平和だなあ。
舗装された道を歩きながら、穏やかな日常のありがたさをタトエはしみじみと噛みしめていた。
たまに一緒に帰宅するカクヤは、今日はサレトナとセキヤに連れられて、楽奏のアクトコンに参加しにいくと言っていた。そのため、今日のタトエは同級生のアユナと万理と一緒に宿への帰り道を辿っている。
談笑しながら歩いている途中、万理の提案によって静観商路に並ぶ店に立ち寄り、クレープを食べることになった。その店は講評試合の時にタトエがモンテクリストを買った店であるから、味は保証されている。
どのトッピングをされたクレープを買おうかと、タトエの心は楽しく悩んでいる。
いまの季節なら、桃などもあるだろうか。
「あら。タトエ達じゃない」
向かいから来る少女に声をかけられた。マルディだ。アユナと同じくスィヴィアのチャプターに属する同級生を前にして、足を止める。
マルディはいつもの落ち着いた表情のままだ。
「どこに行くの?」
「白砂の忘れ物です」
万理がいまから行く甘味の店の名前を挙げる。マルディは微笑んだ。
「へえ。いい趣味ね。私も一緒に行っていい?」
「いやだ」
切れ味よく、アユナは言い捨てた。
そうなるだろうことは半ば予想していたが、想像以上に強い拒絶にタトエも曖昧な笑みを浮かべてしまう。心情的にはアユナの味方だが、マルディに冷たく当たることもできなかった。
もとからアユナは人が嫌いだと公言してはばからない。タトエや、万理といった限られた友人と必要な時に必要な相手と付き合いだけすれば文句はないだろうと、白皙の美貌で他者を拒絶する。
タトエも人に好かれて面倒なことになった経験がある。だから、それ以上に嫌な経験をしてきているだろうアユナのことを怒る気にも、たしなめる気にもなれなかった。他人との付き合い方は当人の自由だ。損をすることになろうとも、それを覚悟をした上で冷たく接することを止めることはできない。
けれど、マルディにも何度か助けられたことがある。それに、タトエとしては良い感情も悪い感情もないのに、アユナに恭順してマルディを拒むことには抵抗があった。
タトエが黙って考え、万理が眉を下げている間にも話は進んでいく。
「はっきりと言うわね。トライセル」
「言うさ。俺は、タトエと万理は友達だから一緒にいられる。ただの同級生でしかないあんたは、邪魔だ」
百七十を越える少女と、百六十を少し越える少年がにらみ合う。青い火花が散るようだった。
耐えきれなくなったタトエは、二人の間に入っていく。
「アユナ、そこまで言わなくてもいいんじゃないかな」
自身が抑えるように言われたことが気に食わないのか、アユナは腕を組んでそっぽを向いた。返事はしない。だけれど、幼い子どものように相手を選ばせることもしなかった。
「まあ、ノーゼンさんも来ます?」
「ぜひ」
最初にクレープを食べようと言い出した万理が誘ったためか、アユナはそれ以上の反論はしなかった。ただ、「図々しい」と小さな声で吐き捨てた。
タトエは困る。一気に、平穏さが薄れてしまった。
マルディ、タトエ、アユナ、万理と一列に並んで歩きながら、タトエはアユナに視線をそっと向けた。
まだ不機嫌ではあるが、タトエ達を困らせる意図はなさそうだった。性分として、相性の合わない相手やあまり関わったことのない人と一緒に行動することが苦手なのだろう。
それは大変なことだが、アユナはいやなことは「いやだ」とはっきり言うことができる。自身の感じていることを表現することは、相手にとって時に厳しいことだが、紛れもなく強いから可能なことだ。わがままではない。自分の中に確固とした意思があるという証明だ。
タトエはまた考えてしまう。
だったら、自分はどうなのだろうか。
嫌だと感じることに対して鈍いとは、師に昔、指摘されたことがある。困ったことが起きてしまったら、タトエは自分を抑えて他人を優先させることにより、事態を解決する癖がある。
確かに、その方法は優しさによるものかもしれないが、自身にとって有益かどうかを一度考えてみた方がよい。
などと言われたが、タトエにしてみれば困る助言だった。そこまで他者に対して自己犠牲をしているつもりもない。自身が引くことによる益の方が多いと判断したために選んできた行動だ。
これから、本当に自分の欲しいもの、または譲れないものができたときはどのような行動に出るのだろう。
最近になって、少しずつ変わり始めたカクヤやサレトナも見ていたから、なおさら考えてしまった。
「タトエはん。クレープ、何にします?」
「うーん。やっぱり、キャラメル系にしようかな」
