戦歌を高らかに転調は平穏に 一括掲載版

 雨が多い季節である雨月だが、ユユシとの試合の翌日も空は快晴だった。
 昨日に試合があったために、無音の楽団もユユシも試合の予定がなく、ゆっくりと他のチャプターの講評試合を見学することができる。
 カクヤもセイジュリオに登校して、朝礼を終えるとすぐに試合会場へ向かった。タトエはアユナや万理と共に試合を見にいき、ソレシカはいつの間にかどこかへと姿を消していた。
 だから、カクヤはサレトナと一緒に講評試合会場を見て回っている。その途中で清風とルーレスにも会い、どうせならと四人で行動することになった。
 冊子を片手に持ちながら、いま試合をしているチャプターを確認する。一年生を中心とした「天覧の明」と二年生によるチャプターの「バーニングロード」が「青雪崩し」をしているようだ。青雪崩しとは、雪合戦のようなもので、各所に配置された武器を選び、相手の陣地にある雪の壁を崩すといったものらしい。
 会場の外に組まれた低い塀から、試合の様子を眺める。
「一年の奴ら、がんばってんなー」
「あちらも勢いはあるけれど、やっぱり崩しあぐねているみたいだね。ほら、また補強されている」
 バーニングロードは果敢に攻め立てているが、天覧の明も意地を見せているのか、中々崩落とまではいかない。とはいえ、天覧の明も攻めに回れないために、どうなるかはまだ不明だ。
 外から見ているだけでも趨勢がわからないというのに、内側で戦い続ける過酷さはいかばかりだろう。しかし、天覧の明に属する学生達の目から光が失われていない。いまは守備に回っていようとも、いつか好機が訪れると信じている。
 そして、期待は裏切られることはなかった。
「ねえ、あの辺り」
 サレトナがバーニングロード側の雪壁を示す。清風も目の上に手を当てて日差しを遮りながら、上半身を伸ばした。
「やるねえ」
 にやりと、笑う。
 天覧の明は仲間を分けていた。たった一人が、破壊された雪壁の隙間から出てきたかと思うと、バーニングロードの雪壁に突撃する。手にしている剣には炎が揺らめいている。気付いた二年生が行く手を遮ろうとするが、一年生はさらに加速し、雪壁を一閃した。
 歓声が沸く。一年生からしてみれば快挙だろう。
 セイジュリオは学年同士で対立していることなどないが、やはり巨人を倒すということは嬉しい経験だ。
「ロスウェルちゃんは無防備なところに単騎で突進されたらどうする?」
「私だったら残りの守りを硬くするけれど。突進されたところが今回みたいに、要の城だったら厳しいわね。その後は逃走か屋内戦だったら、屋内戦で撃破を選ぶけど」
「なかなか過激だね」
「そういうコトアさんは?」
 サレトナに切り替えされ、ルーレスは考え込む。慎重な性格をしているために、返答も気軽にはできないようだ。
「確かに、敵が一体や少数なら潰した方が安全だろうね。ただ、もしその少数が周辺一帯を巻き込む自爆装置とかを仕掛けているとしたら」
「そうなったら、より早く相手を一掃しないといけなくなるわね」
「うん。僕の祖父の祖父は、その手段で敵にしてやられたと聞いたから」
「暴風歴の頃の話かしら」
 眉一つひそめずに冷静に話すルーレスとサレトナを、カクヤは苦みのある果実を噛み砕いた顔で見てしまった。
 偏見ではない。
 二人は血で地を濡らす争いを聞いて育ったという事実を突きつけられて、目をそむけられないことが眩しかった。
 清風は特に表情を変えることなくカクヤに向かって囁く。
「妬いてんの?」
「まあな。俺が入れない、共通の話題だからな」
「あはははは」
 清々しく笑われたので、カクヤは今度こそ苦り切った顔で清風をにらみつけた。対する清風は機嫌がよい。
「安心しろ、俺はカクヤが多少態度が悪くったって、嫌いになんかならないから」
「はあ?」
「誰だって、いいこともいやなこともあんのに、他人のためにその感情を無視すんのはよくないってこと。カクヤ、そういうところあるから、結構皆気にしてたぜ」
