戦歌を高らかに転調は平穏に 第十七話

「だから。カクヤは、セイジュリオに。アルスに来たかったの?」
「ああ。さすがにきつかったからな。憎まれ続けるのは」
 ルリセイも不便な街ではなかった。アルスほど裕福ではないが、ごく普通に一生を終えるには十分な街だっただろう。
 だが、気遣いという薄皮の下に恐怖や蔑視を滲ませられた環境で過ごせるほど、カクヤはたくましくなかった。
 アルスに来て、セイジュリオに入学して、数多くの人に指摘された。
 カクヤの抑圧。傷。
 それらは全て繋がっている。
 サフェリアを守れなかったということ。
 自分が、もしかしたらサフェリアの命を、何かしらの方法で奪った可能性があるということ。
 他者の想像によって、自身は受容されるべき存在ではないと、思い知らされたこと。
 鋭い妄想の針が、荒い奇異の眼差しが、きりきりきり、ざくざくざくと、カクヤを追い詰めていった。
 自分は婚約者になるかもしれなかった少女一人すら守れなかった。挙げ句の果てに、最も疑わしき者として無言の責め苦を受けることになった。
 アルスに、セイジュリオにいる人たちはそのことを知らない。だから、呼吸することも笑うことも許された。
 そういう気になっただけなのかもしれないが。
 カクヤは視線を落としたまま、口元を苦く緩ませる。
 サレトナは沈黙したままだった。沈黙の意味は不明なままで、カクヤはようやく、自分の本音と向き合う機会を得た。
 サフェリアのことをサレトナに知られたら、いままで向けられていた柔らかな笑顔も、優しい温もりも、全て失うことになる。
 だから、言えなかった。言いたくなかった。
 過去からは逃げられないというのに。逃げられない以上、過去に対してできるのは、隠すことだけだ。
 だが、その行為すらも不誠実だとしたら、自分はどこに行けばいいんだろう。
「サフェリアさんが」
 カクヤはいままで伏せていた、瞼を上げる。サレトナを見つめる。
 サレトナも、カクヤを見つめて微笑んでいた。
「もし、命を落とすことがなかったら。私とカクヤは、一度でも出会うことはなかったのね」
 告げられた言葉に、カクヤは返すべき言葉を失った。
 思い出す。まだ半年も経っていない、冬の終わりと春の始まりの狭間の季節だ。期待と不安に揺れながら、カクヤはサレトナと出会った。
 サレトナはどの線を辿ることになっても、アルスに来てセイジュリオを受験しただろう。だが、カクヤはサフェリアのいなくなった道の果てに、アルスとセイジュリオに進むという選択をした。
 サレトナは続けていく。
 ほろほろと溶けるようで、一層に残酷な言葉を、カクヤに笑顔で伝えてくる。
「私はね、カクヤが知っているよりもひどい人なの。だから言うわ。カクヤと出会えてよかった。カクヤが人の命を奪った結果として、ここにいてくれることに感謝すら覚えるの。私と出会うことのなかった綺麗なカクヤよりも、私と出会ってくれた、血に手を染めているカクヤの方が、ずっといい」
 紡がれるサレトナの声は、常と変わらず凛としながらも、端々に甘さが滲んでいた。
 首を小さく傾げて、両の手の指先を顔の近くで合わせながらにこりと微笑むサレトナに、カクヤは伝えるべき言葉を探す。
 それは、違うということもできた。
 恐れによって、嫌悪することもできた。
 だけれどカクヤがサレトナから与えられたのは、言葉では定義しがたい救済だった。
 いまの自分はきっと、さぞ滑稽でおかしな笑みを浮かべている自覚はあった。
「それが、ご褒美?」
「違うわ」
「よかった。ときめきすぎて、心臓が止まるかと思った」
 カクヤの冗談めいた本気の言葉に、二人揃って声を上げて笑った。傍から見ているだけなら、朗らかと言えただろう。
 だが、次の瞬間には二人とも笑みを消した。

「いいの? 私で」
「いいのか。俺で」

 問いは一瞬だ。
 答えを出す時間も、一瞬しか必要としなかった。
 カクヤは椅子から立ち上がる。サレトナの前に立ち、未成熟の聖女に向かって手を差し出す。
 サレトナも手を伸ばして、カクヤの手をつかんだ。椅子から離れて、立つ。正面から向かい合った。
 顔をわずかにうつむかせながら、カクヤは少しずつ、指を動かしていった。サレトナと手を繋ぐ形から、丁寧に寄り添いながらも強引に絡み合うようにして、カクヤはサレトナの指の間に自身の指を差し込んでいく。
 脆く、儚く、だけれど強く。
 カクヤとサレトナは初めて、手を繋いだ。
「いた!」
 びくっとした。
 慌てて、カクヤはサレトナと繫いだ手を後ろに隠しながら、向かってくるタトエに目を向けた。
 どうやら、アユナでもソレシカとマルディは抑えきれなかったのか、二人から逃げ出してきたらしいタトエが駆け寄ってくる。その後を早足で追いかける、ソレシカとマルディも大分怖かった。
 さらに、食べ終えたのかフィリッシュやロリカ、ルーレスやクロルたちまで連れてきて清風がやってくる。
「よっ! お二人様で何してたんだー?」
「べーつに」
 カクヤは清風に向かって舌を出す。まだ、サレトナの手は放したくなかった。
 だけれど、サレトナは手をもどかしそうに動かすので、大変心惜しく思いながらも、指をなぞりながら自由にさせた。
 どん、と一度だけ背中を強く叩かれることによって、カクヤはサレトナに抗議された。先ほどまでの甘さは欠片しかない。
「なあなあ、終わりに甘茶配るんですってー。いきましょ」
 万理が呑気に呼びかけてきたので、一同は揃って、試後祭の締めとなる甘茶をもらいにいくことになった。
 結局はいつもの日常に戻っていく。
 そのことに、安堵と些少の残念さを覚えるが、カクヤはこれでよいと思うことにした。
 許されなくとも。罪を抱えていようとも。
 カクヤ・アラタメを恋うてくれた人がいる。
 それ以上に何を望むのか。
 カクヤは後ろを歩く。タトエの小さな背中を前にしていると、さらに後ろにいるサレトナに服の袖を捕まれた。
 振り向く。
 サレトナの真一文字に引き結ばれた唇と、うすらと見える赤い頬が全てを教えてくれた。
 カクヤは少しだけ、歩みを緩めてサレトナの隣に並ぶ。
 指を、一本ずつ、折り重ねていった。

>第六章第十八話



    • URLをコピーしました!

    この記事を書いた人

    不完全書庫というサイトを運営しています。
    オリジナル小説・イラスト・レビューなどなど積み立て中。

    目次