君と埃を被りたい

 もう遊ばれることのないおもちゃ箱に心当たりはあるだろうか。
 愛着はまだ残っていて、家の空間にも空きがあるために、捨てるには至らないけれども傍らに置いて愛でるほどではない。その積み重ねとなった箱の中に、僕はいる。
 僕たちはいる。
 ただ在ることを許されただけの物が、僕たちだ。
 クローゼットの下段に置かれた僕らの家である箱の中にも、とびきり綺麗な人形が在る。かつては大切にされていて、部屋の一角を占めていた。
 いわゆるオールドスターだ。しかし、彼女もいまは箱の中に入れられてどこにも行けはしない。僕は彼女の隣に寝転がりながら、話しかける。
「かつては華やかだった君も、いまはクローゼットの中の花だ」
「それは嬉しいことよ。私もまだ咲くことができているのだから」
 一秒たりとも崩れることのない微笑を浮かべて、彼女の青い瞳は天井を見つめている。僕も天井を見上げた。暗くて吸い込まれそうだ。
 クローゼットの中は静かだ。時折、外でかたことと音がする以外は僕らを煩わすものはない。いまは住人もいないのか、その微かな音すらも立たない。
 そうなると黙って寝転がるしかない。せめてプラネタリウムでもあればよいのに。そうしたら暗い天井に星が瞬いていくらでも時間を潰せる。
 壊れるのは仕方のないことだが、在るというのは退屈なことだ。
「そんなに貴方は退屈さんなの?」
「ああ。僕は本来は空を飛び回って、敵を倒すはずだったんだ。それなのにいまはここで埃を被るだけしかすることがない」
「随分と乱暴さんね」
 彼女の笑った気配を感じる。それに、ほんのちょっぴりの満足感を得た。こんな僕でもまだ何かを楽しませることができるようだ。何も楽しませられないおもちゃほど無意味な物はあるだろうか。きっとない。だからこそ、人ではなくても何かを楽しませられるだけで救われる。
 僕がいま一番楽しませられる存在は、彼女しかいなかった。
「君は最初、いくらで買われたの?」
「あら。無粋さんね。夢の少女をお金に換えるものではないわ」
「僕は三千百二十円だった」
 その頃の消費税はいくらだっただろう。覚えているのは僕を手にしたあの子の輝いた顔だけだ。それももう、長らく見ていない。
「先に言われてしまうと、言わなくてはいけない気持ちになるわね。私は六千七百円くらいだったかしら」
「僕の二倍か。それなのに、いまはもうここで一緒に暮らしている」
「ええ。ここでずっと暮らすのよ」
 彼女は達観していた。壁の花として長い時間を過ごしたというのに、それは一瞬の夢だったと受け入れている。
 花ならば一瞬でも咲き誇れたら良いのだろうが、彼女は時間を閉じ込めた人形だ。このまま朽ちていくのはあまりにも寂しいだろうに、僕にはどうにもできない。
 彼女は美しい人形だ。それだけを知っている。
 しばらくの沈黙の後に、かたりと音がする。あの子が部屋に戻ってきたようだ。
 足音が近づいてきて、いままで閉ざされていたクローゼットが開かれる。外から入る光は白くて眩しかった。身動きもできずに放射の刑を受けていると、とさっと何かが置かれた。
 それは箱だった。古ぼけたデザインをしているが、まだ新しい物の湿った匂いがする。買われたばかりだというのにもうここに追いやられたのかと同情してしまった。
「新しいお友達?」
 彼女も呼びかけた。
「いいえ。私はただの箱です。この卑小な箱の中の箱めがオトモダチになる栄誉に預かれるはずなどありません」
 同情は撤回する。随分と嫌みったらしい箱だ。
 僕は早々に無視を決め込んだのだが、彼女はまだ心優しく話しかける。
「貴方は何に使われていた箱なの?」
「菓子を詰められていた、ただの箱です。ああ。でもただの、箱ではないかもしれません」
「あら。不思議なことができるのかしら」
 箱は声を上げて笑った。
「できますとも。私の口に入ったら、こんなところから自由になれますよ」
「それはすごいことね」
「ええ。ぜひ一度この中に」
 箱がかちかちと上蓋と下顎を噛み合わせて笑う。その動きを見てようやく気付いた。もう、夜だ。僕らの体も動く時間だ。
 僕は気楽な様子で起き上がり、必要なのか不要なのか不明瞭な物の山を落ちないように歩いていく。そうして彼女が眠りに就いている箱を開いた。彼女は背中に付いている支柱を外し、ドレスを持ち上げて立ち上がる。
「夜は私たちの遊ぶ時間ね」
「昼が僕たちの休む時間だから」
 他のおもちゃもめいめい、動き出していた。途端に騒がしくなる。長方形のパーティ会場だ。新入りの箱だけは置かれたままでいる。
 僕は新入りの箱を放っておいて、彼女と一緒におもちゃたちのところを巡っていった。ぬいぐるみの丘では「そろそろ綿を入れ替えてもらわないとおなかが空いてしかたないのよ」といった溜息を聞き、人形の谷では僕らだけが自由に動けることを羨望される。「人形が動けるというのは、神様が悪いことをしないと認めた証拠なのよ」と言われて、彼女は丁寧におじぎをした。
 あとはアクリルキーホルダーの詰まっている線路を訪れると「たまには揺れるだけではなくて歩きたい」と言われる。困ってしまって、何も言葉では返せない。
 いつもの巡回はすぐに終わり、僕と彼女は適当な棚板に腰掛けた。クローゼットの扉の隙間から光が差している。
 また、いつか。
 光の下で彼女と寄り添うことができたのなら。
「あの子のことを考えているの?」
 顔を覗かれて彼女に言われて、どきりとした。慌てて首を横に振る。
「僕がいま、一緒に埃を被りたいのは君だよ」
「そんなことを言ったら、怒られちゃうわよ。あなたはセットのおもちゃだったんだから」
「それとこれは違うんだ」
 僕が強く言っても、彼女はわがままを言う子どもをたしなめる顔で微笑むだけだ。仕方はないのだろう。
 彼女は一体で完結するお人形だ。
 僕は、ペアのおもちゃだったが、正直なところペアだった子よりも彼女に惹かれてしまった。そしてペアの子はもういない。
 彼女がすっと立ち上がる。薄闇の中の一等星、見まごうことなきオールドスター。
「私はあの子にはなれないわ」
「あの子ではなくて、君がいいんだ」
 彼女はふっと笑う。
「ひどいおもちゃね」
 知っているさ。だから、僕はもうこの夜のパーティ会場から逃げられないのだろう。
 それも君と一緒なら悪くないと思うんだ。



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