 自身の抑圧を見抜かれていたことに、多大なる羞恥を覚えた。
 決して、他者に対して気を遣っていたわけではない。サフェリアの一件以来、カクヤは周囲に対して自身の感情をさらけ出すことを抑える癖が身についただけだ。しかし、そうして負の感情をやり過ごせていたかと思えばそんなことはなく、反対に「この子、大丈夫かしら」と心配されていたことを教えられて、申し訳なさを抱く。口の内側の肉を食いちぎりたいくらいの恥だ。
 頭を抱えるカクヤに対して、清風は気楽に肩へ腕を回す。さらに叩いてくれまでした。
「実際、ロスウェルちゃんと何かあったんだろー。それで心の氷を溶かされたんだろー」
「そんなことあるか!」
 勢いあまって怒鳴ると、サレトナとルーレスが振り向いた。
 不思議そうな杏色の瞳に直視されることに耐えられず、カクヤは清風を引きずりながら、去ることにした。
「店見てくる!」
「いって、らっしゃい……?」
「僕は林檎飴があったら欲しいな」
 袖の下を要求しながらも察してくれたルーレスにモザイク模様の感情を抱きながら、カクヤは清風と一緒に講評試合会場を出ていった。校舎まで繋がる道の脇に並んでいる屋台を見て回る。
 林檎飴の屋台は、三つ先にあった。ルーレスに言われたとおり、一つだけ買っておく。
 清風はカクヤの隣でこきこきと首を回しながら、相変わらず機嫌のよい表情を浮かべている。カクヤは怒るのにも疲れてきたので、売られている品物を眺めていた。
 講評試合が開催されている期間中は売店は閉められて、学生食堂も場所の貸出だけされるので、遅い朝食と昼食、早めの夕食のために屋台が並ぶ。宿泊街に近い英断商路やセイジュリオの南にある静観商路が協力してくれると聞いた。
 清風は途中で肉まんを四つ買う。袋の中から湯気が漂っていた。
「あちち」
「大丈夫か?」
「アラタメさん」
 聞き覚えのある声のした方向へ振り向くと、クレズニとレクィエがいた。
「どうもです」
 軽く頭を下げる。清風から目で「知り合いか」と尋ねられるので、頷いておいた。
「今回はチケットをありがとな」
「俺じゃなくてサレトナですよ」
「クレズニはそうだろうが、俺の分は君からだろ? チケットに供与責任者の名前が書いてあったぜ。俺がもし、悪いことをする人だったら大変だよ」
 レクィエに明るく指摘されるが、カクヤは不思議だった。レクィエもカクヤの反応をいぶかしんでいる。
「レクィエさんは、悪いことはしないでしょう」
 カクヤが素直に言うと、レクィエは目を丸くした後に笑い出した。隣にいるクレズニも驚くほどの、笑い方だった。
 道の中央を塞ぐのは邪魔になるので、端に寄りながら、話をする。
「あの、お二人はカクヤとどういう関係で?」
「申し遅れました。私は、サレトナの兄のクレズニ・ロストウェルスです。カクヤさんにはサレトナのことを頼んでいる最中でして」
「なるほど。だったら、あなたもロスウェルさんなんすね」
 清風の言葉に今度はクレズニが頭に疑問符を浮かべていた。カクヤはそろそろ、清風は大物なのではないかと確信し始めている。同級生の兄を愛称で呼ぶというのは大変勇気のいることだというのに、さらりと成し遂げた。レクィエも楽しそうに見守っている。
 クレズニとレクィエも大体屋台を見終えたというので、サレトナとルーレスのところに戻るのに、一緒に行くというので講評試合会場へ戻っていった。
 試合は講評に入っているのだが、サレトナとルーレスはまだ話をしている。雰囲気と聞き取れる単語から、聖魔法術に関することのようだ。
 真面目だと、感心してしまう。
「おーい」
 カクヤが呼びかけると、サレトナがはっとして振り向く。
「あら、兄さんとレクィエさんまで。どうしたの?」
「観覧チケットをくれたのは貴方でしょう」
「それは覚えているわよ。でも、私たちの試合は今日はないの」
「次はいつですか?」
