橙の髪が揺れる姿を一人で見るのは珍しい。
ソレシカは静観商路で歩くサレトナを見かけた。進む方向はセイジュリオではない。ソレシカがセイジュリオの図書館で本を借りた帰りに見かけているのだから、どこか別の場所へ向かっているのだろう。
「サレトナ」
「ソレシカ。どうしたの」
少し考えた後に声をかけると、サレトナはごく普通の様子で尋ね返してきた。ソレシカは手にしている鞄を見せながら言う。
「そっちこそ、こんなところを一人で歩くなんて珍しいな」
大抵はカクヤかフィリッシュ、ロリカと外出しているはずだ。そのカクヤも今日はセキヤと一緒に出かけるというのだから、サレトナは一人で済ませたい目的があるのだろう。
サレトナは曖昧な微笑を浮かべた後に、ソレシカに誘いをかけた。
「来る?」
「べつにいいけど」
どちらでも構わないという意味だったが、ソレシカはサレトナについていくことにした。アルスの治安は良いのだが、これから向かう場所も安全だとは限らない。
迷いなく進むサレトナだが、ソレシカは周囲に目を配る。見覚えのある道だった。光が陰り、空気が冷たく研ぎ澄まされていく。物乞いや貧窮の匂いはしない。だけれども、胸を張って真っ直ぐに歩くことも憚られる。
そうして目のついた看板に書かれている文字は「暗室喫茶ヨラズノベ」だ。サレトナは迷いなく扉を開ける。そうして、出てきた店員に何事かを囁いた。
今更ながら、ソレシカはついてきた判断を正しく思うと同時に、ある種の疑念も抱いていた。
どうしてサレトナの用事がこんなところにあるというんだ。
サレトナは奥まった席に案内される。その席にはすでに、青いマグカップを持っているレクィエがいた。
「よ」
「こんにちは」
「こんにちは。サレトナとはどういう関係ですか」
「守秘義務」
ソレシカの問いはさらりと流される。四文字の大義名分を出されてしまうと、強引に問い詰めることもできはしない。
レクィエの向かいに座るサレトナの隣にソレシカは腰を下ろした。盗難防止のために鞄は脇に置いておく。
「これがいまここにいてもいいのかい? サレトナ」
「はい。冷静な第三者の意見も聞きたいので」
「第三者かは疑問の余地が残るけど。まあ、話を進めようか」
レクィエはサレトナに向かって、白紙を差し出す。うっすらと字が透けているので、ソレシカがいることに配慮して書類の裏面を置いたのだろう。
紙の中心を指先で叩きながら、レクィエは言う。
「結論から言おう。サフェリア・ギーデンノーグは確実に埋葬されている」
いま出た名前はカクヤの幼馴染みだという少女のものだ。
「ただ、彼女の死因は不明のまま。周囲の口も固く閉ざされていて、裏付けを取るのは難しいな」
「カクヤがサフェリアさんの一件に関与しているというのは」
「それは間違いない」
とんとんと小気味よく進んでいく話を聞いている間に、ソレシカにもようやく筋が見えてきた。
「サレトナは、サフェリアとやらに起きた事件の犯人がカクヤじゃないかって、疑っているのか?」
「ええ。でもね、これが事件だとすると一番重要な要因が見つからないの」
一度、サレトナは言葉を切る。そして厳かに未だ明らかになっていない影を口にした。
「動機」
場が静まった。三文字の言葉が重く響く。
「ソレシカは、カクヤが誰かの命を奪ったまま笑える人だと思う?」
「それはない」
まだ出会って数ヶ月しか経っていないが、カクヤがお人好しだということはわかる。人を傷つけることによる快を見出すことなどできないだろう。
自分にとって大切なものを失ったのならば嘆き悲しみ、相手が大事にしているものを失ったならば悲痛に心を寄せられる。
それができる人なのが、カクヤだ。
だから、ソレシカはカクヤが無音の楽団のリーダーでいてくれて良かったと思っている。
「私もソレシカと同じ。でも、カクヤは自分は罪人だとどこかで考えている。それが、おかしいの」
「で、サレトナは俺に答えを、もしくは手がかりを見つけて欲しいと頼んできたわけ」
「大丈夫なのか? ロストウェルスに穢れは禁忌だろ」
穢れとは実際に染みつく汚れではなく、罪や悪徳に関わる行為をすることを指す。ソレシカから見て、いまのサレトナは危険な崖を綱渡りしているようだった。
だけれど、見返してくるサレトナの瞳には強い意思が宿っていた。
「わかってはいるの。でも、カクヤをこのまま放っておけないから」
「だけどよ」
ソレシカは眉根を寄せてしまう。アルスにいて穢れをまとってしまったら、サレトナはロストウェルスから勘当される程度ではすまないだろう。まだ、カクヤもタトエもそこまでサレトナがロストウェルスにとって重要な姫御子だとは気付いていなさそうだが、ソレシカは薄々察していた。
「さて、話を戻すか。他にわかったことはというと、サフェリアという存在は移層しているな」
「どちらの、上位存在にですか」
いままで流暢に話していたレクィエの口が閉ざされる。先ほどのサレトナと同じ間を作ってから、言い切った。
「天使だ」
「だったら、聖の摂理神が関わっている?」
「形態はそうでしょうね。でも、どの神、もしくは上位存在がサフェリアさんの事件に関与しているのかは不明なまま。レクィエさん、これ以上調べられますか?」
「できるところまではやってみるよ。俺も、気になるしな」
