言いながら、背筋を丸めて先輩達の前を通っていく。
 アユナはといえば、渋い顔だ。間違って、マルユという果物の酸味のある種を呑み込んでしまったか、噛み砕いたかのような表情を浮かべていた。
「ありがとう、ございます」
 辛うじてアユナが礼を言って前を通っていく。そのときもまた「セキヤさんによろしくお願いします!」という声が聞こえて、アユナは再びうんざり、といった表情を浮かべ続けていた。
 昇降口に着き、靴を履き替えながら万理が言う。
「あの、なんだったんです? さっきの」
「番長の弟に甘い人たち」
 いまだぴんと来ていないのか、万理は首を傾げている。アユナは言葉をさらに重ねたくないのか、靴紐を結び直すことに集中している。
 タトエはといえば、思い出していた。
 いきなり手をつかまれて告白されるという、特定の人でなくてはときめかない行動を取られたことを、アユナの苦い表情から連想していた。
 それは、身勝手な好意だ。
「アユナさん」
「なに」
 顔を上げないで、まだ靴紐を結んでいる。
「好かれることが辛いのは、傲慢かもしれないけど。好きじゃない人に好きといわれても困るのは、当然だと思うよ」
「そうやなあ。いきなり蟻に好かれても困るやん?」
 万理が補足のために間に入ってくれたが、タトエは正直なところ、出された例に対して辛い評価をつけざるをえなかった。
 蟻はさすがに言い過ぎだろう。
 アユナは靴紐を結ぶ手を止める。立ち上がると、初めて純粋な笑みらしき表情を見せてくれた。
「ありがとう」
 三人で並びながら校庭まで歩いていく。道中で、アユナが口を開いた。先ほどよりも滑らかだった。
「俺の兄貴はやたらと目立つから。良くも悪くも、巻き込まれるんだよ。俺は静かに生きたいっていうのに」
「うん。わかるよ」
 深く同意すると、アユナはまた笑う。
「タトエはわかってくれる気がした」
「僕はー?」
「知らない」
 アユナの冷たい態度は素によるものなのだろう。万理も理解しているのか、傷つく様子はなく、軽やかに笑っていた。
 無理に気遣われて愛想良くされながら距離を置かれるよりも、素っ気なくとも心を許してもらえる方がずっと良い。
 タトエはそのように考え、これからアユナに冷たくされても傷つくことはないと思えた。
 あと少しで授業が始まる。校庭に集まっている同級生を見つけて、三人とも走ろう賭した時になる。
「アユナではないか!」
 呼ばれたアユナは今日一番のいやな顔をした。
 通りすがりで現れた、銀糸が目立つアユナと同色である紫の瞳の青年がいる。顔立ちも肢体も、アユナと同様に驚くほど整った美しさを誇っていた。
 アユナの言っていた、兄貴であり番長らしき青年の姿を確かめたあと、タトエも万理も、アユナも一気に駆けだした。
 その背中を追いかけることなく見送られたのは幸いだった。
 また、その日以来、タトエと万理の間には「セキヤに兄を近っづけるべからず」という同盟が密かに結ばれることになった。
 アユナがその同盟の恩恵を受けているかは、不明だ。
 ただ、タトエと万理といるアユナの表情が柔らかいということは、密かな噂となって、一学年ニクラスを巡ることになった。



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