奏で始めて新たな音に出会うから 第八話

 正直なことを言おう。
 こんなに注目されるものなのだろうか。
 まさか、タトエという見目麗しい少年を巡って、男二人が鍔迫り合いなどと思われているのではなかろうか。
 カクヤは戦闘開始の合図を前にしながら、呑気にそんなことを考えていた。それでも、本人としては本気である。修練場の端々にいる学生たちから興味深そうな視線が注がれているのだが、これほど見られるとは思っていなかった。
だからこそ、ソレシカの提案に乗ったというのに。
 小さな街で育ったカクヤは大衆から注目されることに慣れていない。それで萎縮する性格はしていないが、やりにくい。反対に、ソレシカは堂々としていた。斧を構えて不敵に笑っている。
 カクヤとソレシカの間に立つ、赤髪の教師、ローエンカ・タオレンが審判をするという。
右手を上げた。
 ここまでくると考えても仕方がない。カクヤは腹をくくる。ソレシカも前傾姿勢を取りながら、自身を研ぎ澄ませていた。
「はじめ!」
 一瞬だった。
 声が響くと同時に、ソレシカが一気に距離を詰めてきた。
 カクヤは大振りの一撃を右によける。振り向きざまにソレシカに一刀を喰らわせようとするが、高い音がして食い止められ、競り合いになる。
「武器が重いからって、反応が亀だと思うなよ?」
「つーか、象だろ」
 ソレシカの一撃は、目を見張る速さと言うほどではないが、重い。当たると即座に手負いになるだろう。
 カクヤもソレシカを押しのけるために、刀へ力を込める。だが、ぴくりとしかしない。
 バランスを崩される前に、息を合わせるようにして、後ろに飛んで二人は離れた。
 いまの攻防だけでわかる。
 ソレシカは、カクヤよりも強い。
 だからといって一方的に負けたくもなかった。
 ソレシカはいまだ間合いを測っている。カクヤはその間に、聖歌で力か速度を上げてしのぐか、攻めに出るか逡巡する。
 聖歌自体は数秒で済む。だが、その間に狙われる危険性を考えて、攻めの一手を取ることにした。
 カクヤは空いているソレシカの右側に回る。それから、ソレシカではなく目前にて刀を振った。普通ならば目を奪われる。動きが止まる。返す刀を向けようとしたのだが、ソレシカは動きを止めずにカクヤの首筋に向かって斧を突く。
 カクヤはそれをしゃがんで避けると、一気に跳び上がった。くの字を切るようにして、刀を振るう。
「緋閃!」
 カクヤの攻撃を受けて、ソレシカの服が破れる。だけれど、ソレシカは笑っていた。昂揚を噛みしめるようにして。
「セカンドスタート!」
 次の主役はソレシカとなった。
 反撃は、正面から速度が乗った一撃が重くのしかかってくる。カクヤは刀で受けながらも、力で押し返して、どうにか弾く。とはいえ衝撃は体に残った。
 まだ終わらずにいるソレシカの二撃目は、横薙ぎだ。今度はまともに受けて、体が跳ぶ。反射で取った受け身によって、転がる事態には陥らなかった。
 カクヤは立ち上がり、これまでのソレシカの動きを振り返る。
 斧といったら大ぶりな一撃が目立つが、ソレシカは堅実だ。間合いや攻撃の後の隙が少ない。斧は振られた後が反撃の好機だということを本人も理解しているのだろう。だから、派手さを取らなかった。とはいえ、当たると一撃で危地に陥るのは変わらない。
 いまだ余裕のソレシカは左手で招いてくる。
「なんだよ。一気にこないのか?」
「意外にお堅いから、アプローチに悩むんだよ」
「そっちこそ、案外慎重派なんだな。まあ、時間がないから片を付けにいくぜ?」
 ソレシカは斧を上段に構える。明らかな誘いであり、隙であり、余裕であり、同時に技の前兆だ。
 カクヤは振り下ろされる前の先手に賭けた。
 駆ける。
 だが、ソレシカはカクヤの刀が届く範囲の外で斧を振り下ろした。
「落水ノ絶」
 空中で留まった斧から、周囲に衝撃の波が走っていく。あらかじめ結界が張られていたのか、戦場の外に被害が向かうことはなく、カクヤとソレシカだけを襲っている。