いつの間にか「白砂の忘れ物」の前に着いていたらしい。タトエはさっと品名が並ぶ看板に目を通して、無難なキャラメルアップルクレープにすることにした。
いままで考え事をしていたことに気付かれたくない。
「私はサラダ系にしようかな」
「勝手にしろ。どうせ太るんだ」
「わりと運動しているから、これくらいなら問題ないわよ」
アユナの険のある言葉をさらりと流すマルディの反応を見ていると、この二人は案外息が合うのではないだろうかと、タトエは思ってしまった。
それぞれ、頼むクレープを決める。路地に向かって開けている受付へと、一人ずつ注文していった。
タトエはキャラメルアップルクレープで、万理はチョコレートバナナを選んだ。アユナはシナモンティーにして、マルディはチーズフランクだ。
店員は奥にも声をかけて、クレープを作り始める。五分ほど経つと全員のクレープが揃ったので、店の前のスタンドテーブルに輪になりながら食べ始めた。
タトエはクレープをかじる。とろけたキャラメルのかかった林檎の味がしゃくりと口いっぱいに広がって、先ほどまでの思考は遠ざかっていった。
「皆さんは、夏休みはどうするんです?」
「俺は読書百冊」
「それ、一年の目標じゃない? どっかいったりしないの」
「この夏はずっとアルスにいるから。外へ出かける用事も特にないしな」
薄いクリームの広がった、シナモンの甘さとは違う優雅な香りを漂わせながら、アユナは言い切った。
「ある意味優雅ね。私は、海に行きたいかな」
「青春ですなあ」
ほのぼのと答える万理の頬にはクリームがついてた。指摘をすると、くすぐったく笑われて指先で拭う。
この場に、万理がいて良かったとタトエは改めて実感した。決して目立ったり派手な少年ではないが、場を緩ませる和やかさが万理にはある。
「そういう万理は何かするの?」
「んー。宿題が無事に終わりそうやったら、アルバイトはしたいです。タトエはんは?」
「やってみたいことが沢山あってね。悩み中」
夏休みについての話題から、今日の学術試験の出来について、そして普段のセイジュリオでの生活などを話しているとあっという間に時間は過ぎ、クレープも食べ終えた。
腕時計を見たマルディは一歩下がり、軽く頭を下げた。
「今日はありがとう。またね」
そうして、思いがけない参加者は去っていった。気が抜けたのか、アユナはテーブルの上に肘を突きながら、息を長く吐いている。万理が距離を起きながら、背中をさする真似をしていた。
「ほら、元気出してくんさい」
「騒がしくないだけまだましだが。よくわからない奴だ」
「同じチャプターなのに?」
「仕事で一緒にいるのと、友情があるのとは違うだろ」
タトエは苦笑した。チャプターの関係ですら仕事と言い切るアユナはやはり乾いた性格をしている。対して、万理が笑顔なのはアユナから友情を抱いてもらっていることが嬉しいのだろう。
無料でもらえる水で喉を潤してから、帰り道を歩いている途中でアユナと万理と別れることになった。まだ、アユナはぐったりとしている。遠ざかる背中に向かって手を振りながら、タトエは早く元気になることを祈った。
一人になる。
タトエが沈黙の楽器亭に向かって、慣れた風景を流しつつ進んでいると、知っている顔とまた会った。
サレトナの兄である、クレズニだ。
黙って通り過ぎるわけにもいかないので、挨拶をする。
「こんにちは」
「こんにちは」
道の中心で立ち止まるのは交通の妨げになると、脇に移動する。数歩の距離を置いて、視線を合わせたまま、思うことは一つだ。
気まずい。
クレズニが初対面の時ほど悪い人ではないのはすでに理解している。しかし、この瞬間に何を話せばよいのかは全くわからない。サレトナの様子を勝手に話すわけにもいかないだろう。
「タトエさん、でしたよね」
その通りだったので頷いた。
「少し、お話しすることはできませんか?」
事情があることを察しながらも、タトエは返答に困った。少しの危機感と好奇心が、タトエの足を留まらせようとも、進ませようともしている。
少しの間、考える。タトエは先ほどのアユナを思い出していた。
自分の心に、いまどうしたいのかを問いかけてみる。
「はい。できます」
答えはあっさりと出てきたので、タトエはクレズニについていくことにした。
おそらく、クレズニが一人で行動しているのならば危険な場所に連れ込まれることはないであろう。また、いままで知りたかったけれども知る機会に恵まれなかったことを質問する、よい機会だ。