ソレシカはレクィエの言葉の終わりが気にかかった。これまでにはない意味合いを含んでいる。
それに、神が関わることに手を出せるというのならば、レクィエは何かしらのコネクションを上位存在との間に持っているというのか。
通路を店員が通り過ぎる。二つ前の席にカップを静かに置いた。
「では、これからもよろしくお願いいたします」
「報酬は期待してるよ」
ソレシカは席から外れて、サレトナを沈黙の楽器亭に帰すことにした。その後に続こうとしたのだが、レクィエに声をかけられる。
「なんすか」
「講評試合を見ていたけど。あんた、結構やるんだな」
「そりゃどーも」
「やってみないか?」
純粋な好奇心だった。
机の上に置かれたナイフから感じ取れるのは、無邪気な興味だ。鋭く研磨された刃先は触れるだけでぱくりと血を滲ませるだろう。
最近のセイジュリオでは叶わなかった闘争ができることに、ソレシカは僅かだが体内を流れる血液が熱を持つのを感じた。
「場所は?」
「ここの地下でいいだろう」
会話はそれだけだ。
レクィエが席を立ち、ソレシカは続いてヨラズノベの地下へと移動する。
地下は、想像以上に戦闘のための場所となっていた。地面は硬く敷き詰められた石畳でできていて、並ぶ建物は平屋ではあるが簡単な住宅街を模した造りになっている。気を抜いたら怪我をするだろう。
ソレシカは不似合いな荷物置き場に大事な本などが入った手提げ袋を入れた。
レクィエは中央で待っている。そこだけは広けた場所になっている。
空板を起動して、ソレシカは武器を呼び出した。清風に助言をもらって、改良を施した「赫欠牙・戒」になる。赤く暗い牙を向けても、レクィエは楽しげなままだ。玩具の仕組みを観察するような目をしている。
「それじゃ」
レクィエが投げる。空間に浮かぶのは、銀色に輝く「先陣の鐘」だ。
しばらく、ゆうらりと水面を漂うように浮かんでいた鐘は、突如、落ちると音高く鳴り響いた。
ソレシカは、先に斬りかかった。レクィエに左側に跳ばれてから、もう一度間合いを詰めようとするのだが、ナイフが頬を掠めて赤い血を浮かび上がらせる。拭う間もなく、ソレシカは右薙ぎの一撃を振るった。
だが、斧は見えない障害にひっかかった。瞬きをするまでもない差によって、レクィエの蹴りが腹に食い込む。
痛みはあった。だが、腹筋に力を入れて、相手を留めると先ほど振り下ろし切れなかった斧を垂直に落下させる。ぷつりという感触がして、先ほどまで不可視だった正体が見えるようになった。
糸だ。普通の戦闘使用ではないだろう。魔術か魔法による加工がなされている。そうではないと斧を食い止めるなんて芸当はできないはずだ。
レクィエの主な武器はナイフと糸だと察して、ソレシカはまた距離を作る。しかし、待っていたら逃げられて不利になる。
ソレシカは再び、右側でナイフを弄んでいるレクィエに斬りかかった。斧の刃は当たらない。だが、跳ばした衝撃の波はいささかレクィエに手傷を負わせたようだ。表情がさらに楽しげなものへと変わる。
レクィエは穴の空いた屋根に上がるとナイフを四本、投擲してきた。ソレシカは斧によって短い牙をやり過ごす。
上と下からにらみ合いながら、膠着状態に陥った。ソレシカはレクィエほど身軽に屋根には上がれない。ならば、土台を破壊すべきかと手持ちの技を計算していく。
それではつまらないと考えたのか、レクィエは降りてきた。そして、瞬時に地を蹴り上げる。突進してくるレクィエにソレシカも逃げることは選ばなかった。
激突する。
ソレシカの斧はレクィエの左腹に叩き込まれ、レクィエのナイフはソレシカの肩を抉った。勢いに任せて吹っ飛ぶレクィエに、肩の痛みをこらえながらもソレシカは近づいていく。
だが、レクィエも衝撃をある程度は抑えたのか、即座に身をかがめてナイフを構える。
「これくらいにしておこうか」
「まだやれるぜ?」
互いに笑みを浮かべたまま、軽口をたたき合う。先に武器をしまったのはレクィエだ。
「俺がやなの。手の内を明かしたくない」
「なら、そっちの降参負けな。なんか見返りないの?」
冗談で言ったつもりだった。
レクィエは服を整えながら返してくる。
「何でも一つ、あんたが困ったときに助けてやるよ」
「太っ腹だな」
それは結構な借りになる気がしたが、ソレシカも突っ返すことはしなかった。
レクィエが持っていた応急手当の道具によって、肩の怪我の治療をされながら、ソレシカはぼやいてしまう。
「サレトナを待たせとけばよかったな」
「癒やしの力は使いすぎるとよくないぜ」
終わり、と肩を叩かれてからソレシカはヨラズノベを出ていった。レクィエはまだ地下ですることがあるらしい。
一人の帰り道を歩きながら、ソレシカは先ほどの戦闘を思い出していた。
すごく強くはなかった。だけれど、セイジュリオの学生を相手にしているのとはまた別の迫力と、危機感があった。
視線をくぐり抜けた場数というものだろう。レクィエは命を賭けて戦い、勝利し、生き延びてきた。
「俺も、もっと強くなんないとな」
ソレシカは腕を伸ばす。
痛かった。あでで、とよろける。
第七章 平穏と罪業の変奏曲はいずれ 一括掲載版
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