消えた紅茶の後を追う

 食堂の鐘が低くぼーん、ぼーん、ぼーーんと鳴った。
 今日の休憩当番であるネイションは紺色の髪を揺らしながら、一本のチョコレートテリーヌを四人分に切り分ける。照明を受けて側面と断面に浮かぶ艶は見事だ。
 残りの二つを箱にしまったまま、紅茶の準備に取りかかる。
「あら」
 紅茶の缶の蓋を開けて出てきたのは、茶葉ではなく驚きの声だった。
 後から現れたカズタカは棚の前でかがんでいるネイションに声をかける。
「どうかしたか?」
「いつの間にか茶葉がなくなってるの。買い置きもなくなってるし」
 疑問を口にするが、こういう時は誰の仕業なのか、既に二人とも予想がついていた。確信の差はあれど、リブラスだろう。魔術の実験に必要とかで黙ってかっぱらったに違いない。悪気はないまま。
 事の是非や真実、そして犯人は後で確かめるとしていま問題なのは紅茶がないと帰ってきたハシンの機嫌に関わるということだ。いくら紅茶がないとはいえ理不尽な要求はしてこないだろうが、またリブラスがたらいを落とされる羽目になるのも自業自得なのだが、見ていて気分は良くない。
「買ってくるわ」
 ネイションはカズタカよりも先に言った。カズタカはまだ事務仕事が残っているので手が空いている自分が行くべきだろうと判断したのだが、苦笑される。
「いつも悪いな」
「慣れたわよ、これくらい」
 そう言って食堂にある財布を手にした。ネイションはそのまま出かけるようなので、カズタカは玄関まで見送っていく。
「なになに、ネイションは出かけるの?」
 後ろからひょっこりとリブラスが現れた。青い瞳を好奇心で輝かせているので、少しでも曇らせてやりたくてカズタカは言う。
「お前が勝手に持ち出した紅茶を買いに行ってくれたよ。小遣いから天引きだからな」
「紅茶? ああ、一袋だけ丸々もらったけど、まだ他にも残っているはずだよ」
 流してしまいそうなほど自然に言われた内容を疑問に思っている間に、リブラスはカズタカの脇を抜けていく。
 そのままネイションの後を追いかけていくのだが、釈然としない。
 まあいいか。


 以上の展開をリンカーは事務室で聞いた。
「まあいいかではないでしょう!」
 カズタカの胸元をつかんで、がっくんがっくんと揺らす。その勢いは激しくてカズタカは自分で止めることすらできないようだったが、アルトーが代わりになだめた。リンカーの手をつかんで強引に引き剥がしたので、カズタカは反動で絨毯に座りこむことになる。
 それでもリンカーの怒りは収まらない。
「あの人間爆弾製造機にネイションを任せるなんて!」
 仲間に対して散々な評価をしているが、それくらいにはリンカーはリブラスの実力を買っていて、同時に危険視していた。
 リブラスは確かな魔術の力量があるが、その興味の矛先がどこへ向くのかわからないところはいつも危うい。カズタカはそこを理解してくれていると思ったというのに、まさか一人きりでネイションの側に置いていくなど。楽観視が過ぎる。
 しかしカズタカとしても、リブラスは何をしでかすのかわからないという点ではリンカーに同意している。しているが、陽気なオレンジ頭なりにスイッチの切り替え時があるようで今日は危険なことにならないと判断した。紅茶の件でも自分のしたことを素直に話したことが証拠になる。魔術に夢中になったリブラスは人の話など聞かないのだから、意思の疎通ができている時点でまだまともな状態だ。
 お互いの仲間に対しての解釈の違いは衝突するが、埒があかないと判断したのかリンカーは引き下がった。
「あのな、俺はリブラスにネイションを任せたんじゃない。ネイションにリブラスを任せたんだ」
「なおさら悪い!」
「どー、どー」
 怒りの燃料を注がれて燃え盛る。アルトーはそのリンカーを落ち着かせようと声をかけるが効果はなかった。その間にカズタカは乱された服の襟を整える。
「行ってきます」
「それがいいだろうな」
 ここで話をしていても喧嘩腰になるばかりだと、カズタカは足音荒く事務室を出て行くリンカーを見送った。アルトーも同じように見つめている。
「どうしてあんなに、怒るんだ?」
「心配してるんだろうな」
 そう言ってカズタカはまた仕事に戻る。やらなくてはならないことはまだあった。