 カクヤは三重に襲いかかってくる波の勢いに吞まれそうになるが、強く床を蹴った。肌と服を切りつけられながらも、ソレシカに迫っていく。
「乱火!」
 刀に火を灯し、向かってくる波とソレシカを切り裂こうと両手で振るいかける。それを見たソレシカは、初めて驚きの表情を見せた。斧を完全に下ろして、カクヤの攻撃を初めてかわす。
 波は終わった。あとは凪だけだ。
 カクヤがいまだ戦意を失っていないでいると、ソレシカはべしゃりと座り、両手を挙げた。
「こーさん」
 いきなりの敗北宣言だった。
「勝った気がしないな」
 ソレシカはまだ戦えるというのに、わざと負けてもらった気持ちになる。苦い思いを噛んでいると、声が響く。
「それは言うな。敗者を愚弄することになる」
 遙か彼方から届く声だった。静寂の中に落ちる、一滴の透明な水の美しさだ。
 しかし、周囲にいた学生たちも誰がその言葉を告げたのかは不明なようだった。声の主はわからない。
 サレトナとタトエが、カクヤたちのところに駆けつけてきた。
「カクヤの勝ちなんだよね」
「ああ。勝たせてもらったと言いたいほど、ソレシカは強い」
「そうだろ? チャプターに入れて損はさせないぜ?」
 敗者の余裕をもって、ソレシカは片目を閉じて自信のほどを見せつけてくる。
「それはよくわかったわ」
 サレトナはカクヤとソレシカに、癒やしの魔術を唱える。
「かつてあった時を取り戻す、花一滴」
「おお。痛みが引いた」
 元気に右腕を振り回すソレシカの様子と、カクヤ自身もひりつくような痛みが消えていることから、サレトナの治癒魔術の優秀さがわかる。
 それを褒めながらも、内心では疑問が湧き上がる。
 どうして、人を癒やせるのに自身を傷つけるのか。いまはまだ問えもしないけれど。
 そこで一段落すると、ローエンカが近づいてきた。
「これでチャプターは決まったんだな」
「はい」
「だったら、この紙にそれぞれ学年とクラス、属性を書いて。あとはチャプター名とリーダーを決めること」
 カクヤは黒のクリップボードと挟まれた紙を渡される。
 それぞれの名前と学年、クラス、属性は書けた。リーダーのところはソレシカの手によって、カクヤの名前が書かれた。「なんだよ」と言ったら全員が納得していたので良いことにされた。
「あとはチャプター名だけど。頼むぞ、リーダー」
 押しつけられているなあ。
 そう思いつつも、サレトナが楽しそうに笑っているから良いことにした。
 カクヤはチャプター名を、考えてから記す。

 【無音の楽団】

 それで良いかと、問いかければ頷かれた。
「うん。私はそれで、いいと思うわ」
 ソレシカとタトエも納得したというので、ローエンカに提出した。安心したように受け取られる。
「はい。承諾っと。これからがんばりんさいよ」
 どうやらカクヤたちが最後のチャプターだったようだ。今日の行程は終わり、全員が帰宅することになった。修練場を出て、歩きながらタトエがソレシカに尋ねる。
「ソレシカはどこに下宿しているの?」
「グース・ド・レールだけど、タトエたちのところに空きがあるならそっちへ移る」
 また一人、沈黙の楽器亭の仲間が増えることになった。それに対して、サレトナは嬉しそうに笑う。
「これから皆で過ごすのね。楽しくなりそう」
 内容としてはただの期待に聞こえるだろう。
 だけれど、その時のサレトナが浮かべていた表情に、光だけを見つめる瞳に、カクヤもタトエも、ソレシカも何も言えなくなった。
 サレトナには当たり前が遠い。一時ではなく、共同体として楽しく過ごすという時間を、あまり知っていない。そのような疑念が生まれる。
 目の前の少女に眠る未知に対する憧れという、美しい怪物の存在がカクヤたちの胸をよぎった。


第二章第九話



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