 「明後日ね」とサレトナが応えると、クレズニは神妙な様子で頷いた。
「わかりました。改めて、観に来ます」
 サレトナも同じくらいの真面目さで了承する。レクィエがその様子を楽しげに見守っているのに気付くと、清風は肉まんを渡しながら言った。
「仕事みたいな会話っすね」
 レクィエも肉まんを受け取りながら答える。
「そうだろ。仲は、悪くないみたいだけどな」
 清風に対して、ソレシカを相手にした時よりもレクィエは丁寧に話をしていた。その様子から察するに、ソレシカとは純粋に馬が合わないと感じ取ったのだろう。
「一人だけで見たら、サレトナとクレズニさんはなんか違うんですけど。二人で並ぶと雰囲気は近くなるんですよね」
 決して、二人は似ている兄弟ではない。
 印象で言うのならばサレトナは祠に祀られた氷で、クレズニは渓流の清純な水だ。近しくはあるが性質は全く違う。
 色合いも異なる兄妹を眺めていたのだが、いつの間にかクレズニはサレトナとルーレスが先ほどまで交わしていた聖魔法術談義に加わっていた。
 会話の端々を聞き取るのだが、単語の意味すらもすでにカクヤにはわからない領域に入っている。清風も同じようだ。
「何の話をしているのか、もうさっぱりわからん」
「はは」
 レクィエは軽く笑った。クレズニの肩を叩く。
「ほら、そろそろ行くぞ。この子達も忙しいんだから」
「そうでしたね、すみません。貴方の箱魔法の理論が見事でしたので、つい夢中になって聞き入ってしまいました」
「いえ、こちらこそ。僕はルーレス・コトアといいます。良ければ、空板でつながってもらえませんか?」
 ルーレスは珍しく目を輝かせながら空板を起動した。サレトナとクレズニと、三人で宿り木を登録する。無事に完了した音を聞きながら、変わらずきらきらとした瞳でルーレスはクレズニを見上げていた。
 ルーレスは慎重な性格をしているので、自分から誰かと繋がろうとするのは滅多にないことだ。クレズニとはよほど、相性がよかったらしい。
 クレズニとレクィエが一礼をしてから立ち去ると、ルーレスはサレトナに向き直った。
「ロストウェルスさん。君の兄君は、すごいね。この言葉が陳腐になるくらいに、素晴らしいよ」
「そう?」
 いきなり兄をべたべたに褒められて、サレトナがたじろいでいる。話の内容を理解できなかったカクヤにはクレズニがそこまですごいということもわからない。
 ルーレスは遠ざかる背中を見送りながら言う。
「聖法と魔法を両方扱えるだけじゃない。法、というものの本質をあの人は的確に抑えている」
「へえ」
「はあ」
「ううん」
 カクヤと清風が気のない返事をし、サレトナが困ったように短く声を上げると、もどかしそうな表情をルーレスは浮かべていた。お気に入りの本の面白さが伝わらないのは、自身の説明が足りないのか相手の知識が足りないのか、測りかねている。
 カクヤはクレズニ本人については、まだ知らないことが多いのだと自覚する。
 今度、落ち着いて話をしてみたい。そうしたら、サレトナへの態度が厳しい理由も聞けるかもしれない。
 そういったことを考えていると、急に清風から肉まんが三個入った袋を押しつけられる。理由を尋ねる前に、清風は早足で歩き出していた。走らないのは周囲にぶつからないための気遣いだろう。
「野暮用ができた! もらってくれ」
 そのまま消えていく背中をカクヤとサレトナ、ルーレスは何も言えずにただ見ていた。
「まあ、折角だから」
 袋に手を入れて、ルーレスは肉まんを一つだけ取る。また、どこかへと歩いていった。
 一体何事かと思いながら、二つだけ残った肉まんを見つめる。その後はサレトナと目が合った。
「どこかで食べましょうか」
「そだな」
 試合終了の合図に合わせて、カクヤとサレトナも講評試合会場から離れていった。

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