先に歩くクレズニの後をタトエはついていく。英断商路の店は見慣れているが、その中でもかつて辿った道のりを進んでいる気がした。だが、それはないだろうと否定する。行き先があっていたら、タトエにとって都合が良すぎた。
クレズニは迷うことなく進み、立ち止まった。
「こちらでいいですか?」
クレズニが示す先に置かれている、雄々しく前を向く像はかつて見たものに間違いない。
ここは、カモノハシの涙だった。
「ここでいいんですか!?」
思わず前のめりになって、タトエが聞くとクレズニは少々驚いたようだった。
「はい。私も、以前から来てみたかったので」
財布の中身が大丈夫かを思い出しながら、タトエはカモノハシの涙に入店する。今日はさほど客がおらず、すぐにテーブル席に案内されることになった。
クレズニが言う。
「私が支払いますので、好きなものを選んでください」
「ありがとうございます」
タトエの心中で、クレズニの評価が上がった。大人の振る舞いを見せてもらっている。
席に置かれていたメニュー表としばらくにらめっこをしていたが、タトエは以前から目をつけていたものを注文することに決めた。
店員が来る。
クレズニは葡萄の紅茶を頼み、タトエは焼き菓子を三種と今日は冷たい紅茶にした。
注文を聞き終えた店員が立ち去った後、クレズニがまずしたことは、謝罪だった。
「以前は失礼なことをして、申し訳ありませんでした」
「そうですね」
カモノハシの涙で奢られることに対する感謝はある。だが、サレトナを卑下したことは違う問題なので、タトエは簡単にクレズニを許すことはしなかった。
カクヤほどサレトナを取り巻く環境に首を突っ込む気も、献身的に支える気もタトエにはない。友人であるからこそ、距離感は重要だ。だけれど、友人が傷つけられたことを家庭の事情と看過する気もない。助けられることならば、サレトナを援護したいという立場にタトエはいる。
そして、今回はサレトナに関する繊細な点について知ることのできる、絶好の機会だ。
タトエはクレズニに何を質問するかを考える。その間に、クレズニが先に口を開いた。
「タトエさんはロストウェルスについて、どこまでご存知ですか?」
「身分制が廃れたいまとなっても、人族を代表してノーブル・マテリアルの一つである『永遠の氷』を守る、聖職。それくらいですね」
シルスリクには四つの戦乱の時代を経て、各主格人類が守護するようになった、四つの「ノーブル・マテリアル」が存在している。
精霊族が保護する「永久の岩」、獣人族が堅持している「永劫の風」、竜族の庇護している「永続の炎」、そして人族が守護する「永遠の氷」の四つだ。
シルスリクが血で地を染める争いを繰り返されたというのに、環境が破壊されていないのは神がノーブル・マテリアルを与えたからだという。同時に、ノーブル・マテリアルは不破の停戦の証にもされていた。四つの資源がある限り、争いを繰り返してはならない。だから、各種族は全力をかけてそれぞれのノーブル・マテリアルを保持している。
タトエのかいつまんだ説明を聞いて、クレズニは頷いた。
「はい。その通りです。タトエさんはよく学んでいらっしゃる」
「お世辞はいいです。それで、サレトナとロストウェルスさんの関係について、重要な点を教えてください」
「世辞のつもりはないんですが……。まあ、サレトナはロストウェルスが聖職として祀られるようになって以降、最も珍しく特別な存在になってしまいました」
その理由の一つとして、サレトナは幼い頃から神の声を聞くことができたのだという。
「それだけなら珍しくないのでは? 僕だって、聞けますよ」
よく印象的だと言われる、三角の癖が神にあることがその証拠だ。シルスリクでは神と意思を通じ合わせられるものは髪から特徴のある癖のようなものが伸びてくるとされる。アユナもおそらく、そうだろう。
「それでも、聞こえる神の声は一柱に限られるでしょう」
「はい」
タトエが耳にするのはおそらく、星の神で分類としては小摂理神に当てはまる。
「サレトナは神の声がどれくらい聞こえるのかを、私たちに明かしてくれません。聞こえる
神がどういったものであるのかすら」
「複数の、それも高位の神の声を聞くことができると言うんですか?」
クレズニは言葉にしないで頷いた。
タトエも沈黙したまま考え込む。
端的に言うと、危険だ。先月の休日にサレトナと交わした会話を思い出す。「神様は、いるの」と断言をしていた。
確かにサレトナの耳に届くのは神の言葉もあるだろう。だが、その中に混じって神ではない上位存在がいるとしたら。その上位存在が悪意を持っているとしたら。
クレズニはタトエの思考を読んだように話し出す。
