初夏が姿を見え隠れさせている。暑さとともに訪れたかと思えば、また姿を消して、寒暖差により体を痛めつけていた。
その日はどちらかといえば肌寒い、銀鈴檻が拠点としている「調律の弦亭」においての出来事だ。
リンカーは不服ながら、リブラスと茶の席を共にしていた。
先にリンカーが事務室にいたのだが、十分後にリブラスがやってきた。手には透明なグラスに赤茶色の茶を溜たものがある。ここで飲まなくてもよいだろうにと思うのだが、食堂にはすでに一般の客が並んでいると聞いて、では仕方ないと承諾した。
随分と上から目線の言い方にはなるが、リンカーは事務室の主というわけではない。事務室の主と称されるのはカズタカかネイションだ。
基本的にはリブラスが声を上げる以外は沈黙した空気で茶会は進んでいる。しかし、またリブラスは導火線に火の付いた爆弾を投げつけてきた。
「リンカーはネイションに告白しないの?」
「しませんよ」
どうして打率の低い球を打とうとしなくてはならないのかと、リンカーはばっさり切り捨てた。
リブラスが言ったようにリンカーはネイションに恋をしている。恋、という爽やかで初々しい二文字で例えるにはもう少しどろりと湿っていて薄暗い感情なのだが、愛欲に基づく好意を抱いていることに変わりは無かった。
だからといって、想いを伝えようとは考えたことがない。下手に恋情を寄せていることが明らかになれば、ネイションもやりにくくなるだろう。銀鈴檻を抜けるとも言い出しかねない。そうなったら、ハシンとカズタカにたこ殴りにされたあげく嵐の中で塔の天辺に吊されるはずだ。
ネイションに対して保護的な感情を抱いている二人が、この恋を許しているだけでも恵まれている。だから、いまは現状維持ができたらならばよかった。
「そっか。あ、ネイショーン」
リブラスは自身が話し始めた話題の当人が事務室に入ったのを見て、呼び寄せた。何をしでかす、という目でリンカーはリブラスを見たのだが、欠片も気にされていない。
ネイションは右手に手帳を持ったままリブラスの近くに立つ。
「なに?」
「お茶ちょうだい」
「ネイションを使うのではありません。私が淹れてきます」
目を離すのは心配であったが、リブラスがいきなり先ほどの爆弾を破裂させないか不安でもあったが、リンカーは席を立つ。事務室に備え付けられているコンロで茶の準備を進めていく。
リブラスの好む茶葉など知らないのが幸運だった。適当な残量の多い茶葉をティーポットの茶こしにいれて、湯が湧くのを待つ。
しゅんしゅんと湯気をくゆらせ、勇ましい音を立てるのが聞こえたら火を止める。そうしてまた、ティーポットに湯を入れて蒸らす。リブラスとネイションは何事かを話しているようだ。
「ねー。その手帳には何が書いてあるの」
「これからの予定よ。今日は何をするかとか」
「ふーん。普通だね」
「私は普通だもの」
諦観も焦りもなく、当たり前の事実としてネイションは同意した。
リンカーにしてみれば、その普通が稀少なものなのだが。卑屈にも、傲慢にもならずに普通として慎ましく在り続けるのは難しい。
大抵はカズタカのように真面目になるか、リブラスのように馬鹿になる。ネイションは思慮深く、人にとっての適度というものをわきまえていた。
だから言えない。
悪魔であるリンカーが恋をしているなど告げられるはずもない。
リンカーはティーポットからティーカップに茶を注ぎ、茶こしの茶殻を処分してから事務室へと戻っていった。
「はい。淹れましたよ」
「うん。じゃあ、ネイション。交代ね」
リブラスは立ち上がるとそのまま事務室を出ていった。
音を立てて閉ざされる扉を見送るまで、リンカーもネイションもぼけっとしてしまった。
「これ、どうしましょう」
一足早く我に返ったネイションが言う。目の前にはリンカーが淹れた紅茶があった。
「ネストの茶葉が好みに合うのでしたら、もらってください」
「そうね。いただくわ」
ネイションは紅茶に口をつける。
リンカーも自身のティーカップに指を絡めて口に運んだ。少し冷めてはいるが、まだ薫りはする。
ティーカップをソーサーへ戻したときに、ネイションが満足げな吐息をこぼしたことにリンカーは些細な満足感を得た。
いまはまだ、隣にも立つことなど認められないけれど。
斜向かいの席に座ってその横顔を眺めるくらいはしていたい。
斜向かいの特別な席
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