奏で始めて新たな音に出会うから 第四話

 そして、カクヤたちは休憩と昼食を兼ねて「カモノハシの涙」という喫茶店へ並ぶ。
 カモノハシの涙は甘味を中心としながらも軽食も扱う、アルス以外の地域でも有名な喫茶店だ。それでも店の回転は速いらしく、十分ほど並んだあたりで入店できた。
 窓際の席に案内されて、サレトナとタトエが二人並んで座る。カクヤは椅子に一人だけとなった。
 サレトナとタトエはメニューを開き、息を吞む。声を出すことも忘れて悩んでいた。カクヤもその気持ちはよくわかった。
 自分も初めてこの店に来たときは、まったく同じであったためだ。
 悩む二人を微笑ましく見つめながらカクヤは自分のメニューを選び終える。すでに心は決めていた。
「サレトナはどれで悩んでいるの?」
「チョコレートのスリーピースと、はるみかんのケーキのどちらにしようかしらって」
「はるみかんのケーキを分けるから。チョコレートを少しもらっていい?」
「ときめく提案ね」
 密談を繰り返す二人にカクヤの口角がまた上がった。すでにこの店の味を知っている身としては、十分に楽しんでもらいたい。
「サレトナたちは仲がいいな」
「タトエは優しいもの。誰かさんと違ってね」
 メニューを閉じて言うサレトナに痛いところを突かれた。
 カクヤは苦笑しながら、サレトナへの印象が変わっていくのを感じる。大人しい少女かと思えば、言いたいことは言う。本来はもっとさっぱりした気性の少女なのかもしれない。初めて会った時は、猫を被っていただけだ。
「カクヤ、女の子には優しくしないと」
「誰かさんが俺とまでは言っていないだろ」
「そっか。ごめんね、当てはまる人がカクヤしかいなかったから」
 タトエもまた、可愛い顔をしてきついことを言う。
 カクヤはこれ以上こじれさせないために、店員を呼び止めて、注文する。
「えっと、コーラとオレンジパイ」
「スリーピースのチョコレートと、紅茶をお願いします」
「はるみかんのケーキとコーヒーで」
 店員はさらりと紙に記入すると、去っていった。
 再び会話に戻る。赤の縦縞が彩る店内の各所で言葉が弾んで盛り上がっているため、特に目立つことはなかった。
「タトエは丁寧だけれど、妹さんやお姉さんがいたの?」
「ううん。兄妹はいないよ。まあ、町の小さな子の面倒はよく見ていたから」
 想像しやすかった。根気強く子どもたちの相手をしていたのだろう。
「えらいな」
「ありがとう。カクヤは?」
「弟が一人いる。アルスに行けるなんていいなあって、散々言われたよ。サレトナは?」
 返答がくるまで、しばしの間があった。サレトナは言いにくそうな様子で微笑んでから、答える。
「兄と弟が、一人ずつ」
「へえ。お姉さんでもあったんだ」
「ええ」
 些細な日常の会話であっても聞かれたくないことはある。うかつに触れてしまったかと、少し後悔した。
 サレトナは姓にロストウェルスがついている。それだけでカクヤやタトエとは一線、違う環境で育ったはずだ。
 北の聖域にある、奉られている「永遠の氷」を管理する一族がロストウェルスだ。永遠の氷は加工して聖水となり、多くの恵みをシルスリクにもたらしている。誉れ高い役目を担う貴職として尊ばれている一族の末の娘であるならば、家族について話しづらいこともあるのだろう。
 サレトナは謎が多い。
 まだ出会って、半月ほどしか経っていないけれどもカクヤは隔たりを感じる。その距離と、秘密がどうにも気になってしまった。そこまで他人に対して下世話な興味を抱いたことなどないというのに。
 カクヤは自分の気持ちを持て余し、首を傾げた。
 なんだこれ。
 その間も、サレトナとタトエは話をしている。好きな果実というものはサレトナにとって安全圏にあたる話題のようだ。タトエの機微の良さが少しだけうらやましくなる。
「お待たせいたしました」
 店員がケーキを片手に持って訪れる。最初はタトエのはるみかんのケーキで、次はカクヤのオレンジパイ、それからサレトナのチョコレートと三つのドリンクが運ばれてきた。
「「いただきます」」
「恵みに感謝いたします」
 食前の祈りの言葉を済ませたサレトナが、チョコレートにフォークを伸ばす。三人とも選んだスイーツを口に運び。
 うなった。
 決して「ううん」という声を出したわけではないが、舌を通じて響く柔らかな甘さを味わい尽くして、嚥下するのも惜しいすらと思いながらも一口目を吞みこんだ。
 最初にこぼれるのは、感嘆の吐息だ。
「うーん! 前から美味しいとは聞いていたし、カクヤからも話を聞いていたけれども」
「苺のゼリー、一口もらっておいたらよかった」
「甘美だよなあ。なんていうかこう、舌から頭に直接味わいが広がっていくというか。癖になるんだよな」
 しみじみといま味わった幸福に関する意見を述べ合う。それらを聞いた店員が、こっそりと料理人に感想の内容を伝えているということをカクヤたちは知らないでいた。
 また、一口だけフォークでスイーツをすくいあげて、味わってから会話は再開される。
「二人はどうしてセイジュリオに入ろうと決めたんだ?」
「私は父と母に勧められてだけど……どうしてだったのかしら」
「僕は後期の転入学試験があるって、急に聞いたから。一か八かでセイジュリオも受けたよ。実はもう別のところにも入学が決まっていて、お金も払っていたけど。親がいいよーって」
「そうなのか。俺もタトエと似た理由だけど、珍しいよな。こんな時期に試験をするなんて」
 考えると不思議だ。セイジュリオは募集人数が多いところではない。追加の募集をするということはまれに行っているようだが、後期転入学試験という形でまとめて全学年で再度試験を行うというのは、これまで聞いたことがなかった。
「ま、おかげで二人に出会えたし。これはこれでよかったな」
 カクヤが言うと、サレトナとタトエも笑った。
 いまを噛みしめながら、カクヤは改めて実感する。
 入学試験で組んだチャプターがこの二人でよかった。
 それからまた話をして、パイやケーキを食べ終えてからドリンクを味わう。コーラはスパイスが効いていて、美味だった。
 食事を終えて、席を立つと会計を済ませる。
 そのときにアルバイトなどはできないかを尋ねたが、カモノハシの涙の店員は正規の店員だけだという。残念に思いながらも、カクヤたちは店を出た。
 まだ時間はあり、気力も回復された。
「他にはどこに行こうか」
「広場でゆっくりしてから、シャレート公園とその辺りにでも行く?」
 タトエの提案に乗ることにして、その日、カクヤたちはアルスの西側も歩いていった。
 アルスの西側はセイジュリオやその他の学校、住宅街といった並びが続いていき、東側ほどの娯楽はない。それでも春の日差しを浴びて腕を伸ばす木々の陰を歩くことや、重なる葉の合間から落ちる光を浴びるのは心地よかった。


第二章第五話



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