白面症

 同級生である七高桐さんのノートは小さい。
 皆さんが提出する縦二十五センチメートルほどのノートの山に紛れることなく、最後に「七高」と呼ばれて、他の人と比べて三分の二くらいしかないノートをちょこんと置く。そのまま先生はノートの授業で使われた二十冊のノートを持っていってしまう。
 だから、私は七高さんのノートの中身がいつも気になっていた。ノートを使用しなくていい他の授業ではタブレットで授業内容を筆記する方が多い中で、七高さんはいつも小さな長方形のノートにペンを走らせていた。私も授業を聞きながら、タブレットを静かにたたきながら、隣に座っている七高さんのノートに弱い視線を送る。気になる。
「どうしたんだ」
 囁き程度の声をかけられた。
 初めての反応に驚いて、声が上手く出ないけれど、モニターに視線をやってから思いの丈を私も小さな声で告白する。
「七高さんのノートは小さいから。どうしてかなって」
 隣の席になって一ヶ月、ようやく気になっていたことを言うが、七高さんは何事もなかった。
「俺は白面症だから、白いところが広いと読み書きできないんだ」
 はくめんしょう。初めて聞いた。
 七高さんは平面だったノートの片面を持ち上げて、丁寧な文字とかわいい何かのマスコットが出てくるノートを見せてくれる。この機会を逃してはいけないと、私は数学の公式を暗記するよりも真剣に眺めた。
「たまに出てくるこの子はなに?」
「まのさ」
 よくわからない生き物だ。耳が三角で胴長でふくよかだ。不思議とにくめない。
「ここから水属性の定理解剖に入ります。七高さん、水属性を数学的に解剖した場合の最低比率を答えてください」
「はい。数学的に水属性と計算されるには、二千百十三年にバージョン三から持ち込まれた『ヴァッサー比率アハト』、つまり八以上の属性を水に割くことになります」
 惚れ惚れとする答え方だ。ノートから移動して七高さんの横顔を見つめてしまう。
 いまの世界では珍しい黒の絹糸みたいな髪に、焦げ茶の目と普通の高さの鼻。最強の保健委員と呼ばれるだけはある、端正さだ。
 慌てて自分のタブレットに「ヴァッサー」と打とうとして「ばさー」になってしまった。
「私も七高さんみたいなノートにしようかな」
「おすすめはしないよ。消す物が必要だし、なにより高い」
 普通の中等部に通っている子供が買うにしては贅沢品だ、と言われた。それは七高さんが自分を少しだけ責めているようにも聞こえた。
 いまノートの授業で使われているノートは特別に安くしてもらっているのだと、裏の世界の情報を一つまた教えてもらう。七高さんはいろいろ知っている人だ。
 あと七高さんは「白面症」の正しい漢字と症状も教えてくれた。いま吊り下げられているモニターや普段私たちが使っているノートほど広い面積の白いものを目にすると、どこに何を書けばよいかわからなくなるそうだ。
 言われたとおり、七高さんは口述はしてもモニターでの筆記を指示されたことはなかった。あとクラフトの授業でもいつも小さなものばかり描いていたし、作っていた。
 タブレットも範囲が広すぎるから使えない。
 随分と、不自由だ。
「大変なのね」
「いや。大変じゃないよ。助が学校に説明してくれたから、配慮されている」
「たすく?」
「俺を育ててくれてる人」
 小さな声で会話をしながら、一生懸命タブレットに記述していたけれど、もう一度見た七高さんの横顔は優しかった。
「俺が広すぎるノートだと萎縮して書けないってわかったら、助はなんとかしてくれた」
 私は思い出した。
 それはまだ入学して間もない頃の話になる。

 緑羽学校中等部に似合わない大人と廊下ですれ違った。
 変な言い方だけど、似つかわしくない、ではなく、似合わないがしっくりとくる男性だった。黒いスーツに紫紺のネクタイをしっかりと締めて、職員室に行った男性は新しい先生なのか、それとも商談に来たのかと、私はつい後を追ってしまった。男性は途中で七高さんと合流して、職員室に入ってしまった。
 いま思えばとんでもない話を聞いたものだ。
 案内された応接室ではない。教師全員が揃っている職員室で、男性は滑らかに話し出したのだ。
「桐は白面症であり、定型のノートや画用紙が使えません。その点に関してはご理解と、場に応じた対処をお願いします。他の生徒が定型のノートなのに桐は小さなノートを使うことは、桐も納得しています。これは差別ではありませんし、優遇でもなく、区別として受けとめてください。桐は学べる子です。ただノートの大きさが違うだけで、その学びの機会を変えないでください」
 そうして、了解をもらってから七高さんと一緒に頭を下げた。
 許可が出なかったら頭なんて下げなかっただろうな、と話を背中に聞きながら思ったものだ。

 忘れていた記憶はすっかりよみがえった。
 七高さんの親、ではなく保護者だと強調して説明された人のおかげで七高さんはどの授業も小さなノートを使っている。
 成績が良いのはテストが返却されるときに、前半で呼ばれて返されているから誰もが察している。
 私以外の他の生徒も不思議雄にはしているが、誰も七高さんのノートのことを責めたりからかったりはなかった。もしかすると、私はよく知らない学校が似合わないスーツの似合う男性がいるからかもしれないが。
「筋だけは通しておくこと。それが、助の口癖だからな」
 他の人と違っているのはいい。だけど、その違いを理解してもらうのは諦めてはいけない。他に例がなかったら自分がなればいい。
 そこまでは言わなかったけれど、そんな雰囲気を感じたところだ。
 鐘が鳴る。授業が終わる。
 小さなノートが閉じられる。
「いいお父さんなのね」
「柾さんほどじゃないけどな。尊敬している保護者だよ」
 私は自分のタブレットを見つめる。気に入っているパステルグリーンのカバーに包まれたホワイトタブレット。
 他の人たちもタブレットが多いけれど、でも誰も、七高さんのノートを異端だと火にかけたりはしない。アナクロなのが格好良いと、私みたいに思ってすらいるかもしれない。
 お小遣いを貯めてお気に入りのノートを買おうか、なんて私も考えた頃だ。

 七高さんは数年後、保護者である助さんといなくなった。
 それを知った私はいまこのタブレットのテキストを四年ぶりに開いた。
 泣いた。

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