 いつもネイションが紅茶を買いに行く店は牡丹通りの先にある。
 春を迎えたことにより冬の寒色衣装を脱ぎ捨てて、鮮やかな赤や桃をいたるところに咲かせ、黄色と緑で縁を彩る爛市メロリアの街をリンカーは歩いていた。
 リブラスと歩くネイションはすぐに見つけられた。だが、このまま声をかけるのもはばかられて距離を置いて気付かれないように後をついていく。
 近しい距離で、二人で並んで歩く。それだけで非常に面白くない光景だ。かといって割って入るのも大人げないという妙なプライドに邪魔されていた。
 人混みは歩くのも困難というほどでもないが少なくもない。紛れるのには十分で、二人の話している声も聞こえてくる。
「ねー。緑蓮の館に行くのなら、ついでに竜の吐息飴も近くで買ってよ」
 図々しいおねだりをリブラスはネイションに仕掛けている。飴という名はついているが、ただの駄菓子ではなくて輝石やアーティファクトの可能性もある。
「だめよ。自分のお小遣いがあるならいいけど」
「じゃあいいや。あれ時価だし」
 時価の飴とは何だ。
 つっこみたい気持ちをリンカーは必死になって抑えた。絶対にただの、ろくでもある飴ではない。
 だが、ネイションのリブラスの相手をする様は見事だ。大抵が溜息を吐くか、実力行使で止めてしまう所業をするというのに、ネイションは言葉だけでリブラスを落ち着かせてしまう。こういったところが銀鈴檻においてネイションが欠かせない理由だった。
 ネイションは、彼女はいつも調停することに優れている。ハシンの固い決断を止めることができるのもカズタカの冷静な指摘か、ネイションの心配がなくては難しい。とはいえどハシンがそれほど無茶な決断をすることはないのだが。
 リブラスがふらふらと店に引きずり込まれそうになるたびにネイションは意識を取り戻させる。その手腕は弟をたしなめる姉だ。この二人なら、危惧したことにはならなさそうだが、別の危険がある。まだ目は離せない。
 ふと、リブラスが後ろを振り向いた。合いそうになる目をそらす。
 また前を向かれたので止まっていた呼吸を再開した。
 リブラスという青年は迷惑なことをしでかすバカではあるが、侮れないところもある。それでも、バカという評価はリンカーの中では覆らない。正確には愚者と言っても良い。魔術師なのにどうかと思うが、ひたすらに道を追求して周囲に迷惑をかけるのは、愚かな行いだ。そうしなくては辿り着けない思考の領域を目指しているとしても、愚者と賢者が紙一重なのは周囲との調和を考えられるかどうかだ。悔しいがその点においては、カズタカの方が賢者と言えた。
 ネイションとリブラスが紅茶屋である緑蓮の館に着く。
 リンカーは向かいの細い路地に身を隠した。このあたりであっても、街を彩る布や塗料が欠かされないのは、爛市メロリアの豊かさを象徴しているともいえた。街に暗部を作らないでいる。それはやがて、極端な格差と貧困を生むためだ。
 リンカーの視線はネイションを追う。迷いなく紅茶と来週の菓子を選んでいる姿は買い物を楽しんでいるというよりも、戦場で物資の調達をしているようだ。
 紅茶。
 リンカーはふと、思い出した。
「なにしてるの?」
 考えに浸っていたところで、目の前にリブラスが現れた。
「追跡です」
「ストーカー?」
 悔しいが言い返せない。代わりに問うた。
「ネイションに何かしていませんか?」
「僕がネイションになにをするって言うのさ」
「飴をねだったりとか」
「した」
 知っている。その話を聞いていたのだから。
 黙ってリブラスを見下ろしていると、にまっと口が裂けたかと思うほど大きく笑われた。
「リンカーって本当にネイションが好きだね!」
「大きな声で言わないでください」
 唇の前に人差し指を立てるのだが、リブラスは深呼吸を始めた。さらなる大声を出そうという企みが透けて、手刀を一閃。
「ぐえ」
「全く」
 よろめく姿に呆れながら、そろそろ頃合いだと路地裏を抜け出す。緑蓮の館まで歩きながら、リブラスはまた聞く。
「ねえ。どうして、リンカーはネイションをいつも心配しているの?」
「聞いてばかりですね」
「それが僕だもん」
 学究の徒であり、何事であっても常に疑問を抱く姿勢は怠惰では務まらない。そう考えるとあまりバカバカ言っていられないのかもしれなかった。
 それでも、リンカーはリブラスには自分たちのことを言えない。
 己が悪魔であるということも。
「秘密ですよ」
「ちぇー」
 路地を渡っていると、ネイションが緑蓮の館の扉から出てくるところだった。
「あら。リンカー、どうしたの?」
「いえ。偶然」
「跡を追っていたから声をかけた」
 悪気なく本当のことを言われた。リンカーはリブラスをにらみつけるが、その程度でいつもの陽気な態度は崩れなどしない。
 ネイションは不思議そうなままだが、リンカーは近づくと菓子と紅茶の入った袋を受け取る。そのまま調律の弦亭に向かって歩き出した。
「まあ、帰って皆でお茶を飲みましょう。そろそろ全員が揃いそうだし」
「ええ」
「今日もお仕事お疲れ様」
 ネイションが微笑んでねぎらってくれる。それだけで心が軽くなる自分も、大概馬鹿なのかもしれない。
 そう思いながらもいまの幸せを手放せそうになかった。






「でも、紅茶はどこに行ったのかしら」
 ネイションが言い出す。それに対しての答えは、リンカーが持っていた。
「すみません。私が教会にいくつか持っていきました」
「あら」
「諸悪の根源はここにいた」
 リンカーはにっこりと笑って、リブラスを蹴っ飛ばした。




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