「サレトナは信仰の娘です。ただ、この世界の神は多岐にわたり、サレトナも何の神を信仰しているのかについて明らかにしてくれません。多様な声が聞こえるために、本人もどの神に魂を捧げるのかを迷っているのかもしれませんが」
「下手に神を拒むより、今の状態は危ういということですよね」
「ええ。だから、早く。せめて十八になる前に誓礼の儀を受けさせたいと私は考えています」
誓礼は唯一の神との間に守護と奉仕の契約を結ぶ儀礼のことだ。
「今年の夏が最後の機会です。私の父母ですら、どうしてここまでサレトナの誓礼を引き延ばしたのかがわかりません」
クレズニの語りには熱があった。サレトナのことを嘘偽りなく心配しているのだと、他人のタトエにすら伝わってくる。
だからこそ、次の言葉を告げるのには躊躇いがあった。
それでも言わなくてはならなかった。
「あの」
「はい」
「本人、いますよ」
気まずげに店の入り口を示すと、気まずげなカクヤと無表情のサレトナがいた。
二人は店員に声をかけられるとクレズニとタトエを示す。相席を頼んだのか、店員に案内をされるとカクヤはタトエの隣に座り、サレトナはクレズニの隣に腰を下ろした。
「兄さん? タトエと何をお話していたのかしら」
非の打ち所のない、完璧な角度でつり上げられた口角と笑んだ目でサレトナは問いかける。このままだとクレズニが悲惨なので、タトエは間に入ろうとした。
だが、その前に店員が注文を尋ねに来た。カクヤが答える。
「紅茶を二つ。冷たいのと、温かいので」
店員が去っていってから、クレズニは律儀に返答する。
「タトエさんには、貴方の話をしていただけですよ」
「人のいないところで、人の事情を勝手に話すの? 随分と不義理じゃない」
「やるべきことから逃げている貴方が言うのですか?」
普段の態度とは違うサレトナの厳しい語調と、クレズニのそれでも譲らない意思からは喧嘩になる雰囲気が漂ってきている。
いまだって、にらみ合いをしていた。
「まだロストウェルスに戻るつもりは無いみたいですが、誓礼はどうするのですか? このままで終わるはずがないことは貴方も分かっているでしょう」
「夏休みには一旦戻るつもりでした」
そこで、言葉を切る。
サレトナは居心地の悪そうなカクヤと会話にどうやって入り込むか悩んでいるタトエの手を強引に引っ張って、言った。
「ねえ。二人とも。ロストウェルスに来てくれない?」
「え?」
「え」
予想外の方向からきた振りに驚いてしまう。
まさか、友人の家族間の問題に引きずり込まれるとは思いもしなかった。自分にできることがあるのか、という戸惑いもある。
それでもサレトナから向けられる目は真剣だった。
「こちらの二人と、あと一人のことを私は心から信頼しているの。ロストウェルスで下手な護衛をつけるよりも、私の仲間達の方が腕も立つし」
「いや。でも、僕たちはまだ学生だよ?」
買ってくれるのはありがたいが、他人の命を預かるのはまだ荷が重すぎる。
タトエは再考を促すのだが、クレズニは反対しなかった。
「案外、それは良い考えなのかもしれませんね」
クレズニがカクヤとタトエに向き直る。
「カクヤさん。タトエさん。後日、正式にロストウェルスへの招待をさせていただきます。今日はこれまでにさせてください」
意見も反論も述べる間もなく、クレズニは一ロルも余分を残さずに支払いを済まして、席を立った。
カクヤとサレトナの紅茶が運ばれてくる。
くゆる湯気の奥でうつむきながら、サレトナが欠片の声をこぼした。
「ごめんなさい」
「いや。俺はいいよ」
「うん。僕も、まあ」
驚くことではあり、都合もつけなくてはならないが、迷惑ではなかった。
タトエが気になったのはいまいないもう一人の仲間についてになる。下手に蚊帳の外に置くと厄介なことになるだろう。
「ソレシカにも、お願いしてみるわ。でも、兄さんは本当に下手な話はしなかった?」
「うん」
サレトナはタトエの答えに安心を見せる。しかし、タトエの心境は反対だった。
中途半端な情報で終わってしまったが、サレトナの信ずるに値する神とは一体何になるのだろうか。
微笑しながら、サレトナとタトエは見つめ合う。互いに、ここでは言えないことがあるのは理解していた。
信仰、信条、理念。タトエは人の隠したいそれらを問い質して暴くことはできない。友人であろうとも、相手の魂については不可侵でいなければならないということを根深く教えられてきた。
聖職の家系であるために、強く刷り込まれていた。
第七章 平穏と罪業の変奏曲はいずれ 一括掲載版
-
URLをコピーしました!






